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だから結果が出ないのです。そこから脱却するコツ

今朝、こんなポストをFacebookにしました。

「頑張ることを目的化しない」

頑張ることができる、というのは大切なこと。

だけど、頑張っているから偉い、頑張っているから良い、頑張っているのだから認めてよ、というのはちょっと違う。

頑張ることを認めてもらえるのは小学生低学年まで。その頃の頑張りは求めている結果に直結しやすいから。

その後は結果に繋がらなければその頑張り自体を評価したり、されたりすることでは伸びてはいかない。日本ではそこを大切にされがちだけど。

何のために頑張るのか。それは目的があるから。
ではその目的は誰のためのものなのか。

社会?業界?家族?友達?

違う、自分のためです。
自分のためなんですよ。

だからこそ、もう20歳を超えたら結果にこだわらないと。

上手くいったなら、その理由を考えて再現性を高める、またはより効率を上げる、

上手くいかなかったら、その理由を考えて次は求める結果に必ず繋げるための行動計画を立てて、行動する。

自分がこうしたいから、という思いがあって行動に繋がる。

だから、「なぜ」自分が行わなければならないのか、ということがきちんと説明できる。

それが軸となる

軸を持つ人は強い、それは自分の想いを言語化できるまでに昇華しているから。

言語化できるということは行動に繋げることができる、ということ。

頑張っている、というのは自分が使う言葉ではなく周りが「頑張ってるね」と声かけしてくれるもの。

でも当人は「いや、別に頑張ってはないけど?」といえるくらいのものなんです。

頑張ってやっている、から
当たり前にやっている

そして
結果を出すために当たり前のことを当たり前にやっている、ということ。

今日から道場にはロシアから青年グループ24名が来館して共にお稽古に。彼らは頑張って日本に来たわけではない。

日本の文化、ロシアとの違い、そして源流となる合気道を自分が知りたいから、遠い海の向こうからやってきて、時差ボケも言い訳にせず朝の6時過ぎには道場に来て、共にお稽古をする。

なかなかできることじゃないよな、と側から見ていて思う。

すごいな、頑張るなぁ、って思う。でも彼らは頑張ってない。
「だって来たかったから。ワクワクしてる」
そんなもんなんですよね、機会を活かせる人の思考って。

結果にこだわらずに頑張ることの弊害

僕のいるトレーナー、セラピスト業界は「結果にこだわらない」ことで生まれている弊害があると感じています。

ここでいう「結果」というのはクライアントの身体に対する身体の変化や気付き、ということではありません。

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