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わたしのおにいちゃんのはなし 20

第二十話


今日は宮ちゃんは塾の日だ。
朝は一緒に来たけれど、雨が降っていたせいもあってあまり話が出来なかった。クラスが変わってしまってからは、朝だけが宮ちゃんとの情報交換が出来る大事な時間だった。
もちろん兄の問題については話せない。そもそもわたし自身、何があったのかはっきり知らないのだから。
それ以外は、宮ちゃんには何でも話した。隠し事や秘密はなかった。少なくとも、わたし側には。


その日の放課後は日直だったため、担任の先生にコピーやら、プリントの綴じ作業を手伝うように言われ、帰る時間はかなり遅くなった。
鞄から折りたたみ傘を取り出した。カバーから引っこ抜くと、雨の日特有のむわっと籠もった臭いがする。わたしは、くさ、とひとり呟いた。
赤いチェックの傘。
わたしは赤とチェックの組み合わせが好きだ。
よそ行きのワンピースも、兄の誕生日に贈ったクッションも、一年の時から使っているペンケース
も、普段使いのハンカチもチェックばかり。雨は嫌いだが、チェックの傘があれば若干気分がマシになる。
家に向かって歩き出すと、後ろから一年生の男子にすごい勢いで抜かされた。その時に肩がぶつかり、傘が前方に2メートルくらい吹っ飛んだ。雨に濡れながら、わたしはぶつぶつ言いつつ傘を拾った。
一年生男子はぶつかったことも気づかず、全速力で走り去ってゆく。たった一年の違いだが、まだ小学生気分が抜けていなくて、やたらと幼く見える。自分もあんなクソガキだったのだろうか、とわたしは舌打ちした。

傘をさしなおして歩き出すと、校門の前で見覚えのある青い水玉の傘がくるくる回っているのが見えた。顔は見えないが、焦げ茶のリュックのおしりで誰かわかった。
宮ちゃんだ。
今日は塾のはずなのに、まだ校門にいる。いつもならとっくに学校を出ている時間だ。急に休みになったのだろうか?まさか、わたしを待っていてくれたとか?自分に都合良く解釈して、わたしは宮ちゃんに駆け寄ろうとした。

その時。
黒い傘をさした大柄の男子生徒が宮ちゃんに声をかけた。
青い傘がすっと傾いて、宮ちゃんの嬉しそうな笑顔が見えた。黒い傘をさしていた男子生徒は、隣のクラスの山岡くんだった。

男子バレー部、二年になってレギュラーになり、試合でもバリバリ活躍する将来が有望な選手。
が、わたしの印象はそれじゃなかった。一年の宿泊学習で、宮ちゃんの髪を引っ張った男。女子バレーの藤尾さんと仲が良くて、結託して宮ちゃんをおとしめた憎い奴。
それで、宮ちゃんは大事に伸ばしていた長い髪を切ったのに。


どうして?


宮ちゃんと山岡くんは、どこからどう見ても彼女と彼氏だった。ふたりは仲睦まじく並んでゆっくりと歩いてゆく。
わたしはふたりに気づかれないように、傘を下げて顔を隠した。思い直して校門に背を向け、用事もないのに校舎に逆戻りした。

自問自答タイムが始まった。

たまたま校門で会っただけかもしれないよ?
いや、明らかに宮ちゃんは誰かを待っていた。
通っている塾が同じで、これから二人で向かうのかもしれないよ?
いや、二人が歩き出したのは宮ちゃんの行っている塾と反対方向だった。
わたしの知らないうちに、山岡くんが宮ちゃんに謝って、付き合いだしたのかもしれないよ?

そんなこと、聞いてない。

気がつけば、自分の教室に戻っていた。
もう誰もいない。
わたしは混乱していた。また、何が悲しいのかわからないまま、じんわりと涙が滲んでくる。
本当は塾があるっていうのは嘘で、山岡くんと帰りたかったのだろうか?わたしに本当のことを言うのが気まずくて、塾があるって言ったのだろうか?
本当のことを言ってくれたら、わたしだって理解してふたりを祝福したのに。

違う。

きっとわたしは、やめなよ、と言っただろう。
一年の時髪引っ張られたのに、あんな乱暴な子と付き合うなんて、と必死に止めたに違いない。
宮ちゃんのことを一番わかっているのはわたしなんだから、と。
でも、そうじゃなかった。わたしは何もわかっていなかったんだ。
宮ちゃんはわたしが止めるのを見越して、山岡くんのことを黙っていた。そしてわたしが下校するのを待って、ひっそり二人で帰ろうとしたのだ。


どうしてこんなに、いろいろなことがうまくいかなくなってしまったんだろう?
わたしは心の中に蓄積されていたモヤモヤが一気にあふれ出すのを止められなかった。

兄と血が繋がっていないこと。

大好きな兄に、同性の恋人がいたこと。

宿泊学習で、アイデンディティを否定されたこと。

兄が、なにか大変なことをしでかしたらしいこと。

そのことを母が恥じていること。

何があったのか真相を教えてもらえないこと。

宮ちゃんに山岡くんのことを秘密にされていたこと。

それが、宮ちゃんなりの気遣いであろうこと。

見たくないものを見て、それを受け入れられない自分の幼さ。


何から整理すればいいのかわからない。
だって、誰も悪くない。
兄が男の先輩を好きになったのも、宮ちゃんが山岡くんを好きになったのも、悪いことなんかじゃない。
置いてけぼりになったわたしの心が寂しいと叫んでいるだけ。
わたしの大好きなひとたちに、わたしより大切なひとが出来ただけ。ちゃんと祝福したいのに、寂しくて悲しくて仕方ない。

わたしは無人の教室で、自分の席に座って静かに泣いた。
ここのところ泣いてばかりいる。



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