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若年性乳がんの治療、私の場合

こんばんは。romaです。
私の乳がんになった当初を全く書いてなかったから
書き残したいと思います。

私は16年前、若年性乳がん(33歳)" 非浸潤ガン”をしてます。
ステージでいうと0期。すっごい早期!
今は分かりませんが、2004年当時、33歳で乳がんに
なる確率は1%にも行かないほどでした。
若くしてなる場合は、遺伝とかも言われることありますが、親近者に乳がんはいません。


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私の治療は
・手術はトータル3回(局所麻酔1回、全身麻酔で2回)
※取り残しがあったと推測されたため短期間に2回全身麻酔で手術してます

・放射線治療30日+5日
※プラス5日は私の手術の断片結果で "がん" が
取りきれているか微妙‥という判断になり追加で放射。
そして放射線治療は通常30日ですが、
さらに5日、放射線治療期間が延びました。

・タスオミン5年のホルモン療法。
※主治医には、子供を産むなら2年の薬を飲んで
辞めるのも選択としてはあると言われたが、
子供よりも自分の人生を選びました。

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今思えば.....乳がんの治療で
特に辛いということはなかったです。

私の主治医は、早く社会復帰を進めているのか、
私が超早期な乳がんでリンパを取らないから、
入院は1泊2日という短さで退院。
でも、1泊2日で帰ってるなら大したことないの?と思うかもしれませんが、違います。手術で乳房とっているから、術後麻酔から目が覚めてから痛くてあまり良く寝れなかったです。退院して帰るときも、歩くのがすごく痛くて辛かった。
でも家に帰れてよかったです。
しばらくは、寝床から起き上がるのも痛くて辛い日々。

痛さで思うように起きることもできない。なぜか笑いがでたのを覚えています。

その後、全然回復もしてなくて傷が痛すぎるけど、
手術して5日目には会社復帰をしていました。

ですが、歩くと傷が痛くてしかたなかったし、電車移動も少しの揺れでも痛いし涙でそうでした。けど頑張りました。
見た目的には普通に見えるから、誰も電車で席なんてゆずってくれない。会社では私の病気を知らないひとが多かったので、配慮もされず、普通に掃除もしました。
傷が痛くて腕がしばらく上がらなかったですが、知っている人さえ気遣ってくれない会社でした。

手術の後はしばらく数年の間は切った所が痛かったですが、今となっては問題ないです。


放射線の時は印をつけた線を消さないようにお風呂に入ることと、だんだん軽いやけどのようになりヒリヒリしてきたり、洗えない部分の匂いなどが気になり、臭さと共存は辛かった‥。
放射線は病院に土日以外は、毎日・同じ時間に通わなければいけないのが大変。
会社側の配慮があり毎日通うことができたのは幸いでした。

ホルモン療法は、タスオミンの薬を毎日一回、必ず決まった時間に飲むのを5年続けました。5年過ぎて、薬を終了してから、何故か子宮内膜症(チョコレート嚢胞)になってしまい、因果関係は分かりません。

治療は終わって、今ままで再発や転移もなく過ごしてます。

私の寿命があとどれくらいか分かりませんが、毎日を気分良く過ごすようにはしてます。

今日はこの辺で(^^)

最後までお付き合いありがとうございます!


2004年に若年性(33歳の時)の乳がんになって18年目にです。心のつぶやきをここに書き残したいと思います。もし、私のつぶやきがあなたの参考になればサポートありがたいです。私自身の経験に使用して、皆様にお話しできればと思います。 私への支援はもっとありがたいです。