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追悼バート・バカラック


  写真は、私の持っているバカラックコレクションのコンプリートではない。

(既にパーシー・フェイスの素晴らしいアルバムや、1965年の彼のヒット曲だけを集めたコンピレーション盤など何枚か抜けているのに気がついて舌打ちをしている)

 20代の一時期は、中古レコード屋で「バカラック&デヴィッド・ソングブック」と名のつくアルバムを見かけたら片っ端から買っていた覚えがある。おかげで我が家には大量のイージーリスニング盤がある。彼の名前が冠してなくても、バカラックの曲が一曲でも入っていたら、そのアルバムが気になって仕方なくて、やはり買ってしまった。

 20代はじめにコノイシュー盤の「バカラック&デヴィッド・ソングブック」を聞いていなかったら、今頃自分はどんな仕事をしていただろうか。
文章は書いていたかもしれないけど、今とは全然方向性の違う仕事をしていたはずだ。

 今まで自分がぼんやりとラジオで聞いていい曲だと思っていたものが、全部同じ作者の手によるものだと知った衝撃。それから音楽の聴き方、探求の仕方がガラッと変わった。

 バカラックの曲のように奥深くて複雑で洗練されたものが、こんなにも大衆の支持を集めているなんて本当に不思議な話である。でも、真にポピュラーなもの、クラシックとして残るものはみんなそうなのかもしれない。気がつかない内に受け手を新しい地平に導いていくのだ。

 そのキャリアをこんなところで語るには、バート・バカラックは大きすぎる。
控えめに言っても、アメリカン・ポピュラー・ミュージックにおいてガーシュインと並ぶ存在のはずだ。

 バカラックはフランス近代音楽の重要作曲家であるダリウス・ミヨーの弟子で、最後にはドクター・ドレーのメンターとなった。

 バカラックを好きにならなかったら、私は今みたいにジャズやR&Bを聞いていなかったかもしれない。

 バカラックの音楽は私の基準となり、指針となり、自分の聞く音楽のレンジを拡張していく手段となった。

 自分が好きなものを追求していく手立てとなり、アメリカ文化の世界に踏み入れていく最初の地図をくれたと思う。

 テキストサイトを立ち上げたと書きたいと思ったことのひとつが、自分の好きなバラック曲が収録されているアルバムの数々についてだった。

 来日公演を三度見られた(最後のビルボード公演では握手までしてもらった)。充分に幸運なファンだと思うし、彼の恩恵は個人的にも、人類にとっても計り知れない。

さよなら私の大好きな20世紀。

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