どこまでも変わっていけるということ ①

「あんた、生きてる価値ないよ」
そう言われた中3の夏から、14年経った。

人に「性格」というものがあるなら、それがいつどのように決まるものなのかわからないが、少なくとも未就学児の頃から私は非常に内気な人間であった。
同い年の女の子はみんな勝ち気で、運動神経がよくて、ローラースケートに乗って元気に走り回っていた。
一方の私は、おままごとの役割すらうまく演じられず、シロツメクサの花冠も満足に結えず、いつも訳が分からなくてぐちゃぐちゃと泣いていた。

小学校低学年の頃は、ひとりで秘密基地を作ったり、放課後こっそり冒険(といっても知れている範囲)に出たことは覚えているが、とにかく誰かと一緒に過ごした記憶というものがない。

それから父親の仕事の都合で何回か小学校を転校したのだが、次第に学校の授業についていけなくなり、相変わらず周りには馴染めず、
ひとりでゲームやお絵かきばかりするようになっていった。

周りに馴染めなかったといっても、理由もなく仲間外れにされたり、嫌がらせを受けたりしたわけではない。
ただ、クラスメイトの声掛けにどう振舞えばいいのかわからず、ただの愛想笑いもできない、勉強も運動も人並みにできない自分に劣等感があって、
勝手に、いわゆる「陰キャ」のラベルを貼られたような気になっていて、周りの態度も徐々にそうなっていったのだろう。

ところが、小4のある日、
そんな私の日常を少しだけ変える出来事が起こった。


いつも通り、10分休みに教室のすみっこでお絵かきをしていると、同じクラスの男の子が声をかけてきた。
「それ! 時オカだよね?」

当時、時オカにハマっていた私は、フォールマスターに捕まる人間の4コママンガを暇つぶしに描いていた。
「これを見て時オカだとわかるコイツ・・・ただものではないな」などと、どこから目線なのかよく分からないことを思いつつ、
初めて他人と通じ合えた気がして、とても嬉しい気持ちになったことをよく覚えている。

そしてそこから私のマンガがクラスに広まり、それまで私を避けていたクラスメイトが、徐々に好意的に接してくれるようになった。
私は、自分の作品が受け入れてもらえたことで "自分は完全に拒絶されているわけではないのだ" と少しずつ自信がついてきて、自分から他人へと話しかけられるようになり、
周りも自分と同じようにマンガやゲームが好きなことや、自分が思っているよりみんなずっと優しくて仲がいいことを知った。

私は自分で壁を作っておきながら、他人に避けられていることをどこかで"自分ではどうしようもないこと"と思っていたけれど、
自分次第で周りの態度は変わるのだということに気づくきっかけとなる出来事だった。

そうしているうちに、放課後一緒に帰るクラスメイトができて、ひとりでゲームとお絵かきばかりしていた私の世界は少しずつ広がっていったように思う。
植物や虫の名前、木登りのやりかた(結局登れなかったけど)、通学路にある桑の実の盗み食いスポットなど、色々なことを教えてもらった。

こうしてやっと自分の居場所ができはじめたと思った矢先、
小5の夏に、また転校することが決まってしまったけれど、
不思議と前よりも不安は少なくて、新しい場所でどんな出来事が待っているのかなと、少し楽しみな気持ちが生まれるくらいには変化が起こっていた。


それから3年間、私は某新興国の日本人学校に通った。
日本各地からここに集まったクラスメイトの大半は、親がエリート会社員で、裕福な家庭に育ち、みんなとても賢くて優しかった。
そのおかげで、私は、みんなと仲良しとまではいかないものの、誰とでもほどほどに交流しながら平和な学校生活を送ることができていた。
しかしそんな中で、やはりどこか劣等感というのか、"学業においても運動能力においても、一切自分の存在が認められる要素がない"と感じた私は、
なぜか道を誤って「勉強できないキャラ」を押し出すようになり、成績はいつもオール2、それでもヘラヘラと笑って、
一方でひたすら絵を描いたり小説を書いたり、好きな歌の練習をしたりするようになった。
何か、自分だけの「個性」と呼べる、分かりやすいものが欲しかったんだろうと思う。

そんなものの何が「個性」なのかと、バカな話だと今では思うのだけれど、
中学生の私にはそれが分からず、それでも受け入れてくれる周りに甘えて、前向きな努力をしなくなっていった。

ほとんどのクラスメイトは高校進学に合わせて日本へ帰国するのでしっかり受験勉強をはじめているなか、私はいつまで経っても勉強習慣が身につかないまま、中学2年生で帰国した。
(後から知った話だけど、みんな各地の有名高校に進学したらしく、本当に優秀な人たちだったんだなあと思う。)

周りの優しさに助けられて自分も成長した気になっていたけれど、
自分は何も変わらないどころかさらに学業不振になり、相変わらず愛嬌も他人への前向きな関心もなく、自分のことだけしか考えず、ただお絵描きに没頭するだけ。
そんな思考停止状態の私を日本で待ち受けていたのは、
未だに私のことを苦しめてやまない、生き地獄のような中学生活だった。

(続く)→

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