あの頃は両手サイズの映画館があったんだ

初めての映画体験は映画館のふかふかのシートの上ではなくて、VHSを差し込んだビデオデッキと長方形のブラウン管の前、父のやかましい解説付きというものであった。しかもそれもまだまだ幼い、たしか四歳ぐらいの頃だっただろうか、父が好きで持っていた「うる星やつら劇場版2 ビューティフルドリーマー」であったので、私の屈折したサブカル好きは類まれなる環境で育まれたと言っても差し支えはないだろう。

中学二年生の頃、身の丈に合わぬ私立中学校などというものに自ら望んで進学した私は、あまり愉快ではない学内環境に身を置いていた。愉快でないことを詳細に述べても仕方がないので省くが、部活にも入らず飛び帰るように学校から帰っていた私が近所にGEOが開店することを知ったことから事は始まる。
当時のGEOは画期的であった。
旧作レンタル100円。
サブスク全盛の今においてこのインパクトは伝わり辛いが、旧作の映画を一週間も借りられて100円でいいというのだ。もっと欲張りなさいよ。
私は辛く逃れようのない現実からまさしく目を背けるように駆け込んだ。並ぶのは知らない名前の映画ばかり。しかし父が時々熱く語っていた記憶が道標ともなった。セガールが出てる映画は面白いらしいということや、ジャッキーの作品はNG集があるとか、マッドマックスは1が面白いのに2から変な方向にいってしまったとかとか。父の道標を頼りに、あとは気になる名前の映画を手に取りつつ、私はGEOの会員カードを手に入れた。

しばらくした頃、私が学年内でドベから三番目の成績を取って、母が青ざめた表情で赤鬼となって怒り狂っていた頃である。私は貯めた小遣いで小さなDVDポータブルプレイヤーを買った。最近では夢グループが売っているあれである。あれをJoshinで買ってこっそりと部屋に持ち込んで、GEOで借りてきたDVDをセットしてイヤホンを差し込んだ。
家族も寝静まった中、好きな深夜ラジが始まるまでの2時間ほど、私は毎晩両手サイズの映画館に腰を下ろした。呆れかえった先生の顔も、提出する気もない補習課題も、その映画館には入ってこれない。
私は旧作の中でも洋画、特に戦争ものが好きだった。カラーであればフルメタルジャケットに地獄の黙示録、プラトーン、プライベートライアン、タクシードライバー、ナバロンの嵐も観たし、白黒のものにまで手を出して頭上の敵機、西部戦線異常なしなどは記憶に残った。

そんなわけで面白いものも奇妙なものも退屈なものも色んな旧作を観たわけだが、私の記憶に深く突き刺さって、今もささくれのように思い出される作品が二つある。
ドイツ映画の「ノッキンオンヘブンズドア」と有名な「羊たちの沈黙」である。

ノッキンオンヘブンズドアを初めて見つけた時、私の目を惹いたのはパッケージに書かれたキャッチコピーであった。
「天国じゃみんなが海の話をするんだぜ」
イチコロでひとめぼれの釘付けである。内容もなにも見ぬままレンタルしていた。こちらで内容を書くことはしないが、ドイツに行った友人いわくドイツでは国民的な映画らしい。
「天国じゃみんなが海の話をするんだぜ」
しかしまあ、こんなに良いコピーがあるものだろうか。このコピーが付いた時点でどんな話も名作になりそうだ。スタンドバイミードラえもんのコピーもドラ泣きなど書かずにこれにするべきであっただろう。

一方で、羊たちの沈黙は前評判をもって借りた映画であった。タイトルからして小難しさ全開のその映画は心理的ハードルが高く、またパッケージも少し不気味なものなので、私は手に取りながらもレンタルを数回見送っていた。だけれどもどうも気になる。借りるべきなのか父に聞きたかったのだが、父も私の学業成績による反抗期に怒っていた。赤鬼とまではいかないが橙鬼ぐらいにはなっていた。簡単に映画の話をできる雰囲気ではない。
そこで、私は一計を打つことにした。
「今度学校で羊たちの沈黙って映画観るんやけどどんなんか知ってる?」
父は威厳たっぷりで答えた。
「黙って一回見てみろ」
映画の内容を知る皆様におかれましては、私が如何に狂ったことを言ったかおわかりになるでしょうが、あんなものを学校で流すわけがない。父もおそらくわかっていただろう。
私の小癪な策に『羊たちの沈黙を観させる』というアンサーで返したというわけだ。
当時中学三年生である。私は画面に釘付けとなり、震えた。その震えはハンニバルレクターの凶暴性、ハンニバルボウの残忍さ、そのどちらから来るものでもない。震えは静かなワンシーンがもたらした。
それは映画の最後のこの場面である。
ここから二行だけネタバレ注意。

姿を消していたハンニバルレクターからクラリスへと電話がかかってくる。ハンニバルレクターは羊の悲鳴が止んだかをクラリスへ聞き、そうしてどこか異国の、賑わう通りの中へと姿を消していく・・・・・・。

くぁー!かっこいい!思春期真っ盛りのあたくしの感性のアンテナにバチバチ響く。
こんな!いかれた殺人鬼が!どこかの通りに名もなき者として!いるのか!
最後のエンドロールが流れる時、私は革命としての映画を知った。革命とは社会構造に対しての変革のみでなく、個人の感受性が持つ色調をがらりと入れ替えてしまうような変革としての革命もあるのだ。
あれはまさしく後者であった。
鬱屈とした思春期の、自覚するほどに鋭敏で持て余してしまうほどの感受性は、羊たちの沈黙の華麗なラストによってびりびりに痺れてしまった。
以来私はどのような文章であったり小説の真似事のようなものを書いている時でも、そこにあのシーンを重ねずにはいられない。あのように華麗な描写とは如何なるものか。そこに執着している自分に気付きながらも諫めることはできない。

父が狂ったように幼少期の私に見せたうる星やつらビューティフルドリーマーに関しては、後に私が機動警察パトレイバーから押井守にハマるということで遠回りながらも父からのメッセージに応える形になった。私が押井守の映画の中で好きなものは『紅い眼鏡』で、最も観た押井守作品となれば『御先祖様万々歳』となるだろう。もし、勇敢な方で紅い眼鏡について語り合いたいという方がいらっしゃいましたら是非とも狭いトイレの中で語り合いましょう。おわり。

#映画にまつわる思い出

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