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アップルパイについて

 突然、アップルパイが食べたくなった。否、正確にはアップルパイの中身だけを食べたくなった。

 その衝動はアニメなどでハラハラするシーンで結末がわからないまま終わってしまい、次の週まで待たなければならない時のムズムズ感によく似ていた。
 そして、最悪なことにそれが訪れたのは某アイスを食べているときだった。某アイスというのは、坊主頭にタンクトップの男の子の絵のパッケージのアイスが有名な某A社の別のシリーズの新作であるアップルパイ味だ。
 そのシリーズのアイスは夏になるとよく買っていた。シンプルでさっぱりとした果物の甘さがちょうどよく、また、果肉も入っていてお得感があって良いのだ。
 そのシリーズに新作が出た。今年の初めくらいにネットニュースを賑わせていた。更に、それが影響してか買い出しのたびに探しても見つからず、あれは巡り合えぬ運命なのだと涙をのんだほどである。それがアップルパイ味だった。
 それがつい先日、巡り合えたのだ。たまに行くスーパーで大量にたたき売りされた状態で。
 遂に巡り合えたという喜びと同時に、期間限定かつコンビニ限定で販売していたのではなかったっけ、と頭をふとよぎったが、まあいいかとそれを手に取ろうとしてやめた。実は自粛太りでダイエット中なのである。だが、今この機会を逃せば二度と巡り合えない気がする。悶々としていると同居人がさっと横に来てそれを二本かごに入れ、レジで会計を済ませた。
 同居人が買ってしまった以上仕方ないと内心言い訳をだらだら並べつつパッケージを開けた。
 ふわりと優しいシナモンの香りが広がった。
取り出すとミルクティーより少し濃いめの色をした、長方形の大き目のアイスに棒が刺さっていた。
 早く食べてというように少し溶けかかったそれはとても魅力的で輝いているように見えた。ごくりとのどを鳴らし一口かじる。うまい。アイスの冷たさとその中に感じるパイのしっとりさ。アイスに包まれた宝石のように、煌めくリンゴの程よい甘酸っぱさ。アイスでありながらもアップルパイというスイーツのハーモニーを見事に完成させている。
 近い食べ物で言えば某Tというコーヒーショップのパンケーキの上にリンゴのジャムがのっている奴にバニラアイスを添えて食べたときのような味と贅沢感があった。
 おのれ、A社め、と思いつつ、次見かけたら箱買い決定だし、こんなに素晴らしいものを作った会社最高だな! と頭の中が色んな意味でパラダイスしていた時である。
 アップルパイの中身が食べたくなったのは。
勿論、アップルパイはパイあってこそのスイーツだし、アップルパイを冒涜する気は一切ない。寧ろ、アップルパイ大好きだし、定期的に食べたくなるほどである。それを分かっていても中身のリンゴだけを食べたい時があるのだ。
 あの、黄色く艶やかで宝石のようなきらめきを宿したそれが私を誘惑するのだ。満腹だろうとダイエット中だろうと疲れて寝そうなときだろうと所かまわず誘ってくる。まさに、魔性という言葉がよく似合う。
 生のリンゴとはまた違うしっとりとしていてリンゴの良さが残った食感とほのかに香るシナモン。煮てあるがゆえに生まれる甘みとほのかな酸味。これは、どんなリンゴジャムでも味わえないものなのだ。リンゴジャムも魅力的だとは思う。というか、好きだし。
 だが、それだけでは物足りないのだ。味といい大きさといい物足りないのだ。市販のアップルパイでも物足りない時はある。中身のリンゴが小さいと少し物足りなく感じてしまうのだ。中身のリンゴの大きさはできれば大きいほうが良い。その方が味も香りも食感も長く味わえる。
 正直、某炒飯のCMの台詞のように「ああ、これが家で食えたなら」と心の中で呟きながらうっとりとアップルパイの中身を思い浮かべてしまう。この感情はそう、きっと恋に似ているのだ。
 否、これは恋なのだ。それも、アップルパイのように甘酸っぱくて切ないのだ。決して振り向いてもらえない青春の一ページのような切ない恋。どうやったらこの気持ちを伝えられるのかなんて考えているうちに終わってしまうはかない恋なのだ。
 嗚呼、このときめきと心の痛みとアップルパイの中身への食欲を抑えられるのだろうか。それともこれは永遠に消えず死ぬまで悩み続けるのだろうか。
「ボーとしているとアイス溶けるよ」
 同居人の声で甘酸っぱくて優しい赤色をした妄想世界から引き戻された。とっくに食べ終わったのかあきれ顔で私の手元を見ていた。
「あっ、やべ」
 出した時より溶けている残りを慌てて食べ、周りに被害がないか確認する。被害なし。良かった。
 ふと、同居人がそういえばさ、と話しかけてきた。
「さっき、アップルパイの中身に恋だのなんだの呟いてたけどあれなに?」
 どうやら妄想の中身を聞かれていたらしい。
 いつの間にか私の頬はリンゴのように赤くなっていた。

※イラストは作者が書きました

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