マスパーティ!参加します!

東へ向かう新幹線の車内で、ぼくは座席まわりを整えて、chromebook を取り出した。

マスパーティに向かう車中で

つまり、今ぼくはマスパーティに向かう新幹線の車内でこれを書いています。本当なら昨日までに書いて出しておくべきでしたが、今日になってしまいました。

ちなみに、マスパーティというのは、さまざまな角度から数学を愛好している人たちが集い、各々の愉しみ方を披露し合うイベントです。サブタイトルは「数学の楽しみ方の見本市」で、その名の通り様々な企画がご用意されています。

昨年まで、数年続けて MathPower なるイベントが催されていました。2日間、それも夜通し、さまざまな数学について語り合うというイベントでした。ぼくは昨年の MathPower で「数学発信者の生態」という、なんというか数学版ビックリ人間大賞のような企画に 可換環論bot として招待されて参加したのですが、さながら「数学オンリーの文化祭のようだ」と思ったのを覚えています。

ぼくは愛知県の片田舎に住んでいますから、普段なかなか東京のイベントにふらふら顔を出せないのですが、それでも「今年も MathPower があったら参加しよう」とは決めていました。

ところが、今年はこのイベントが開催されないと決まったのです。「ああ、残念だな」とぼくは思いました。それで終わりのはずでした。

ところがところが、バイタリティのある人はいらっしゃるものです。「MathPower がないなら、自分たちで作ってしまえばいいじゃない」新しい企画がここから動き出したのでした。


数学の愉しみ方

話は変わりますが、ぼくにとって、秋山仁先生はかなり大きな存在です。

小学生の頃、夏休みになると、秋山仁先生の小学生〜中学生向けの数学番組をよく見ていました。夏休みの特別編だったのか、ぼくが見ていたのが夏休みだけだったのかは解りませんが、秋山先生の専門に近い組合せ論やグラフ理論に題材をとった不思議な数学の世界を見て、少なからずぼくは数学に惹かれていたのだと思います。

今、小学生や中学生は何をきっかけに数学に惹かれるのでしょうか。そして数学に惹かれた小学生中学生は、どうやって数学を愉しむのでしょうか。ふと、そんなことを思うのです。

考えてみればこれは児童生徒に限った話ではありません。教育課程を終えて社会に出てしまった人が、何かをきっかけに数学に惹かれたとき、数学コミュニティはそれをどう迎えるのでしょうか。

ぼくは長らく数学の専門課程にいましたから、数学の愉しみとはひたすら上を目指して登り続けることだと思っていました。思い込んでいました。そして、それができない自分とのギャップに悩みました。まあ、生きていれば色々あります。

それでも数学というのは実に安上がりな娯楽です(ぼくの場合は初期投資にずいぶんかけましたが)。ランニングコストは本代と文具代くらいですし、読む本は山のようにありますから困りません。arXiv なら最新の論文も読めます。充分一生の趣味として楽しめるものです。そんな感じで数学と付き合っていこうと決め、一番最初の数学日誌を始めました。

しかしその考えはまだ世間が狭すぎました。MathPower に来て思ったのです。世の中にはほんとうに様々な形で数学と付き合っている人・愉しんでいる人がいらっしゃるのだな。そして、その愉しみを伝えようと務めている人がいらっしゃるのだなぁ。

例えば、今回のマスパーティでも「素数大富豪」の大会があります。素数大富豪は、トランプゲームの大富豪に素数の要素を加味したゲームで、ぼく自身は一度もプレイしたことはないのですが、毎年 MathPower でも深夜の人気企画として盛り上がっています。ちょっと不安なのは裾野が広がる前にずいぶん難しくなってしまったことなのですが、素数大富豪をきっかけに数学に惹かれたという人が増えてくればやはり素晴らしいことだと思います。

この他にも、さまざまな人達が「自分の愛好する数学」について見せたり、話したり、知りたがったりする。マスパーティはそんなイベントになるのだろうととても楽しみです。


かつて Hilbert は言いました。数学は自由だと。

ぼくはここに言いたいと思います。数学の愉しみ方は自由です!

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。