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瀬々敬久「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」

新宿ケイズシネマで、瀬々敬久「トーキョー×エロティカ 痺れる快楽」

考えるな、感じろ!1995年に地下鉄サリン無差別テロで死んだ恋人を想う女(佐々木ユメカ)1997年の東電OL事件で行きずりの男に殺害された女(佐々木麻由子)「生まれる前の時間と、死んだ後の時間って、どっちが長い?」悩みはラスボス的に死神様(佐野和宏)が全部解決さ!登場人物が輪廻転生で幻惑ポルノの問題作。

はっきり申し上げて、これは私にとって「ノレない」問題作の典型である。21世紀に入り、瀬々監督が映画界に充満する閉そく感を打ち破る突破口として指向した、いろいろと実験的な試みが満載された作品。ただし、本作がピンク映画として全国の成人映画館を回ったことに驚きを禁じ得ない。

何が何だか分からぬまま思いつくまま、せっかく貴重な国映作品をフィルムで観る機会を得たので(ビデオ撮りだけどw)書き殴ってみましたw「狐につままれる」とは、まさにこのこと。私たちが生きてるのは夢なの?それとも現なの?カオスで物語が無いなら無いで、成人映画らしくもっとエロい濡れ場を見せろ、とは言いたい(笑)

テーマは不明瞭、むしろ不明瞭なことこそに意味がある「カオス」に満ちた作品で、この映画を見て「感動した」とか「面白かった」という人の感想を私は信じない。撮った瀬々監督自身がそんな感想は一切求めていないのだから、前向きな感想を言う観客自体、監督の意図と間違いなくピントがズレている。

この作品はビデオ撮りされ同録。観ていて凄く既視感があるのは、にっかつがロマンポルノ末期にAVに対抗して制作したロマンX。あるいは実相寺昭雄が撮った実験的ピンク映画。共通するのは「世紀末にある絶望感とカオス、不安なままに手探りする未来」

1989年の天安門事件、1995年の地下鉄サリン事件、1997年の東電OL殺人事件が、映画の中で無秩序に出演者の荒唐無稽な衣装や行動と共にカオスの状態で現れては消える。表現したいのは「21世紀とはカオスの時代」時代が多様化しすぎて、混とんとした世界観。

石川裕一はサリンを吸って死に、絶望感で佐々木ユメカは売春を始め、下元は着ぐるみでバウバウする(笑)佐々木麻由子は東電OLのように淫らに夜な夜な男を誘いホテルでセックスし、川瀬はスーパーマンの格好で精子入りピストルを手に相手をする。登場人物が全員、戯作的でシンボリックな記号。

冒頭から、出演者たちにインタビューし素顔で語らせる「生まれる前の時間と、死んでからの時間ってどっちが長い?」という禅問答のような質問の答え。「分からないw」で一刀両断のようでも良さそうなもんだが、若者たちは懸命に頭を捻って考える。そこに意味を見出そうとする。

禅問答のようなこの問いの答えは、私には「じゃあ、生まれて来た意味、生きている意味、死ぬことの意味って何なの?」という逆質問になる。仏教の世界でいうところの輪廻転生とは、霊魂は肉体が死んでも何度も生まれ変わることで、個々人の死生観と繋がる。

90年代が絶望の時代に感じたのは、単にバブルがはじけただけでなく、バブル時代が多くの人にとって単なる「自己逃避」に過ぎず、初めから問題は抱えていた、それを見て見ぬふりしてごまかして生きて来たんじゃないの?という非常に内省的な問いかけ。

さて(←さて、じゃねーよw)もはやここまで来るとどこからどう見ても「ピンク映画です」とはとても言えないのだが、敢えてロマンポルノ的に言うとですね(←無理やりこじつけなくてもいいよw)ビデオ撮りキネコ変換は、非常にロマンX的な猥雑さ!

佐々木ユメカが、恋人をサリン事件で亡くした喪失感からスケベオヤジの下元に抱かれるのも、孤独なOL佐々木麻由子が行きずりのチンピラ川瀬に抱かれるのも、ビデオ撮り同録によって、AVのようなナマナマしい臨場感があり、ポルノグラフィ的ではある。

ただし、ロマンXのような、希薄な物語とビデオ撮りのナマ本番で構成したポルノグラフィではない。瀬々監督が描きたいのは時空間を歪めた「カオス」だから、濡れ場にストーリー性のあるエロスを感じることは不可能で、むしろ乾いた笑いを引き出す。麻由子が伊藤の目の前で戯れに昔懐かしい「超能力でスプーン曲げ」驚くほどグニャリと曲げてしまう(笑)

冒頭、バイクを止めてあっさりサリンを吸って絶命する石川。絶望して売春するユメカの目の前に現れるバウバウ犬の着ぐるみ下元。見ず知らずのOL麻由子はヤクザの伊藤猛に売春し、スーパーマン川瀬は精液を仕込んだ銃で、麻由子を射殺(笑)してしまう。

どこまでもシュールでシニカル、日本人の「生死に関する耐えられない存在の軽さ」と「絶望的なまでの宗教観の無さ」に起因すると思う。人は簡単に生まれて簡単に死ぬ。キリスト教の「原罪」「贖罪」とか仏教の「極楽往生」「輪廻転生」何それ?な軽薄短小。

元を正せば、80年代に某テレビ局が「面白くなければテレビじゃない」バカバカしいお笑い番組や中身のないトレンディドラマの数々で煽った「日本人はみんな、バカになれ!無能になれ!」半ば宗教的なバブル洗脳が、90年代に日本を世紀末に追い込んでしまった。

日本人だってバカじゃないから、90年代にバブルにあぐらをかいていた政治も経済もカオスに陥り、旧来の政治経済システムは半ば崩壊してしまった。でも、日本人ってやっぱりバカだから同じこと繰り返すんじゃないの?それって無宗教の国では生きる意味も死ぬ意味も分かってないから。

この映画で、劇中で亡くなるサリン事件被害者の石川と、東電OL事件被害者(精子で頭を撃たれるんだけどw)の麻由子、それだけでなく劇中に登場する出演者全員、いや、このカオスに満ちた映画そのものを最後の最後に救済するのが死神・佐野和宏!その人であるw

佐野は死神だから、正体を隠してマスクを被ってバックから女を犯し「お前が生きるも死ぬも、全部、この俺様が決めてやる、だって俺は、死神なんだから!」ドーデス、この魔展開!地下鉄サリン事件も東電OL殺害事件も全て死神の所業、だから彼の差配一つ!

一度は地下鉄サリン事件で亡くなったはずの石川が、死神の手によって蘇生し、ラブラブの彼女だったユメカと手を繋いで夜の街をデートする、輪廻転生を強く意識したカットで映画は閉じる。大都会トーキョーで、エロティカとは孤独な都会人が愛に救いを求める姿。

佐々木ユメカと佐々木麻由子のセックスは、疑似ものAVのように楽しめばいいとしてw見所はラスト、その寂しげな大都会トーキョーの路上で川瀬陽太が仲間とライブしてシャウトする姿のカッコよさ。でも、瀬々監督は冷徹な目で、一歩引いて見てると思うんですよね「川瀬、お前カッコいいこと歌ってるけど、それ、カッコだけ?それともお前の本心か?」

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