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【航空大】合格体験記

こんにちは。ろまです。


航空大に合格しました。


航空大を目指し始めてから、二年半。
やっと合格することができました。


去年のリベンジを果たすことができました。


人生で2年半、自発的に本気で物事に取り組んだという経験は、なかなかないことだと思ったので、ちょっとここに書き留めておこうかなと思いました。


どんな心境で航空大を目指していたのか、思い出しながら書いていきます。


ただの備忘録です。



プロローグ~きっかけ~

約二年半前の1月。私は大学4年生でした。

大学院に進むことが決まっていて、将来はどっかの大企業にはいって研究者になれたらいいなーと漠然と思っていました。

そして心のどこかで、人と違うこともやりたいなーとかお金持ちになりたいなーとかを考えていました。


将来どーしよーかなーみたいな軽い話を、サークルとバイト先が同じ友達と2人でカフェでしゃべっていました。

その彼は、航空大の三次試験を受け終えていて結果待ちという状態でした。


その彼が突然、「航空大受けてみないか?」と提案してきました。

彼が言うには「理系なら3か月一日1時間くらい勉強すれば余裕だよ」と。

(隠す必要もないので言いますが大学は上智の理工です)


「いやいや、ほんとかよ笑。そんなパイロット興味ないし笑。いいよ別に、大学院卒業して大企業はいるから笑。」と思っていたんですが。


私は無知だったので、そこで初めて、パイロットの年収がそのへんの医者よりも高いことを知りました。


「たしかに企業に勤めてたら年収1000万がいいところ。パイロットになったらその倍以上もらえるのか。就活のひとつの選択肢としては悪くないな。」


その時から、不純な理由で満ち溢れた、航空大受験生活が始まりました。笑


※これから、上記のが頻出します。



勉強編

さて、2月にもなったし航空大の勉強始めるか。と思ったんですが、

彼が言うには「あったかくなってきてから勉強始めれば十分だよ~~~」と。笑


おいおいまじかよ。そんなんでパイロットになれちゃうのかよ。大丈夫かよ航空大。

まあでも大学受験の時、化学選択で物理がほぼ未履修だったので、さすがに物理のエッセンスを解き始めました。


それと同時に、模擬航空身体検査を受けることにしました。4万円はかなりの痛手でしたが、彼曰く、受験前に受けるのは必須だとのことで渋々受けました。

航空身体検査が終わり結果を待つ間、ゆっくりとエッセンスを解き進めていました。


航空身体検査の結果が届き、開けてみると。


なんと、航空大学校および自社養成基準では不適合。


えーーーーーー。


終わった。あっけなく航空大受験生活が終了した。



勉強再開編

3月に身体検査で不適合だと言い渡され、あっけなく航空大受験が終了したかと思われたんですが、


彼曰く「やれることやって対策してから考えればいいじゃん」と。


いやぁ。体ってそんな変わらんでしょ。ダメならダメでしょ。
時間と労力かけて勉強して一次試験受かっても、二次で落ちるとか、一番つらいじゃん。やめだやめだ。達成できないことに時間をかけても意味ないよね。


的外れなところで頑張ることに価値はない

的外れなところで頑張ることに価値はない。まさに身体で不適合な私にはぴったりの言葉でした。


その二か月後、5月になりあったかくなってきて、急に

「まあ落ちてもいっか。なんか就活のエピソードになりそう。英語の勉強は就活にも役に立ちそうだしな。総合Iの対策は就活のWebテストの練習にもなるしな。たかが3か月くらいちょっと頑張ってみるか。」

と思い立ち、勉強を再開しました。

勉強しろ


行動

行動するヤツだけが勝つ!

この言葉に何度背中を押されたことか…。

ちょうどホリエモンの「多動力」を読んでいたのもあって、とりあえず行動に移してみました。


エッセンスは二月に2周してたので、3周目をやりはじめました。数学は青チャートが良いと色んなところで見たのですが、「こんな分厚いの無理w」と思って標準問題精講を買ってやり始めました。


航空大の試験範囲をよくよく見ると、やらなくてもいい範囲が結構多く、意外と余裕じゃんと思いました。数学の微積は得意だったので、ほとんど二次関数と三角関数を思い出すのに時間を費やしました。


試験本番の七月に入り、過去問に手を付け始めました。過去問は、彼が持っていた総合IIの過去問を10年分を2,3回解き、英語は5年分くらいを一回だけ解きました。


そして本番を迎え、

「まあ就活のエピソード作りだし落ちても受かってもどっちでもいいや。てかどうせ二次の身体で落ちるし…。」

と思いながら受けたところ。


なんと一次合格


えーーーー。

まじで受かっちまった。三か月ちょっと勉強しただけで受かってしまった。

(このときは開示してないが120位前後でした。)

そして私はこの辺から少し傲慢になり始めました。私って頭良いな。ちょっと勉強しただけで受かっちゃう私すごいな。と。


そして、次は8月の二次試験。身体検査。

「まあどうせ二次試験で落ちると思うけど、せっかく4万円払って模擬身体検査受けたし、それをもとに対策してみるかー。」

「当たって砕けろ精神だな」


ってことで、別の記事でも話したように二次試験の対策をし始めました。



本気でパイロットになりたくなってきたかも編

8月の二次試験も羽田空港で無事(?)終え、11月まで結果を待つという超じらし期間が始まりました。(この時の身体検査では耳抜きが全然できなかった。正直落ちたと思った。)


このなにもできない期間、大学院の研究をせっせと頑張っていたため、特に気にならずに発表日になりました。


まあ落ちただろうなと思ってみてみると、


なんと二次身体試験合格。


えーーーー!

受かるんかーーーい。


ただの就活の時のネタとしておもしろいかなって受けたのに、急にパイロットになる現実味を帯び始めた。

人というのは不思議なもので、現実味を帯びると本気でなりたくなってきちゃうんですね。(就活のネタとして受けたと考えていたのは、落ちた時のためのセルフハンディキャッピングだったのかもしれない。)

この二次試験が受かった時から、パイロットになりたいと本気で思い始めた。そして、私すげぇと完全に傲慢になっていました。


これはやばいぞ。受かったら就活する必要もないし、修論を書かずに大学院を辞めれるし、年収も医者より高いし、モテそうだし、空飛べるし、最高かよ。二次試験で落ちると思っていた私は、そんな気持ちでした。


残りは三次試験。宮崎に行けるってだけでオレかっけえと思っていました。

そして二次突破した168人から108人なんて正直いけるやろって思っていました。補欠もいれたら8割くらい合格するし。

実際に彼も「三次試験はニコニコしてりゃ受かるよ」とだけアドバイスをくれました。


なんだもうほぼ確実にパイロットになれるやん。余裕じゃん。


余裕じゃんとは思っていましたが、ちゃんと面接の対策もしていました。大学のキャリセンを使ったり、想定質問もA4で20ページ以上書いたし、操縦適正の対策もアプリや実際のシミュレータで十二分にした。これならいける。面接もいままで通り、私なら受かっちゃうんだろうな。そう思っていました。


三次試験の対策は別の記事にまとめてますので、気になるかたは見てください。


地獄編

十分に対策し、1月になりました。


三次試験の前日。私は人生で一番の緊張をしていました。なぜなら、就活のネタとしてではなく、パイロットになるための試験だったから。人生を変えるかもしれない、人生の分岐点になる試験だったから。そして、一睡もできずに朝を迎えました。


三次試験当日


人生で初めての面接でした。
うまくできたどうかもわからなかった。圧迫だったのかもわからなかった。でもニコニコはしていたから大丈夫だろう…。操縦適正は完璧だったし。まあ8割受かるし…。


2月の合格発表まで、またじらされる期間が始まりました。
私は、どうせ合格だろうから就活しなくていいやーと、傲慢度MAXで就活をしている研究室の同期を横目に悠々自適に日々を過ごしていました。(同期からしたらくそムカついただろう。周りが見えていなくて本当申し訳ない…)


そして、合格発表の日

私は受かる気まんまんで研究室の人と一緒に合格発表を見ました。


三次試験合格者発表のバナーをクリックすると、




そこにあるはずの私の番号がない。




何度見てもない。



何度もページを更新した。



自然と涙が溢れてくる。



就活しなきゃ。修論書かなきゃ。研究しなきゃ。大学院を辞めると豪語してたのに。いろんな人にパイロットになるんだと言いふらしていたのに。金持ちになるんだと言ってたのに。今までの傲慢だった態度の分、より惨めな感情になりました。言葉には表せない最悪の気分でした。まさに地獄の気分。


その日から3日4日は、補欠の書類が届いていないか何度もポストを確認する惨めな日々を過ごしました。


正直、落ちたことでざまぁみろと思っていた研究室の人も何人かいると思います。


ここまでの挫折の経験したのは初めてでした。



就活編

3月に入り、落ち込んでいる暇もなく、就職活動を始めました。まあ始めざるをえなかったといいますか。笑


正直、パイロット以外にやりたいことは見つかりませんでした。(元々就活のネタとして始めたパイロットチャレンジがここまで本気になると思いませんでした。笑)

いろいろ悩みましたが、結局、大企業であることと入りやすそうな会社であることを基準に就活を始めました。(やりたいことは入ってから見つければいいやという気持ちと、次の航空大受験のすべり止めとして…という気持ち)

大学院ではリチウムイオン電池の研究をしていたので、とりあえず電気自動車の分野、トヨタとホンダを第一志望として受けることにしました。この2社は大学から推薦が使えるのでエントリーしました。

それに加えて、大学の推薦が使えて、入りたいと感じた日立製作所にエントリーしました。これら3社だけエントリーしました。

この3社は大学OBのリクルーターがついてくれて、私のクソみたいなエントリーシートを3社のリクルーターが親身に直してくれました。めちゃくそ贅沢な就活生でした。笑
(そしてリクルーターがついてるのでESで落とされることはない)

ホンダは研究室OBがリクルーターで、最終面接の3人中1人がそのリクルーターで、ほぼほぼ受かると確信していたので、3社だけのエントリーという所業を成しえました。

正直、めちゃくちゃ恵まれていました。


4月に入り、「パイロットを目指し、英語の勉強や航空大の勉強を研究と並行してやってきたこと」を強みに、3社すべての内定をGET。(正確には内々定)



短くてめちゃくちゃ恵まれた就職活動でした。

私のズタボロの心はなんとか立ち直りました。



航空大リベンジ編

就活も完勝し完全に自信を取り戻した私は航空大に向けて勉強を始めました。

しかし、また三次試験まで行ける保証もないし、去年たまたま受かった二次試験で落とされるかもしれない。就活のネタになるわけでもないし、ただの時間の無駄になるかもしれない。今回は完全にパイロットになるための受験でした。


まぁうだうだ考えてないで、3か月くらい勉強しよう。「行動するヤツだけが勝つ!」。航空大落ちても大企業だし人生は安泰だ。そう自分に言い聞かせ、「落ちても受かってもどっちでもいいや。宝くじ買うくらいの気持ちで受けるだけ受けよう。」と、目の前の一次試験だけに集中しました。

そう。生涯年収が数億アップする宝くじなのです。しかも努力すればするだけ当選確率はアップする、リターンの大きい宝くじなのです。


そんなこんなで一次試験をクリア
(23位でした。総合IIで3問ほど勘で合っていた…。)


そしてお次は二次試験。

二次試験も前年と同じ対策をして臨みました。


しかし当日、鼓膜に穴が開いていると耳鼻科で言われました。そのため、ティンパノメトリーの反応もなし。


こりゃ落ちたなー。


まあなるようにしかならないし、できることは全部やったし、落ちても後悔はないや。大企業でのんびり暮らそうっと。


そう思いながら合格発表をみると、


なんと二次試験クリア


まさか通るとは思いませんでした。

例年350人が一次試験で通るところ、今年度の航空大受験は一次試験で250人まで絞っていたので、若干身体検査が緩かったのでしょうか。

本当に運に恵まれました。


そして、三次試験の宮崎。このころには大学院を卒業して、就職していました。(時の流れは早い…)

人生で一番緊張した面接でした。面接官の3人中2人が去年私を落とした人だったので去年の最悪の面接がフラッシュバックし、心拍数は160を超えていました。


しかし、就職活動で身に着けた面接スキルと資格を武器に、圧迫のような面接になんとか食らいつきました。


そして合格発表日。



三次試験合格。



リベンジに成功した。去年の屈辱を果たせた。去年落ちたことが相当悔しかったのだと思います。天にも昇る気持ちでした。体中にドーパミンやアドレナリンが駆け巡っている。そしてなにより二年半、ずっと航空大のことを考えていたので、それが解放されたことがうれしかった。


そんな”最高”の気分でした。



そうして私の二年半に及ぶ航空大受験の幕が下りたのでした。



あとがき

無事に航空大に合格したのですが、今考えてみると一回目の受験で受からなくてよかったと思っています。

一年の間で、精神的にも能力的にも成長したからです。

もし一年目の時に受かっていたら、人生をなめて過ごしていたに違いありません。人を見下した態度で先輩の話もろくに聞かず、フェイルしていたかもしれません。

大学院を中退し、研究室の同期と今のような友情を築くことができてなかったかもしれません。


傲慢になり、慢心し、尊大な態度をとっていると、足元をすくわれた時に周りに誰もおらず惨めな気分になってしまいます。私の場合、優しい友達に恵まれ、そんなことにはならずに済みましたが、一歩間違えれば危なかったなと思います。

パイロットというのは職業柄、周りから尊敬され、褒め称えられることが多いです。だからこそ、謙虚な姿勢でいることを人一倍意識する必要があると思います。


謙虚に生きる。


これからの私の教訓です。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」

とあるように、立派に人格を形成した人物は、偉くなるほど頭の低い謙虚な姿勢になる。こんな人物に私はなりたいと思っています。


私が航空大に受かったのは色んな運や人に恵まれたおかげで、自分の実力だけで受かったのではありません。

私にきっかけと色んな情報をくれた"彼"のおかげですし、コロナで勉強時間がたくさんとれた運もあります。就活がうまくいったのは研究室のおかげですし、身体検査で不適合と診断され諦めようと思った時に「受けようぜ!」と言ってくれた友達のおかげでもあります。航空大の勉強をしている私のことを「ほんとにえらい!すごい!頑張って!」と応援してくれて励ましてくれた友達のおかげですし、落ちた時に一緒に落ち込んでくれて「むしろ一緒に卒業できるからよかった」と言ってくれた同期のおかげです。


色んな人やめぐりあわせの運によって合格することができました。


これからも人々への感謝を忘れずに、おごらず謙虚に過ごしていきたいなと思います。


すぐに私はわすれるからなぁ。自戒の念も込めて。謙虚に謙虚に謙虚に…。



そして最後に一言。



「行動するヤツだけが勝つ!」




(♪努努-ゆめゆめ-/ONE OK ROCK 私の航空大受験中のテーマソング)



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