education
education. (エディケーション)辞書で引いてみると、教育・教養・学歴、または教育学・教育組織とある。
ロルフィングは、身体教育と解釈・説明されるコトもあるが、自分にとっては、何か、引っかかる感覚がある。正直、あまり好きな言語ではないのだろう。教育するのもされるのも、嫌いだ。
そこで、言語としての成り立ちを、背景から紐解いてみようと、ググってみた。
ただしここでも、少々引っかかる。引き出すことを目的として、意図的に他者と関わり、導くことが教育なのだろうか?これまでロルフィングにおいて、自分が興味を持つ講師たちは、そこまで面倒見の良い、おせっかい者はいなかった。それにより、不安や寂しさなど感じたコトは、皆無だ。
個人的に理想とするロルファーとは、何かを引き出すキッカケを創り出す黒子で良い。闇の中に、ライトを照らすだけで十分だ。自らが新たな気付きを得て、立ち上がり、歩き出すことが重要だ。
今歩いている路。これから行こうとする場所。自発的な欲求から湧き出る、己自身の偶像。それをただ、再確認してもらうだけだ。
この惑星において、自分自身だと思い込んでいる媒体。それは、個人が所有している體だ。だが決して、あなた一人のものではない。
こんなことを思い付くことも、パオラとの出会いがなければ、どうだったのかわからない。彼女の人生経験において、多様な味わいがブレンドされた理論により、形成がなされたものが共鳴し、書かされているのかもしれない。
いよいよ、後一月後に迫ってきた Gravity Project 2023. ムーブメント・マニピュレーション共に、若干名の枠は残っています。自発的に自らで照らしだす時間。Educationの語源に沿って、進められていくクラス。なぜならば、彼女は生粋のイタリアン。そう、人生的背景はラテンだ。