『すべてが繋がれた世界で』episode2 副読/参考資料

前回にひきつづいて『すべてが繋がれた世界で』の参考資料を挙げる。

これでやっと一区切りつく。旅行に行きたい。長年がまんしていたおしゃれをして、陽の当たる大通りを歩いて行くのだ。冬かよ!(さまぁ〜ず三村風つっこみ)

疫病かよ!(さまぁ〜ず大竹風つっこみ)

……何だった?

そう、あるときおんぼろの車に乗って琵琶湖の湖畔にたどり着いた。日が暮れていて、なにも見えないくらいだった。湖畔と覚しき輪郭にぽつぽつと、砂粒のような灯りが連続している。そこに大学の先輩と居合わせた。彼女のあけすけな感じと、ひとけのない湖畔の寒々しい取り合わせが妙に心に残っている。おれは煙草を喫おうとして、燐寸で自分の手を焼いた。「えーっ! 大丈夫!」と彼女は言った。

「LOL的な煽りピン」は"League of Legends"から来ている。みなさん、野良でのToxicなBehaviorはやめましょう。「弱いやつほどよく吠える」。ただしクラン戦、スクリムの時などには、身内にも相手にもどんどん言ってやりましょう。責任の所在が明確だからね。どうしたってスポーツはしばき合い、煽り合いだ。そういうものだ。だったらちょっと言ってやるくらいがスパイシーでいい。けど野良はだめ。主体がないから、誰が言ったんだかわからない。人類が嫌いになる。公式戦なら、大舞台なら、大いに煽れ。

瑠璃光院二階で引用した古今和歌集の仮名序は、言葉にかかわるすべての人間が深く心に刻むべき名文でございます。いやあ、感服。これが何百年前の文章なの? 人類の悲哀をここまで物狂おしく表した文章があるだろうか。一文字ずつ写しながら泣いた。

リエフの命名はちゃんと話していなかったが、フランス国民標語である"Liberté, Égalité, Fraternité"(自由、平等、友愛)のアクロニム(?)であり、選択的共産主義の標語としてもいる。血まみれの革命のあとに誕生し、名付けられる政治体制について、これ以上のものを思いつかなかった。不覚どころの話ではない。恥ずかしくてしょうがない。ああ、おれが世界を救えればよかったんだが。

「紫の上にひどいことをしましたよね?」は『源氏物語』、「片腕を一晩お貸ししてもいいわ」は川端康成「片腕」からの剽窃である。紫式部は正直次元が違いすぎてセーフ(というか、存命でも笑って許してくれたと思う)だが、川端先生は生きていたらおれのことを速攻で嫌いになっていただろう。山の音がする鎌倉のお宅に呼び出されて、じっと見つめられたりなんかして……というか、そもそもだが、ご存命ならこんな失礼な盗み方はしていない。冥途にいるから微笑んでくださるのである。どんな罰も甘んじて受ける(土下座)。

Jアラートの文面は、われわれの現実の全国瞬時警報システムの文面からまるまる書き写した。どんな文章も、このサイレンと機械音声の怖さにはかなわない。周到にデザインされた「怖い」音を作ること――これこそが、呪われた聖なる仕事だ。誰一人この音を二度と聞くことがありませんように、と、はらわたを裂きながら念じている人間が作る音だ。脱帽。

文化は誤謬である、のくだりは、スタニスワフ・レム『完全な真空』の「誤謬としての文化」から借りている(やっと文庫になったから買ってね!)。本文ではゴーレムの話をまるまるカットしたので正直唐突な気がしなくもなかったが、綿貫の人類にたいする奇妙な愛憎は恐ろしいほどレムにそっくりなので、えいや! と採用した。

"All your base are belong to us."が出てくる理由は正直自分でもわからないが(!)、なんといっても未来なのだから伝達にかかわる新語はどんどん採用しよう、という態度のあらわれか? 暗黒微笑とかジト目とかも使った。全般的にミームが当世から見てもやや古めなのは綿貫の好みだろうな。執筆中はさすがに草までは行かなかった。いまなら使ってもいいと思うくらいだが、間に合わない。

「インフォメーション・パラドックス」のアイデアはKurzgesagt – In a Nutshellに明確に端を発している。このあたりは小説の根幹にかかわるのでほどほどにしておくが、この小説が採用しているのは同ビデオが提起する仮説の第三番、「宇宙はホログラムである」。まあ実際だれも確認できないから考えたって仕方ないんだけど、たとえこの宇宙が終わっても、情報は失われないでいてほしい。なにかの形で、この宇宙を越えて、おれたちがやったことが永遠に記録され、影響しつづけるのだと思いたい。そうじゃなきゃ、どうして、こんな苦しみがある?

綿貫が富士市でフリークスを射殺するのは、ジョニー・キャッシュの"Folsom Prison Blues"の、あの衝撃的な一節に照応する。当該箇所を引用し、抄訳する。

But I shot a man in Reno just to watch him die
でもおれはそいつが死ぬところを見るためだけにリノで男を撃った

暗号鍵としてのオールド・ファッションドは飲む前に決めたが、味の描写はAloe Blaccの名曲"I Need A Dollar"の一節、「ぼくの親友ウイスキーは、太陽よりも暖かい」から影響された。曲に出てくるウイスキーはオールド・ファッションドではないが、酒瓶の底に希望を見いだそうとする人間が行うウイスキーの味の描写として、これにまさるものはないと思う。描写そのものもそんなに間違っていなかった――入稿のあとで飲んで、砂糖はそんなに溶けないことがわかったが、綿貫の飲んだやつは氷が入っていないから、もうすこしよく溶けるだろう。実際そんなことばかりだ、この仕事は。

綿貫が発見する〈::1〉はおれたちの世界に現存する大御所、IETF(インターネット・エンジニアリング・タスク・フォース)が表明したRFC(リクエスト・フォー・コメント)第4291番2.5.3にて定義されている"The Loopback Address"である。つまりそれは綿貫に、人類ひとりひとりに、もともと備わっていたものだ。当該箇所を引用し、抄訳しよう。

The unicast address 0:0:0:0:0:0:0:1 is called the loopback address.
It may be used by a node to send an IPv6 packet to itself. It must
not be assigned to any physical interface. It is treated as having
Link-Local scope, and may be thought of as the Link-Local unicast
address of a virtual interface (typically called the "loopback
interface") to an imaginary link that goes nowhere.

一対一の送受信におけるアドレス0:0:0:0:0:0:0:1〔筆者注:これは::1と略して書くことができる〕は、ループバック・アドレスである。これは、あるノードによって自分自身にIPv6のパケットを送信するために用いられる。このアドレスはどのような物理的インターフェイスにも割り振られてはならない。このアドレスはリンクローカルスコープとして取り扱われる。また、リンクローカルの一対一送受信における仮想インターフェイス(しばしば「ループバックインターフェイス」と呼ばれる)として、どこにも繋がっていない想像上のリンクとして機能できる。

(最後のほうがわかりにくいが、つまり、自分自身に何らかの用事があり、それを既存の通信システムを通じて行いたい場合、この〈::1〉というアドレスを使えば便利ですよ、という意味。自分の存在を確かめるために、自分の電話番号に電話をかけたり、自分の住所に手紙を出したりするときにはこれを使うといい、みたいな感じ。)

The loopback address must not be used as the source address in IPv6
packets that are sent outside of a single node. An IPv6 packet with
a destination address of loopback must never be sent outside of a
single node and must never be forwarded by an IPv6 router. A packet
received on an interface with a destination address of loopback must
be dropped.

IPv6を通じて行う他者への通信において、ループバックアドレスを通信の送信元のアドレスとして用いてはならない。ループバックの宛先をもつIPv6のパケットは単一ノードの外側に決して送ってはならず、またIPv6ルーターに転送してもならない。受け取られたパケットがループバックアドレスを宛先としていた場合、そのパケットはドロップされなければならない。

(つまり、相手や郵便ポストや電話交換手にとって::1はかれら自身を指してしまうため、このアドレスを送信者として記名した情報をポストに投函したり、電話をかけたりしてはいけない。というのも、それが届いたどこかの誰かにとっては、書いた覚えのない手紙が自分から届いた、電話を取ったら受話器から自分の声がした、みたいな感じになり、システムがばぐってしまう。あなたはわたし、わたしはあなた的な、人称の混乱が起こってしまうのだ。ここで綿貫が落ちたのは、世界とのあいだのパケットがドロップされなくて、ブロードキャストストーム状態に入ってしまったからだろう。体温を測れば四十度は超えていたはずである。)

択捉経済特区はものすごく直接に『Ghost in the Shell』の諸作品から引っ張ってきた。そこに『Cyberpunk 2.0.2.0』の味付けをしている。アヤサカ社は正しくはアラサカ社。これはふつうに覚え間違いをしていました。書籍化したら直さないと(汗)。

主人公ふたりが北海道を旅するあたりで我慢できず、綿貫に「やれやれ」と言わせ、花奏に「おっ。いるかホテル?」とツッコませたりしたが、御大がご存命なのでやめた。どうやら「存命の作家はあけすけに引用しない」という自分ルールがあるらしい。ここで言ったら意味がないような気もするが、そもそも楽屋裏だ。ああ、長生きしてください!

〈塩の柱BOYZ〉は、そうするなと約束していたにもかかわらず、冥界から去るオルフェウスが最後に最愛の女を一目見ようと振り返ったため、神の怒りを買って塩の柱に変えられたという逸話と、銀杏BOYZへの愛から来ている。「あなたは綾波レイが好き」。

ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』は、入稿の直前にある部分を加筆して、そのあと編集者からの連絡までのみじかい時間でたまたま読んだ。その加筆の部分がおどろくほどこの作品と近いことをやっていたので、びっくりした。まあ因果関係はいい。ようするにおれは、世界がこんな悲惨なことになっているのは言語というプロトコルが不完全だからだ、にもかかわらず誰もなにもしないから全然だめだ、と密かにぷんおこしていた。しかし世界中のいろんなひとが、それこそバベルの塔が崩壊した三千年の昔から似たような問題意識を抱えていたと、この本には書かれていたのだ。だったら仕方ない!(仕方なくないけどね)

綿貫と花奏が第一部の終わりに歩いていく、最北端の宗谷の浜辺は、Fleet Foxesの新譜/映像作品"Shore"(岸)の一曲目、"Wading In Waist-High Water"(腰の高さの水をかき分けながら歩いて)のビデオの映像を見てもらえればわかりやすい。浜辺はときにこのような凄味のきいた顔を見せることがある。こういう風景はこの文体の小説に詰め込んだら長くなりすぎるので、書いておいてからけっきょくは省くのだが、剪定した切り口にも読者はなんらかの味を感じるだろうと納得するほかない。歌っているのは信子。バックコーラスは綿貫と、彼らの子供たちとしようか。それくらいはいいだろう?

歌詞の拙訳――

[Verse 1]
Summer all over / 夏は終わった
Blame it on timing / 間が悪かった
Weakening August water / 弱まっていく八月の水 
Loose-eyed in morning / 朝のたるんだ瞳
Sunlight covered over / 陽の光が覆っていく 
Wading in sight of fire / 炎のなかを足を引きずって

[Chorus 1]
And we're finally aligning / ぼくたちはやっと足並みを揃えた
More than maybe I can choose / たぶんぼくの望みよりずっとうまく

[Verse 2]
Soon as I knew you / きみを知ったとたん
All so wide open / すべてが広く開かれた
Wading inside of fire / 炎のなかを足を引きずって
As if I just saw you / いままさに見たようだ
Cross Second Avenue / きみが二条通を横切って
Wading in waist-high water / 腰の高さの水を分けて進んでいくところを

[Chorus 2]
And I love you so violent / きみへの愛はあまりに激しい
More than maybe I can do / たぶんぼくができるよりずっと深い

[Outro]
Now we're finally aligning / いまぼくたちはやっと足並みを揃えた
More than maybe I can choose / たぶんぼくの望みよりずっとうまく

このバンドのフロントマンであるロビン・ペックノルドはおれより五つお兄さん。でも、十年前にはすでにたいへん売れていた。そういうところから苦しんで脱却して、これだけのいい曲を書いてくれた。Fleet Foxesのニュー・アルバム"Shore"は、この暗澹たる年の夜空に輝く吉兆である。

この小説を書いているとき、おれは平穏を識った。いまは迷いもなく、たいへん清らかな気持ちである。日々すこしずつ文章を書く。緩むこともあれば、うまく書くこともある。おれはそのようにして生きていくだろうし、そうすることが幸せだ。

したがって、第一部の主人公として、八面六臂の活躍をしてくれた綿貫鉄兵には、深く感謝しなければならない――この場を借りて彼の冥福を祈る。

ここから物語はあまりにも暗いほうへと進む。〈贖罪の日〉、大規模ネットワーク障害、選択的反出生主義。おれたちが望んだのは、子供たちに痛みのない眠りを与えることだったのか? いや、そうではない。人間は生きなければならない。生きなければ、世界が終わってしまう。

ありがとう、綿貫。やっとおまえの小説が出た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?