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かわいいとは何か

 私は、「かわいい」という言葉を褒め言葉で使う。最近思ったのは、かわいいという言葉にはたくさんの意味が込められているということだ。例えば、赤ちゃんや動物に対してかわいいと思うのは「愛くるしい」とか、「癒される」という意味も込められているように思う。今の季節では、真新しいスーツを着た若い人を見かけると「さわやか」「眩しい」という意味も込めて、かわいいなと思う。そして、夫が頑張って料理をしている様子を見て、かわいいと思った。これには愛おしいというか、応援したいような、守ってあげたいような気持ちから生まれた「かわいい」だ。

 ただ、夫には不評だった。私の「かわいい」に、相手を見下すような要素があるというのだ。「かわいい」は誰でも嬉しい褒め言葉だと思っていたので意外だった。自分の意図しているものと伝わり方が違う、そういうつもりじゃないんだよと伝えたが、うまく説明できなかったので、ちょっと調べてみた。

可愛い(かわいい)は、日本語形容詞で、いじらしさ、愛らしさ、趣き深さなど、何らかの意味で「愛すべし、愛嬌がある」と感じられる場合に用いられる。また、「かわいそう」と関連するという考え方もある。
現代語の「かわいい」に該当する古語の「かはゆし(かわゆし)」は、「いたわしい」など相手の不幸に同情する気持ちを指す。

Wikipediaより抜粋

 とても驚いた。私は全肯定の気持ちで「かわいい」という言葉を使っていたが、相手の不幸に同情する気持ちを指すこともあるのか。なぜ「かわいい」という言葉にそういう意味を含むようになったのか、語源についても記載があったので読んでみた。

「かほはゆし(顔映ゆし)」が短縮された形で「かはゆし」の語が成立し、口語では「かわゆい」となり、「かわゆい」がさらに「かわいい」に変化した。「かほはゆし」「かはゆし」は元来、「相手がまばゆいほどに(地位などで)優れていて、顔向けしにくい」という感覚で「気恥ずかしい」の意であり、それが転じて、「かはゆし」の「正視しにくいが放置しておけない」の感覚から、先述の「いたわしい」「気の毒だ」の意に転じ、不憫な相手を気遣っていたわる感覚から、さらに「かはゆし」(「かわゆい」「かわいい」)は、現代日本語で一般的な「愛らしい」の意に転じた。

Wikipediaより抜粋

 「かわいい」という言葉は、こうやって変遷してきたのか。相手をただ全肯定するだけではなく、付随する繊細な気持ちの動きも含まれていることが分かった。それも、最初に書いた「癒される」「愛おしい」と思うポジティブな気持ちだけでなく、「不憫だ」とか「気の毒だ」などのネガティブな気持ちも。

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 私は仕事の性質上、小さい子と接することが多い。小さい子は、本当にかわいい。泣いていても、ご機嫌でも、何をしていてもかわいい。ただ何となく思っているのは、小さい子の考えているであろうことを無視して、「何をしていてもかわいい」という大人の感情のままで接してはいけないだろうということだ。具体的には、小さい子が泣いているのに、それを見た大人たちが笑うこと。小さい子にとっては必死なのだ。「かわいい」という感情を持つことは問題ない(それに、事実かわいい)が、それを当事者に当てはめるのはよくないのではないだろうか。 
 MIU404という綾野剛さんが出演していたドラマで、「俺はお前たちの物語にはならない」というセリフがあった。最初はあまり注目していなかったが、SNSでたまたま見かけたドラマレポを見て、このセリフが『受け手側の感情や考えに当てはめて、相手を語ってはならない』というメッセージのように感じた。

 少し脱線した気もするが、「かわいい」という褒め言葉に思える言葉でも、相手にとっては褒めているかどうか分からない。エスパーでもない限り相手の思いを尊重するのは難しいが、とにかく対話して、考えるしかないのだろうな。

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