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海猫沢めろん『ディスクロニアの鳩時計』雑感

ネタバレ警報発令! 
ネタバレ深度は3くらいです(速報値)。
いますぐ逃げてください!

 闇の小説、というものはあり得ない。
 書かれている内容がいかに暗かろうと、それが書かれれば、文字が光を放つからだ。
 だからめろん先生は、ご自分でも「闇の小説!」とか言って喧伝してはる、けれども、ほんとはご自分でも、この作品が純度百パーセントの闇でないことは、ご承知のはずだ。
 この作品はふつーに幼女をレイプするシーンからはじまるけれども(しかも挿入だけじゃなく人体破壊もあり。拉麺でいうぜんぶのせ)にもかかわらず光の小説である。は? なんで? って思うでしょ。というのも、分類すると、小説は光と闇よりも下位にあるから。小説のなかに光と闇があるんじゃなくて、小説というもの自体が、光に属しているから。
 えーと、わかる? どーいうことかっていうと、まあ光と闇とかいうでっかい言葉で話はじめちゃったからこんなややこしい説明せんとあかんのだけれど、それはごめん。
 つまり、あるひとりの人間が作品をつくりあげ、それをだれかに見せた時点で、その内容がどんなに暗く陰惨で残酷なものだったとしても、それを読む誰かは、その作品を「見る」。
 ってことは、その作品は、光を放っているわけだ。
 だって、光ってないと、見えない。
 だからほんとうの闇の小説というのは、書かれなかった小説であり、書かれなかった小説は存在しない。したがって、闇の小説は存在しない。そーいうことを言いたかったわけです。
 じゃあなんでそんなこと言いたかったの? っていうと、やっぱり作品が「闇の小説」みたいな雰囲気してるからだよね。言うてまうとある男がある幼女を無限回レイプするお話なんだけど、その男はじつは×××でしかも幼女は×××だから憎しみのベクトルが×××に向いてしまって、時間の円環が閉じざるをえないわけ。それ以上の発展の可能性はない。なんべん宇宙が開闢しようが関係ないのよ、というのもその系は閉じちまってるから。幼女のおまんこみたいにね。いや、幼女のまんこは構造上は開いてるか……。
 だけど、その閉じた無限の時間が、驚くべきことに、非常に美しいイメージでもあるんだな。
 あのさ、どんなに暗くてひどいものでも、それが見えるってことは、作者が彼の思想のランタンを持って、おれたちを人類未到の汚辱の大洞窟につれてってくれるからなんだよ。
 ぼくは自慢やけど、この作品が引用しまくってる古今東西のえらいさんの本、ぜんぶ読んでたから、っていうかほんと引用されてるもんぜんぶ読んでたうえに、あ、こいつおれも好きやで、ってパターンってこの本くらいちゃう? やっぱりめろん先生とおれって好み似てるんやなあ! とか思うんだけどそれはよくて。とにかく、読んでもうてたから、ぼくはいっぺん行ったことのある場所にもいっぺん行って、ああ、そう言うたらこのおっちゃんこういうこと書いてはったなあ、うんうん、おもろかったよな、みたいな気分で読んだんだけども。でも、そういうのまだ知らん、十代の少年少女がこれ読んだら、がちでぶっとぶと思うよ。えっ、おれのまわりのおっさんおばはんみんなあほばっかりやのに、こんなえらいこと書いてたひとらも、おったん? って感じになると思うよ。
 つまりさ、この小説がどういう仕掛けかっていうと、闇の小説でっせ、みたいな感じでめろん先生が読者をたぶらかして、お化け屋敷に連れてって、そのお化け屋敷のスタッフであるびっくり仰天なこわいひとたちが、存在論と時間論でぶいぶい言わしてる、えらいおっちゃんらなのよ。
 まじでおれ、これ十代のころ読んでたらしょんべんちびってたな、と思う。ほんまに怖いもの。
 だけどおれはもう大人やし、そのお化け屋敷のスタッフのおっちゃんらの本も読んでて、怖がらせる思想のタネも仕掛けもだいたいわかってたから、作者が手にしたランタンの明かりを頼りにして、うわあ怖いすね、ああそう言うたらこんなんありますねほんまようできてますよね、みたいな感じでまあ大人的な反応で通したんやけど、それでもさ、大人のおれだって、先生のランタンの光があるからこそ、この怖くてたまらん暗闇のなかを歩き通せるわけやんか。おもろいのよ。そして、だから小説ってぜんぶ光なのよ。それは発表されなかった小説でさえそう。書かれたとたんに、意味の光が世界を照らして読者に見えるわけやから。闇の小説っぽいものが、あるとしたら、未分化のまま心のなかでぐつぐついってるエネルギーみたいなもんなんやろうけど、それは事実上存在せえへん、だってそれは書かれてないんやから。だから作家が一文字ずつタイプしていく行為はぜんぶ光をつくることなんよね。いやまあしょぼい光量のもんも世の中には死ぬほどあるけれどもね、うすぐらーい、なに言うてるんかわからへんやつもあるけど、でも光量だけが問題なわけちゃうやん。つまりこの小説はめろん先生がつくった存在と時間をテーマにしたお化け屋敷で、先生の文章がそのランタンやねんけど、そのランタンの光量がちょうど、ほんまに、作家の腕で計算されたこれぐらいの光量やから、めっちゃいい雰囲気出るわけですよ。おい、そっちのくらーい隅っこ、なんかおるで、って作者がいう、読者がそっち見る、あっ……うわああっ! な、なんやこの思想! こっわ! で、おれはもうほんま、ごめん、大人やから、そういう反応じゃなくて、あーここでハイデッガーか、なるほどなあ確かに、ここにこう置くと怖いな、って感じやってんけどね。
 でもそれは冷めた感じじゃないよ、おもろいやん! って思いながら読んでたよ。つまり、お化け屋敷のアーティステリーに感心しながら読んでた。ごめん、そんな横文字の言葉ない。Artistery ってつもりで書いたんやけど、なかったわ。
 あっ、あったわ、Artistryやわ、e がない。アーティストリーね。芸術家の手腕、って意味やった。おんなじこと言うてるだけやったな。
 とにかく言いたいのは、現段階では一般書店の流通にのってない状態のこの本を、ほしいと思うくらいのフリークで、四千円ぽんと払えるくらいの金もってるイカレた大人たちも、じゅうぶん楽しめます。でもぼくはほんと、こういうの、少年少女が読んだらすごくいいと思う。お子さんへのプレゼントに、どないでっか。読ましたら絶対いい子に育つよ。
 あ、でもただひとつ、印象批評しとこ。中盤くらいで、鳥彦がゆずちゃんをレイプするシーンあったらよかったな。何しても大丈夫そうなアホ女やし。あのさ、ある種のテンポを持った長編小説読んでるときって、たまに股間、むずむずしません? 頭んなかで登場人物たちが乱交パーティーはじめたりとかさ。
 あ、でもよく読んだらあいつは×××しかレイプ、せえへんかったな。うん、そうやな。そうしたら、一途ってことにもなるもんな。あー、なるほどな。
 あれや。ほら、おまえらパンピーの好きな純愛や。よかったやんか。死ね。ほな、もっぺん読んでくるわ。またな!
 
 

↑予約分にほんの数冊キャンセル出たらしいんで、見はってたら、ここで買えるかもしれんらしいです。

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