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感傷日記/ポリー・プラット

10月。
ようやく「You must remember this」のポリー・プラットの回を聴き終わった。
今年になって知った「You must remember this」はすごいポッドキャストだ。黄金期ハリウッドに関する興味深い話が満載である。「ゴシップ・ガールズ:ルエラ・パーソンズとへダー・ホッパー」「エスター・ウィリアムズとウォータープルーフ・メイクアップの誕生」、セルマ・トッドからマリリン・モンロー、バーバラ・ローデン、ドロシー・ストラッテンまで不幸な金髪女優たちを網羅した「デッド・ブロンズ」といったタイトルが並んでいるのを見るだけでワクワクする。
中でも白眉は「フェイク・ニュース:ハリウッド・バビロンのファクト・チェッキング」と題されたシリーズだろう。ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」の誤りを取り上げるだけではなく、何故そのようなスキャンダルの神話が築かれたのか、その根底にあるミソジニーや人種差別まで掘り下げて考えるという内容だという。一回約一時間のエピソードで全十八回という大変な力作で、これはケネス・アンガーの本を片手に真剣に聞かなければいけないと考えている。
このポッドキャストのホストで制作、脚本、編集まで一人でこなすカリーナ・ロングワースはすごい。おしゃべりも上手で、海野弘と秀島史香が一体になったような存在だ。ちなみ夫は「ナイブズ・アウト」シリーズなどでお馴染みのライアン・ジョンソン監督。私の考える文化系パワーカップルのランキング入りである。
私が聞いたポリー・プラットにまつわるシリーズも、全十回でボリュームたっぷり、知らなかった情報ばかりだった。かつてのピーター・ボグダノヴィッチのパートナーで「ラスト・ショー」「ペーパー・ムーン」など彼の映画のプロダクション・デザインで知られるポリー・プラットは、ニュー・シネマ時代からインディ映画興隆期の90年代まで、映画業界のシークレット・ウエポンだった。

 自分たちの家庭を壊したシビル・シェパードを撮影現場に呼んでいると知って、元夫のボグダノヴィッチ監督の「ペーパー・ムーン」を彼女が降板しそうになった時、主演のライアン・オニールは彼女にほとんど土下座せんばかりに頼んだという。
「ポリー、君がいたらピーターは十点満点の監督。でもいなかったら四点だ」
 ポリーの葬儀の弔辞では、ライアン・オニールは「ペーパー・ムーン」の撮影時はカットの声がかかると真っ先に彼女の顔を見たと語っていた。
「監督は誰だったかも覚えていない」
ボグダノヴィッチも葬儀に参列していたのに!
ロングワースはポリー・プラットの遺族である二人の娘からポリーが密かに書いていた未完の自伝原稿を入手していた。それをもとに関係者へのインタビューを進め、自伝の内容の裏付け/反証となる証拠の書類などをリサーチし、制作したのがこの「ポリー・プラット、見えざる女性」のエピソードである。
彼女の生い立ちから青春、不幸な最初の妊娠と結婚、ボグダノヴィッチとの出会いと別れ、そして何よりも女性の映画人としての苦悩を語るこのエピソードは、ポリー・プラットの唯一の完全なバイオグラフィーで、映画における女性史の重要な記録なので、是非とも多くの映画研究者に聞いて欲しいと思う。
私もここで知ってことや考えたことについて掘り下げていきたい。
このポッドキャストを聞くと、「ラスト・ショー」の真の作家とは誰だったのかと考えてしまう。
原作に思い入れがあったのはポリー・プラットの方だ。彼女にこの本を教えてくれたのがサル・ミネオだったという事実に感激する。「俺は都会育ちだからこんな田舎の話なんてとうてい感情移入できない」とボグダノヴィッチは言っていた。原作を脚本に起こし、ロケ地を探し、モノクロで撮影するのを決めたのもポリー・プラットだった。夫がコーマン組のB級映画監督から真の“映画作家”になるためにはこの作品しかないと考えていた彼女は、実質上プロデューサーだったのに、もっと業界受けのいいビッグ・ネームをそこに入れるために自分のクレジットを外した。現場では(協会の規定でいけないことになっているのに)プロダクション・デザインだけでなく、衣装やヘアメイクまで受け持った。ある日、メイクをしてもらっていたシビル・シェパードが聞いた。
「この映画の本当の監督はあなただってみんなが言っているけど、本当? 監督はカットがかかるたびに真っ先にあなたの方を見る」

ポリー・プラットは自身が関わった映画作品への“マゾヒスティックなまでの”献身ぶりで知られていた。同時にエゴが強く、自分のビジョンを譲らなかった。後年「ブロードキャスト・ニュース」のプロデュースを務めた時は、セットのドアの色が気に入らなくて、本番前に自らペンキを塗り直したという。ちなみに「ブロードキャスト・ニュース」でホリー・ハンターが演じたヒロインのモデルがポリーだというのは有名な話だ。
ボグダノヴィッチとのコンビ解消後もポリー・プラットは「スター誕生」のフランク・R・ピアソンやジェームズ・L・ブルックスなどの“女房役”を務め、キャメロン・クロウやウェス・アンダーソンの監督デビューを強力にサポートする“母親役”をこなした。ウェス・アンダーソンとオーウェン・ウィルソンに「アンソニーのハッピー・モーテル」の脚本を徹底的に書き直させて、映画会社に短編版と同じキャストでの長編映画化を納得させた。
「オーウェン・ウィルソンはスターです。弟のルークもそうです」
業界では誰もが彼女の実力を知っていたのに、とうとう映画を監督する機会に恵まれなかった。
後年、監督進出を諦めたことについてポリー・プラットはこう言っていた。自分が他の監督に尽くしたように、自分に対して献身的になってくれる相手を見つけられなかったから、と。

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