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柳町光男「火まつり」

2022年4月シネマヴェーラ渋谷で、柳町光男「火まつり」 脚本は中上健次。

三重県熊野市二木島と和歌山県新宮市を舞台に、漁師兼猟師の神がかった主人公(北大路欣也))による山の神&海の神への篤い信仰が、神武天皇上陸地を売り言葉に海中庭園を造るとほざく都会のバカどもの手で穢され、彼は火まつりでサイコーに燃え劇的な最期を遂げる、これは壮絶な神話映画の佳品。

この作品を観て思うこと二つ。一つは日本という国に生まれた以上、スカした都会人にも辺境の地に住む田舎者にも等しく「神話」があるということ。そしてもう一つは三重県二木島(にきしま)という土地が猫の額のように平野部が全く無い漁港と深い山林が隣接しているような特殊な場所ということ。

中上健次が原作と聞くと「ああ、和歌山の、紀州地方のお話なのね!と勘違いしかけるが、この作品の舞台は三重県である。二木島は三重県の熊野市、尾鷲市のエリアであるが、同時に県境を越えてこのエリアで最大の都市である新宮市とは繋がっている。ここは失礼な言い方だけど辺境の地。

県を跨いで一つのエリアというのは全国的に珍しいことではなく、例えば岡山県笠岡市は広島県福山市の生活圏だし、静岡県湖西市は豊橋市の生活圏である。中上健次の持つ世界観を体現する場所として、いや、それより1980年に当地で起きた「熊野一族7人殺害事件」がモチーフである。

三重県で、国策としてレジャーランドや原発の進出で古来からの美しい海が穢される話、と言えば、池田敏春「人魚伝説」がストレートに社会問題として自然環境破壊を題材に制作されたが、その翌年にかなり違う角度から同じ社会問題を見つめた作品として、非常に興味深いものがある。

主人公の北大路欣也の叔父さんとしてレジャーランド推進派三木のり平が漁師たちを説得して回るくだりがあるが、日本特有のムラ社会を批判したトーンにはならず、一人反対して頑張る北大路がなぜ無理心中するに至ったのか、その原因をボカすのは実際にあった事件がモデルだからであろう。

北大路欣也は腕の立つ猟師でありつつ、漁師もこなす。猟師にとって怒らせたら怖いのは山の神であり、漁師にとって怖いのは海の神である。でも人間は神をも恐れぬもの、海中に重油を撒いて魚を殺すバカもいれば、神を女に例える男どもを喰らう淫乱女(太地喜和子)まで登場するw

この作品が見ごたえあるのは、六尺褌の男衆が山中でぎっしりと喧嘩祭りした後に松明の火を持って山を走る「火まつり」の明暗のコントラストが見事な劇場限定の感動的な場面に尽きます(笑)冒頭でタイトルイン段階から真っ暗な画面に松明が煌めき「こういう映画です」宣言してるw

ゲイ映画ではないが、北大路欣也の鍛え抜かれた見事な筋肉美ヌードが拝める作品でもあります(*'▽')最初はバックからお尻丸出しのカットを撮り、その後は上半身をビシッと撮影。あ、ていうか全身を前から撮影したら上映事故になるじゃねえか!男臭い男祭り的な映画でもありますw

問題があるとすれば、舞台が関西圏なので登場人物はみんな関西弁を喋るんだけど、太地喜和子だけイントネーションが明らかに怪しくて、これは仕方のないことなんだろうけどネイティブの北大路欣也はビシッとキマってるんだよね。田舎を描いた神話映画だから方言の扱いは凄く大事。

映画の内容は置いといてw取り敢えず自分の五感にビビッと来た見どころを二つ上げるとすれば「鉄オタ狂喜乱舞」と「昭和歌謡オタ狂喜乱舞」ってとこでしょうか。シリアスで重たい話になりがちだけど、鉄道マニアには、昭和の流行歌謡マニアには結構堪らない構成になってますw

二木島町は1980年代の撮影時点で800人、現在は250人程度の小さな集落だけどちゃんとJRの駅がある。しかも単線だけど紀勢「本線」劇中で何度も「昭和34年7月15日、紀勢本線全線開通おめでとう」様々なセレモニーが登場するが、これは恐らく北大路欣也が少年時代に体験した昔の記憶を辿ってるのであろう。

二木島の人は遊びに出る時、県境を越えて汽車で新宮に行く。二木島が田舎過ぎるので相対的に新宮が都会に思えて来る。紀勢本線の二木島駅のホームが何度も登場。男たちは女遊びに新宮に出て、女たちは夜の勤めに新宮に出る。山がちで道路が無いから汽車しか交通手段が無いのだ。

紀勢本線は二木島集落の中心を通っている。漁協の水揚げ場と三台の自動販売機、煙草とリボンシトロンと地元ブランドの牛乳。村の人々は何かあるとここに集まる。そしてディーゼル機関車に引かれて行く客車は木製で5両編成。客が乗ってないのに5両もあるのが昭和の田舎テイスト。

昭和歌謡は3曲流れる。まずTHE MODS「激しい雨が」川上麻衣子がなんちゃって暴走族2名とバイクで颯爽と乗り付ける漁協前のステージ。この曲をラジカセで流してトリオでヘンな踊りを踊って老人たち呆然からのバイクで突っ込んでいく自己流解釈これが暴走族感に失笑を禁じ得ないw

2曲目は黒沢年男「時には娼婦のように」二木島に流れ着いた娼婦の太地喜和子がスナック&喫茶「なす」(←しかし何ちゅう名前w)青年が店に入るとジロッと見つめる喜和子と店内にBGMで流れる「時には娼婦のように」が絶妙で、その後に彼女が引き起こす騒動を予感させる(笑)

3曲目は郷ひろみ「お嫁サンバ」紀勢本線の二木島駅から汽車に乗って新宮駅で降りてスナック「愛人」wwwに勤め始めた喜和子。クリスマスの晩に「面白いことねえかなあ」紀勢本線で新宮まで出てこの店を訪ねた北大路欣也&安岡力也&青年を出迎える脱力BGMが「お嫁サンバ」

さて(←さて、じゃねーよw)出演者に宮下順子、中島葵、川上麻衣子、森下愛子、高瀬春奈と並んでいると「この中で誰が脱ぐの?ねえ、誰が乳首を見せたりアンアンよがってくれるの?」とゲスな期待が膨らみますが、この4人、誰も脱ぎません(-_-)代わりに、と言っちゃあなんですが、伏兵の太地喜和子が脱ぐんです。これはびっくりしました。女優魂、女優の鏡ですよねえ(←急に持ち上げすぎw)

冒頭から火まつりの火がまるで怪談に出て来る火の玉みたいにいきなり出てくるのは先述しましたが、私はこれを北大路教祖の霊魂ととりました(←分かりやすく、ここから北大路教祖と呼びますw)田舎ではシャーマン信仰みたいなのが今でも根強いはず。

私が育った静岡県の人口4万人の小都市でも主要産業は農業だったから土着文化で公民館とか寺社仏閣とか、市民が集まる集会所ごとにプチ教祖みたいな人がいて、集落に多大な影響を及ぼす、これは田舎特有の現象で、教祖様は老若男女全然関係ない、声が大きい、リーダーシップのある人が教祖様です(笑)

北大路教祖は二木島で漁師もできるし猟師も出来る二刀流。腕っぷしも強いしハンサムだし、住んでいる家も街の中心で風光明媚ということは一族は集落の中で影響力を持った人だったんだよね。彼は安岡力也を弟のように可愛がり、でも彼は普段は猟師連合の中にいて、漁師連合に入ると仲間の目がちょっと冷たい。

もう一人A君(←役者が分からんのでこの方が都合が良い)彼も猟師と漁師の間の宙ぶらりんのような存在で、北大路教祖は公民館でみんなでプロレスごっこやったりして遊んでる。そうです、教祖様を中心とした小集落の閉じられた世界って、どこかプロレスごっこみたいなんですよね。だから、話は逸れちゃうけど(笑)私はそんな田舎から一刻も早く離れたいと進学を機に都会に出られてホントに良かった。

で、何の話だっけ?そうそう、神話って神の話でしょ。北大路教祖は現人神なんです。北大路教祖はしょっちゅう、山の神が怒ってるとか、海の神に祈ってるとか言ってるけど、彼自身が神なんですよ。彼は宮下順子という奥さんがいながら淫婦の喜和子と浮気しようとすると、船を出して海の上でスル。山の神の方が大事だからだ。

でもね、教祖様が力也たち遊び仲間と海で泳ぐと、海の神の怒りも消えて、それまで集落を騒がせた重油で魚が大量死事件もチャラになったりする。で、本作のメインテーマである大事件、漁村で生計立ててる二木島を襲った何者かが重油を撒いて命の次に大事な漁師の獲るはずの魚が大量死。

北大路教祖はこれ見よがしに灯油(笑)を入れるプラスチックケースを持ってたりして「あいつが犯人」悪い噂が立つ。並行して北大路教祖の叔父である三木のり平がレジャーランド建設の片棒担いで登記簿謄本集めて回って北大路教祖にも説得に来るから、はい、どうみてものり平がクロ!です。

暴れん坊で無軌道だけど老人にも若い衆にも人気者の北大路教祖は「あいつがそんなことする訳ない」というギリギリの線で、顔は絶対に見せない都会の二木島開発グループと対峙してる。喜和子はなんだかよく分からないけど(笑)二木島の風紀を乱すだけ乱して新宮のどうみてもぼったくりバーに移っていった。

そして火まつりの当日。北大路教祖の男根がサイコーに起立する時。彼は山の神を目の前に、海の神を目の前に、時には白褌一丁で、時には全裸でボッキボキに現人神してたんだけど、火まつりで彼の全知全能が最高潮に勃起、山寺で若い衆をボコボコに殴り、松明をいの一番に持って漆黒の闇の中を激走する。それは現人神としての彼の終末。

山や海といった自然と一体化して神格化した彼の伝説は終わりを告げた。ライフル銃を持ち、妻の順子、祖母、二人の可愛い息子、次々と無理心中に巻き込み、最後は神棚の前に腰かけライフルで自分の胸を撃ち抜いた。

その後、漁師たちは重油が海上に浮かび、海の色がオレンジ色に輝く、最悪の画を目にしてしまう。魚の大量死事件は北大路教祖が犯人じゃなかった。だって誰は現人神だったのだから。彼は二木島の守護神だった。きっと巨悪が彼をハメたはず。神を恐れぬ者にはやがて天罰が下るのみだ。

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