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優雅な読書が最高の復讐である/Lonely City

(2016年にFbに書いたテキストを転載)

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The Lonely City/Olivia Laing

 ただ一人でいるだけでは、人は孤独を感じない。
 孤独は他者との関係性の中で生じる。拒絶された時。無視される時。誤解された時。肉体的な触れ合いが持てない時。当然の権利を迫害された時。仲間として認められなかった時。居場所を見つけられない時。そこから生まれる苦痛、疎外感、被害妄想、渇望、悲しみが孤独となる。孤独は他者が多く介在する場所、都会において生まれる。
 オリヴィア・レイングの「The Lonely City  Adventures in the art of being alone」はそんな都会と孤独の関係性をビジュアル・アートから探っていく本だ。舞台となる「孤独な都市」は主にニューヨークである。私のサマー・リーディング・リストの中の一冊だった。
 彼女はエドワード・ホッパー、アンディ・ウォーホル、デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ、ヘンリー・ダーガー、更にはそこから派生してヴァレリー・ソラナス、ヴィヴィアン・マイヤー、クラウス・ノミといったアーティストたちの人生と作品を取り上げながら、そこから見えてくる孤独の本質に迫っていく。
 集めたメンバーや自分自身の生活をネットで二十四時間公開したジョシュ・ハリスを現代のウォーホルに見立て、人々の孤独を燃料としながら決してそれを癒すことのないインターネットと個人の関係性にも触れている。「スマートフォンを持つ喜びは、もう誰かに電話をしないで済むこと」というキャッチフレーズが皮肉に響く。私はこの本を読んで、今年東京でただ一度きり上映されたジョシュ・ハリスのプロジェクトを題材としたドキュメンタリー映画「We live in public」を見損ねたことを後悔した(本を読んだ時、上映会はもう終わっていた)。
 またこれはヒルトン・アルスの「White Girls」やマギー・ネルソンの「The Argonauts」と同じく、広義の意味においての「クィア」に関する本であり、著者自身の個人的な記録である。レズビアン・カップルに育てられたレイングは自分のことをヘテロの女子ではなく、ゲイの男子として捉えていたという。ロンドンからニューヨークに来た時、彼女は恋人と暮らす予定だった。しかし、直前に彼と別れてしまい、一人ぼっちで見知らぬ街をさまようことになる。
 全ての痛みが癒されなくてもいい。全ての傷跡が醜い訳ではないと彼女は語る。レイングの孤独は誰かと会うことや新しい恋人を作ることではなく、アーティストの孤独から生まれた作品に触れることによって慰められたという。都会では孤独こそが人々のプラットフォームだ。

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