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ちょっとくらいの嘘なら悪くない

息子たちが幼い頃、「片づけたはずのおもちゃがない」「ここに置いたはずのおもちゃがない」と、毎日のように私のもとにやって来ては嘆いていた。私は、いやいや君たちはきちんと片づけてないぞ、ここには置いてなかったぞ、と心の声を隠しながらそのおもちゃを見つけ出していた。「こんなとこにあったんか」と驚く息子たちに私はいつも、「そらぁおもちゃかて、あんたらの見てへんときに動くわな」と言っていた。

そんな息子たちが3才と6才だったとき、映画に連れて行こう、ということになった。観るのは「トイ・ストーリー」である。その頃にシネコンなどあろうはずもなく混雑が予想されたので、郊外のショッピングセンターにある劇場の朝いちばんをねらって行ったら、案の定、客席は半分強くらいのうまり具合だった。わくわくムードの中、映画が始まってしばらくしたときに、6才の息子がそこそこの音量で「やっぱりお母さんの言うとおりやったんや、おもちゃは動くんや」と叫んだのだ。私は、ひぇ〜なんちゅう声を出すねん!と思ったが、同時にそういう気持ちでこの映画を観られるのはしあわせなことで、ちょっとくらいの嘘なら悪くないなと確信したのである。

最近の私はもともと持ってるうっかり度がどんどん増してきて、「ここに置いたはずの財布がない」「さっき持ってた携帯電話がない」と出かける間際にイライラと探し回ることが日常茶飯事だ。そういうとき、決まって思いもかけぬところから出てくるのだが、何を隠そう私がその思いもかけぬところに置いたのである。そんなことは重々承知の上で見つけ出した財布や携帯電話に向かって声に出して言ってみる。「そらあんたかてたまには動きたいわなぁ」そうするとさっきまでポンコツすぎる自分にイラついていたのに、なぜかすーっと気が楽になるのだ。

ちょっとくらいの嘘なら悪くない。

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