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わたしのおにいちゃんのはなし 18

第十八話


猛ダッシュに家に帰っても、もちろん兄は居なかった。居たところで、何をどう言ったらいいかなんてわからないのだけど。わたしが双羽さんとのことを知っているだけでも不自然極まりない。

家には母だけがいた。おかえり、といつも通りに迎えてくれたが、部屋に上がろうとしたところを止められた。



「華、ちょっと、いい?」


「・・・・・・いま?まだ着替えてないんだけど」


「すぐ済むから。ちょっと座りなさい」


わたしは何とも言えない嫌な予感がして、唇を噛んだ。聞きたくない、とは言えないので仕方なく制服のままリビングのソファに座った。


「あのね、進路のことなんだけど」


母のいやに真面目な口調に、わたしは拍子抜けした。もちろん大事な事なのだが、兄のことで頭が一杯だったので、なんだ、そんなことか、と思ってしまった。


「そろそろ真剣に考えなきゃいけない時期でしょ。高校はどこに行きたいの?」


それについては一択だった。いつ聞かれても良いように心の準備はしておいたので、わたしは淀みなく答えることができた。


「みーくんと同じ、誉に行く」


兄が通う高校は誉第一高校という。同じ名前の誉第二高校というのもあり、そちらは定時制だ。
第一はこのあたりでは中の上と言われるが、勉強だけでなく部活動に力を入れていることが有名で、学校祭の演劇のように生徒の個性を伸ばすことで人気の学校だ。男子バスケ部も、都内で一、二を争う強豪チームだ。残念なことに兄は辞めてしまったが。


「・・・ねえ華、黒谷に行くつもりはない?」


「黒谷・・・?」


それは市内にある女子校の名前だった。私立で、誉第一より少しだけランクが下だった。確かにわたしの学力にはそちらの方がふさわしい。
が。


「行かない。誉がいい。勉強するし」


「・・・どうして誉がいいの?」


「だって、学校祭見て、雰囲気も良さそうだったし、みーくんの行ってたところ、通いたいもん」


母は黙ってしまった。以前は、みーくんと同じところがいい、と言うとすごく喜んだのに。
しばらく待っても母が何も言おうとしないので、もういい?と立ち上がりかけたその時。


「誉はやめなさい」


いつになく強い口調で母が言った。驚いてわたしは浮かせかけた腰をもう一度下ろした。
母は怒っているとも困っているとも取れる表情をしていた。


「・・・なんで?」


「黒谷は近いから帰りが遅くなっても心配ないし、あそこの生徒さんは素行もいいし、華には合ってると思うのよ」


「黒谷のことじゃなくて、誉がなんでだめなのか聞いてるんだけど」


「・・・・・・お父さんも黒谷がいいんじゃないかって言ってるのよ、だから・・」


「お母さん!」


だんだん腹が立ってきた。これは直感だけれど、多分兄と双羽さんのことが関係している。が、理由も知らされず頭ごなしに進路を決めつけられるのは違うと思う。



「理由を教えてよ。わたしは誉に行きたいの。そのために勉強も頑張るつもりなのに、なんでランク低いところに行かせようとするの?」


「華」


意を決したように、母は背筋を伸ばして言った。



「倫也が問題を起こしたの」



やっぱりだ。わたしは自分史上、最も低い声で答えた。


「・・・この間、お父さんが怒ってたときのこと?」


「そう。・・・もう、落ち着いてはいるんだけど、先生方にもずいぶんご迷惑をおかけしたのよ」


「・・・それで?わたしが誉に行っちゃだめな理由になってないよ」


「華が困るのよ。問題を起こした生徒の妹だって」


「困らないよ。だって落ち着いたんでしょ。わたしが入学するときにはみーくん卒業してるし、問題を起こす生徒はみーくんだけじゃないよね」


「・・・・・・そういうことじゃないの」


「意味がわかんないんだけど」


「いいから、黒谷にしておきなさい!」


「やだ!お母さん、おかしいよ!」



わたしは立ち上がり、鞄を持って乱暴にドアを開けた。待ちなさい、という母の声を振り切って、階段を一気に駆け上がった。
こういうとき、自分の部屋のドアに鍵がついていたらよかったと思う。ベッドにうつ伏せになって、わたしはわざと声を上げて泣いた。母に聞こえるように。


直感だった。
きっと、兄は補導されたんじゃない。
中学二年生の想像の範囲でしかないが、この一件には双羽さんが関わっていて、おそらく彼との関係がなんらかのかたちで両親に知られたのだと思う。
そうでなければ、高校生の起こした問題くらい、わたしは知ることができたはずだ。

実乃里さんが真相を知らないということは、きっと高校でも表面的にしか知られていないに違いない。そもそも、もし噂が本当だとして、補導されるぐらいなんだというのだ。中学生でも補導される子なんてざらにいる。

奥歯に物が挟まったような物言いは、母が認めたくないからだ。
兄が同性の先輩と恋愛をしていることを。


ぐちゃぐちゃだった頭の中がクリアになった途端、さらに心の奥から大きな大きな悲しみが押し寄せてきた。




みーくんがかわいそうだ。


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