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わたしのおにいちゃんのはなし 11

第十一話

わたしと宮ちゃんは、兄たちに言われたとおりに六時には家に帰った。
兄のドラムのことは、わたしも両親には言わなかった。隠しているわけではなさそうだが、助っ人だし、きっと本人も言うつもりもないだろう。

母はご飯をよそいながら、学祭は楽しかったのかとわたしに尋ねた。わたしは当たり障りのないことを話した。実乃里さんのこと、メロンソーダとお団子のこと、ロミオとジュリエットのこと。
兄は後夜祭があるということで、夕食にはいなかった。きっとそれがあるからわたしに早く帰るように言ったのだろう。たぶん後夜祭は、在校生だけのものなのだ。知らないけど。


わたしは晩ごはんを食べ終え、自分の部屋に上がった。
そういえば「君と僕のあの日の恋」の続きを読んでいない。今朝、実乃里さんと待ち合わせする前に宮ちゃんが貸してくれた。最終巻を読んでしまうのは寂しい、でも早く読みたいという気持ちが交互に襲ってきて、わたしはベッドに寝っ転がって漫画を抱いて悶々としていた。

覚悟を決めて、最初のページをめくった。

透司と悠希はお互いを選び、決してその想いが揺らぐことはなかった。しかし高校の卒業が近づき、二人は進路が違うため離れることを余儀なくされる。透司は地元の大学、悠希は東京の大学に通うことになる。
卒業式の後、ふたりはいつもの通学路を逆方向にゆっくりゆっくり歩いていた。別れを惜しむように。


(悠希)


(・・・なに)


(いつ発つの)


(来週の月曜日)


(そっか)


(・・・透司はモテるから・・・大学でも女の子にたくさん言い寄られそうだね)


(・・・は?)


(心配だな)


(お前何言ってんだよ・・・余計な心配すんな)


(だって離れるなんて、はじめてだからさ。遠距離って、関係続けるの結構難しいんだぜ、知らないの?)


(悠希!)



透司は悠希を抱き寄せた。桜の枝から花びらが絶え間なく降り注ぎ、ふたりの髪も桃色に染まってゆく。漫画は白黒だけど、不思議と色が見える。わたしのキュンキュンは最高潮に高まった。


(お前は続けるの難しいと思ってんのかよ)


(透司・・・)


(休みには東京に行く。電話もラ○ンも毎日する。お前が嫌でも)


(嫌じゃないよ)


(心配すんな。俺はお前から離れねえよ。お前は・・・どうかわかんねえけど)


悠希は透司の顔を見上げ、軽く背伸びをしてキスをした。


(ごめん・・・不安で、意地悪言った)


(わかってる)


(離れないから)


今度は透司が悠希の頬を上向かせ、優しいキスをする。俯瞰のアングルの桜の樹の下の恋人たちのコマが終わると、次のページからは三年後のシーンに変わる。わたしは息苦しさを覚えながら、読み進めようとページを開いた。

ちょうどその時、「ただいま」と兄の声が階下から響いてきた。
わたしは漫画を置いて、自分の部屋の扉を細く開けて、兄が階段を上ってくるのを待った。
母とひとことふたこと話して、兄はとん、とんとゆっくりなテンポで階段を登ってくる。兄を待つのがこんなにドキドキするのは初めてのことだ。
兄の頭が見えたところで、わたしはドアを大きく開けて顔を出した。



「みーくん、おかえり」


「・・・おう」


「おこづかい、ありがとう。おかげでいろいろ食べれた」


「良かったな」


「それから」


「ん?」


「エターナル」


兄の足が止まった。明らかに動揺している。


「・・・見たのか」


「宮ちゃんのお兄さんが歌うって聞いたから」


「ああ・・・宮原の妹と仲いいんだっけな」


兄は階段を上がりきって、わたしと向かい合った。少し疲れた顔をしている。
わたしは念のため、声のトーンを落とした。


「ドラムなんて出来たんだね」


「たまに遊びで叩かせてもらってるだけ。今回だけだよ」


「もうやらないの」


「・・・やんないよ」


「かっこよかったのに」


「お前がそんなこと言うの珍しいな」


「わたしだって誉めるときは誉める」


「こづかい分か」


「みーくん、かわいくない」


はは、と笑って兄はわたしの頭をぐりぐりした。珍しい。こんなことされたのは、小学校低学年の頃以来。機嫌がいい証拠だ。
兄は自分の部屋に入り、わたしも自分の部屋に戻った。

そういえば、当初の重要な目的、「フタバさん」を見つけることは出来なかった。厳密に言うと、どこかですれ違ったりしているのかもしれないが、「フタバさん」単独でいたとしてもわたしにわかるはずがないのだ。兄が女性といるのを見かけなかったどころか、彼はステージ上でドラムを叩いていたわけで。
わたしは改めて漫画を読むのに集中しようと、いつもの壁のベストポジションに背中をもたせかけた。
言っておくが、これは習慣であって決して隣の部屋の兄の様子を伺っていたわけではない。だから兄の携帯電話の着信音が鳴ったときも、ああ、電話だ、としか思わなかったのだ。


「もしもし、倫也《みちや》です」


その電話の受け答えを聞いても、まだわたしは漫画の世界にいて、相手が誰なのかは気にしていなかった。


「はい・・・え?見てたんですか?・・・いや、もうやらないですよ。急な代理だったんですから」


今日の「エターナル」のことだ。そのあたりでやっと、兄の電話の相手が例の「フタバさん」ではないかと思い当たった。漫画を胸に持って、わたしは壁に頭をつけた。


「はい・・・はい・・・え?嘘、マジで?」


兄がばたばたと部屋の中を歩き回る音がする。そして続けてがらがらっ、とサッシ窓の開く音。


「いま行きますっ、すんませんっ」


兄は大きな声でそう言った。わたしは漫画を置いて、廊下に顔を出した。携帯を持った兄はわたしに気づかず、ロンTとスウェットにパーカーをひっかけて転がるように階段を降りていった。玄関のドアが開く音がする。

「フタバさん」だ。

間違いない。「フタバさん」が兄に会いに来た!
まさかこんなことが起こるなんて!
宮ちゃん!わたしは家に居ながらにして、兄の彼女を見ることが出来るかもしれない!
まさか玄関のドアからのぞくわけにもいかないので、わたしは自分の部屋の窓を、音が出ないように慎重に開けた。ここからならちょっと身体を乗り出せば、玄関前の様子が見える。

兄の後ろ姿が見えた。その向こうに誰かがいるのはわかるが、いまいち見えづらい。わたしはぐっと身を乗り出した。




「え・・・・・・?」


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