29歳には29歳のグルーヴがあるねん、オリジナル版でいてまうか? とも思ったが、しかしそれは小説にはまったく関係がない

Kraftwerkの"Radio-activity"あるいは"Radioactivity"を引用するので悩む。1975年に発表されたオリジナルでは、Radioとactivityのあいだにハイフンが入っていて、「放射能」とも「ラジオ電波上における活動」とも読める、言ってみれば言葉遊びが用いられている(ドイツ語版でもRadio-Aktivitätで同様)。

東京のタワーマンションの残骸を昇りながら主人公がこの曲を口ずさむというシーンだけは決まっていたのだが、実際どのバージョンの歌詞のどの部分を引用するかで悩む。

1975年版のジャケットにDKE38が用いられていることからもわかるとおり、メッセージングというか、意味を伝えるものとしてのRadio-activityの有毒性が、当時はKraftwerkの念頭に置かれていたように思う。

ラジオ電波に乗って伝えられる目に見えない情報が人々の感情を動かしていくさまに、目に見えないが致死性があるエネルギーらしい放射能を重ねて、恐怖を描こうとしたことがわかる。

しかし1992年にManchesterで行われたStop Sellafield Concert(Sellafieldというのは、めちゃくちゃおおざっぱに言うと、イギリス版青森県六ヶ所村)のバージョンでは、大サビ(?)の"Radioactivity"のまえに"Stop”という単語をはっきりと追加している。反原発、反原子力のメッセージが、この時点で明確になっているわけだ。

そして2012年のNo Nukesというフェスティバルのバージョンでは、すでにみんなが忘れてしまった/それを知らない9歳未満のこどもたちが雨後の筍みたいに増えている2011年の福島の件を受けて、歌詞が日本語に変更された。

(これに関しては、めずらしくこういう言い方をするが、日本語を心で愛するものとして、悲しい。クラフトワークが日本語で歌うのは"Dentaku"だけでよかったのに。カシオの電算機への少年の憧憬……まあ、仕方ないか。これはどっちかというと人類全員の責任なのだ。電算機も原発も、根はおなじだしね。)

話を戻すと、どのバージョンの歌詞のどの部分を引用するかである。はじめのうちは、"Radio-activity is in the air for you and me"(レイディオ・アクティヴィティは空気のなかに、きみとぼくのためにある)をもらっていたが、のちの物語の展開のために主人公がドイツ語を知っていなければならない必要が出てきた。それでドイツ語の歌詞から拾い、"Radio-aktivität
wenn's um unsere zukunft geht"(ラディオ・アクティヴィテットはぼくたちの未来になる)へと変更しようとしたが、変更するにあたって最新版のことが気に掛かり、調べてみると、ヘボン式で表記されたこの歌詞――"Nihon demo houshanou, Kuuki mizu subete"(日本でも放射能、空気、水、すべて)には、わかりやすさと迫力があると思い、これにしようかと思った。

しかし小説のメッセージとしては最初の英語がいい。圧倒的にいい。しかしプロットの展開上はドイツ語のほうがいいし、読者が読んですっとわかる迫力としては日本語がいちばんいい。

困った。どうすればいいの。うっうっ(泣)。

わらにもすがる思いでラルフ・ヒュッターの生年から逆引きしたら、オリジナル版の発表はかれが29歳のとき。奇しくもいまのおれと同年である。うん。だいたいこういう作品を書くのって29歳なんだよな。腹立つ。ええわ。29歳には29歳のグルーヴがあるねん、オリジナル版でいてまうか? とも思ったが、しかしそれは小説にはまったく関係がない。で、どないすんの。……今日の仕事はこれで終わり。

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