クリープハイプ歌詞考察21日め

7月になるまでクリープハイプの歌詞を1日ひと歌詞まで独自に考察していく。
本日は「百八円の恋」を考察する。

考察条件として以下の縛りを設ける。
・歌詞以外の情報を検索しない

なお、とくに前提となるクリープハイプの情報は持っていない。苦渋100%を読んだことがある、のみである。
それでは自由にスタート。

この歌詞の特徴は、少ない単語を何度も繰り返す部分だ。そして、「百八円の恋」という題にあるとおり、「恋」と「消費税」を重ねている発想であろう。
歌詞を含めて詩は、なんかよくわからないけど素敵!という受け止め方も重要に思えるが、深読みになりすぎない程度に想像を働かせていく。

まず語り手「あたし」は、「この映画」について説明する。

・もうすぐこの映画も終わる
こんなあたしの事は忘れてね
これから始まる毎日は
映画になんかならなくても
普通の毎日で良いから

→「忘れてね」と言っているが、それは逆に、忘れられないような映画なのであろうことを思わせる。謙虚な「あたし」の姿勢が窺えるが、映画になるほどの派手な日々だったということだろう。
この歌詞は、その映画のラストを表しているということか。非日常的な事柄なのだろう。

・痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
でも
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい

→「痛い」の連呼で、これは確かに普通ではないとわかる。大丈夫?と思ったら、「痛い」から「居たい」に変わって、痛みと居たい気持ちが拮抗しているらしい。「痛い」と「居たい」の音は一緒だが、痛いのに居たいとなると、そのような状況はあまりない気がする。無理をしても居たいということだ。しかし「映画」だとするならば、それはドラマチックな主演を「あたし」が演じているということでもあろう。
「あたし」はどのような過酷な環境にいるのか。

・もう見ての通り立ってるだけでやっとで
思い通りにならない事ばかりで
ぼやけた視界に微かに見えるのは
取って付けたみたいな
やっと見つけた居場所

→この部分で「あたし」は「やっと見つけた居場所」に居たいのだとわかる。「もう見ての通り立ってるだけでやっとで」は映画の画面を指して、見ての通りと言っているのだろうか。「ぼやけた視界」は、怪我か涙や汗の影響か。「取って付けたみたいな」とは、居場所もそれほど完璧ではないが、他に居場所は探してもなかったということだろうか。

・終わったのは始まったから
負けたのは戦ってたから
別れたのは出会えたから
ってわかってるけど
涙なんて邪魔になるだけで
大事な物が見えなくなるから
要らないのに出てくるから
余計に悲しくなる

→「終わったのは始まったから」「負けたのは戦ってたから」「別れたのは出会えたから」とは、いずれも励ましの言葉だが、「あたし」は頭で理解できても「悲しくなる」と言っている。つまり何か、終わりや負けや別れを経験したのだろう。その終わりや負けや別れは、涙に変わり、やはり涙と同様に終わりや負けや別れも要らないと考えているのだ。前出の「思い通りにならない事ばかり」とはそれらを指しているのだろう。
「余計に」は、題の「百八円」のキリの悪さとも掛かっている。
「あたし」の戦いは続く。

・痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい

→極限まで言葉の数が少なくても、その前の文があることで、「あたし」の状況が具体的になり、なぜ「痛い」のかといえば戦ってるから、「居たい」のは居場所だから、と理解して聴くことができる。どんな風にとかどこが等を描かなくとも、歌詞としては繰り返されることで聴き手の感情移入はしやすい。
そして、ついに題名の謎が明かされる。

・誰かを好きになる事にも消費税がかかっていて
百円の恋に八円の愛ってわかってるけど
涙なんて邪魔になるだけで
大事な物が見えなくなるから
要らないのに出てくるから
余計に悔しくなる

→前出の「終わったのは始まったから」「負けたのは戦ってたから」「別れたのは出会えたから」は、よく言われる理解できるフレーズであるが、「百円の恋に八円の愛」とはどういうことなのだろう。しかし「あたし」は「わかってるけど」と言っている。「誰かを好きになる事」に消費税が掛かっている、とは「8%」を導くための例えなのだろう。消費税は税金として役立てられるが、その額が上がって喜ぶ人は全然いない。かつては3パーセントだったが5パーセントになり、この歌詞のときは8パーセントだったであろう消費税はいまは10パーセントである。もし「誰かを好きになる事」に消費税が掛かっていないのであれば、「100円の恋」であるが、題は「百八円の恋」であるように、「八円の愛」分が加算される。8パーセントの愛、ではなく八円の愛であるのに合計して百八円の恋になっているということは、その恋と愛は同じなのか。100円ショップを連想させる金額であり、100円の恋は安い恋にも思えるが、8円が中途半端さを出している。その端数の中途半端さを、思い通りにならなさと重ね合わせているのかもしれない。「邪魔」「要らない」「余計」という感じを「八円」で表現している。前述の歌詞と比べると、すなわち涙が消費税のようなもの、愛は悲しみや悔しさにあたると考えられる。「愛」という語は「痛い」と「居たい」のように当て字するならば「哀」「隘」、つまり悲しみが溢れることを表している。と考えると、「誰かを好きになる事にも」悲しみや悔しさや涙が含まれるのは、消費税のように仕方のないことなのだ、というメッセージが読み取れる。

・ねぇ どうして
うまくできないんだろう
ねぇ どうして
うまくできないんだろう

→なぜあなたはロミオなの、的な状況への嘆きや、うまく行かない自分へのもどかしさか。理由というよりは、叫びのように思える。
最後まで「あたし」は戦っている。

・居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい
居たい居たい居たい居たい居たい居たい居たい

→「痛い」が無くなったというよりは、居たいと痛いが同一したようにも読める。居たい気持ちの方が痛みに勝ったという風にも読めるので、この歌詞で、「この映画も終わる」と言っていたように、この映画は「あたし」の勝利で終わるのかもしれない。

全体として、単語の繰り返しパートと消費税フレーズ等が、交互に来ていることで、視点が緩急のついたものになっている。
映画でいえば「痛い」の時はズームになっており、「立ってるだけでやっとで」等では「あたし」の体全体が映っている様子だ。
「百八円の恋」という耳慣れないフレーズがあることによって、意外性や深みが生まれている。もし無ければ、謎やフックがなく、つるりとした印象の歌詞になるかもしれない。しかし、それ以外の歌詞がシンプルであることで、そのキーフレーズが目立っている。全箇所に捻りを凝らすより、謎は一つに絞っておくことが主題を伝える上で効果的だとわかる。
「恋」と「消費税」という繋がりのない遠いものを組み合わせることで、言外の意味を生み出していて、単なる心情の吐露に収まらない詩性が全体に通っている。(3033)

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