見出し画像

優雅な読書が最高の復讐である/Paris Reviewのポッドキャスト

 1月。

 ナイキで買った新しいランニング・シューズでラン初め。

 走りながらParis Reviewのポッドキャストを聞いた。アレクサンドラ・クリーマンという作家が朗読する「Fairy tale」という短編が面白かった。

 ふと気がつくと主人公は両親と見知らぬ男と一緒に食卓についている。男は彼女の婚約者だという。それから彼女の恋人や元恋人を名乗る男が次から次へと現れる。この中から誰か一人、結婚相手を決めなければいけないと両親から強要されて、彼女は花束を持ってきてくれた男を選ぶ。しかし彼は彼女を殺すつもりだと言ってキッチンで武器を探し、彼女を刺し始める。あとで彼は彼女に謝って、一緒に映画でも見ようと言う。君を殺すのはその後でもいいから。

 アレクサンドラ・クリーマンはまだコロンビア大学の創作文芸科に在籍していた頃に、この短編がParis Reviewに掲載されて文芸界にデビューした。ネットで検索したら、Paris Reviewのローリン・ステインについて彼女が書いている記事を見つけた。ステインは2017年にセクシャル・ハラスメント問題でParis Reviewの編集長の座を辞した。Paris Reviewのポッドキャストを自分の連載で取り上げようとした矢先にこのスキャンダルが勃発したので、書くのを断念したのを思い出した。

 2010年にステインが編集長に就任してから、Paris Reviewはぐっと華やかになった。過去の作家インタビューの音声アーカイヴをデジタル化してネットで公開したのは、確か彼の英断だったはずだ。ステインは雑誌を通じてベン・ラーナー、オッテサ・モシュフェグ、エマ・クライン、ガース・グリーンウェルといった新世代の作家たちを後押しした。Paris Reviewの編集室は素晴らしくスタイリッシュで、ステイン本人も魅力的だった。ポッドキャストの第一シーズンではレイモンド・カーヴァーの短編をいい声で朗読していた。

 ステインはその素敵な編集長室で複数のライターと性的な関係を結んでいた。女性ライターの一人は、彼との関係が終わった途端にParis Reviewに原稿が掲載されなくなったと主張している。公的な場ではっきりと彼に迫られた女性もいる。ステインは女性編集者たちの見た目を気にしていた。魅力的であること、ルックスのいい友人をParis Reviewのパーティに呼ぶことを求めていて、それにプレッシャーを感じていたスタッフは多い。

 アレクサンドラ・クリーマンはそんなステインに“発掘”された新人の一人だった。彼女に対する彼の態度はプロフェッショナルなものだったとクリーマンは記事に書いている。でも、セクシャル・ハラスメントの問題が明るみに出た後では考えざるを得ない。自分は作品で選ばれたのだろうか? それとも(若くて美しい)女性だったのが良かったのか? そんなことを作家に思わせたら、編集者はもう終わりなのだ。

 ローリン・ステインは2015年に、当時Paris Reviewのスタッフ・ライターだったサディ・ステインと結婚している。私はサディ・ステインの記事のファンで、名字が同じで雰囲気もよく似ているからローリンとは兄妹なのかと思っていた。名字の件は偶然らしい。お似合いの夫婦だった。事件からしばらくして、サディ・ステインのインスタグラム・ストーリーにメッセージが載った。「これ以上、私に嫌がらせのDMを送るのは勘弁して欲しい」

 ローリン・ステインはParis Reviewを辞して当然だし、文芸の世界のセクシャル・ハラスメントの問題はもっと議論されるべきだ。でも、やっぱり苦い。そして二人のアパートメントが素敵だと思う気持ちは変わらない。

 クリーマンはこの記事で創作文芸科におけるセクハラについても触れている。ある女子の生徒が学期の打ち上げの席で教授に迫られた。彼女は断ったら成績に差し障りがあるのではないかと怯えた。実際にはそれ以上のことはなかったが、翌日から男性のクラスメイトに無視されるようになった。彼はその女子生徒が教授と寝て、出版契約をもぎ取ったと信じていたのだ。権威がらみのセクハラと共に、こういう視線が女性の書き手に寄せられることについても考えていかなくてはならないだろう。

 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?