日々忙しく過ごすことの弊害
人間というのは贅沢なもので
暇であれば忙しくなりたいと思い
忙しければ暇になりたいと思う
そんな生き物です。
ではどちらの方がより良い状態か、というと暇で忙しくなりたいという状態の方が、忙しくて暇になりたいという状態よりもずっと良い。
なぜなら、暇ならば忙しくなるように自ら予定を組めばいいから。
「暇だー」と声高に言っている人の問題点は、恐らく選り好みをしているからだと思う。
(やらなきゃいけないことがたくさんあるのはわかっているんだけど、それは自分のやりたいことじゃないから)「暇だー!」、と()の部分が大きく省略されているのではないかな。
じゃあ、自分の「やりたい」でその時間を埋めてあげたらいい。
「そんなお金ないよ」というかも知れないけれど、お金のかからない「やりたい」をすればいいし、自分の「やりたい」にお金がかかるなら、それのためにお金を稼げばいい。
全ては自分の「やりたい」という想いから始まっているのであれば、大抵のことはできるはず。
だから、ある意味物凄く恵まれている状況とも言える。
それよりも問題なのは、忙しすぎて暇が欲しい、という状況。
これは心身の健康、という観点からもそうなのだけれど、忙しすぎる、また忙しくしている状況というのは、他のものが入ってくる余裕がない、ということ。
すると、自分の世界が狭くなる。
すると、いつの間にか「忙しくしているのが当たり前」になってしまい、そのループから抜け出せなくなってしまう。
「だってしょうがないじゃないか、忙しいのだから」と
それはまるで、檻の中にいて輪の中を走るハムスターのように、一生懸命に動いているけれどどこにも進んでいない状態。
忙しくしていると、充実感や充足感がある。
特に個人事業主のように、自分の好きなことをベースに仕事をしている人は。
ただ、裏を返すと休むと収入が途絶えるから、という恐れや不安を抱えている人も多い。
それを見ないようにするために、忙しく動き続けていること。
それが、忙しくしていることの大きな弊害ではないだろうか。
「嫌だな」
「変わりたい」
「もう限界」
そう口にはするけれど、いつまでたっても具体的な行動をとらずに、何年も同じことを言い続けている人もいる。
変わる、というのは怖い。
それは本能に逆らう行動だから。
今の状況であれば、良くも悪くも慣れ親しんだものだから、不測の事態は起きづらい。
それが、変わるための一歩を踏み出したらいきなり未知の世界に足を踏み出すことになる。
僕たちの脳は予測できないことを嫌う。
未知なことは危険に繋がる可能性があり、それは生命の維持に危機をもたらすことを意味するから。
でも、現代社会において、自分の命が危機にさらされるということはまずない。
命の危機にさらされるとしたら、むしろその場から動けなくなった時、他に選択肢がないと思わされている時ではないだろうか。
渦中にいると、冷静な判断もできないし、動く体力すらない。
だからこそ、普段から
「こうありたい」
そう思える人たちと一緒に過ごすこと、自分の周りを固めておくことが大切になる。
そうすれば、自分が望まない方向に引っ張られることはまずないから。
忙しくしすぎている時は、忙しくて当たり前、という人としか繋がっていられない。
だから外の景色を見ることすらできなくなってしまう。
他の選択肢や価値観を受け入れるスペースがなくなってしまう。
それが「忙しく」していることの安心感に身を任せてしまう最大の弊害。
変わりたいなら、まずは一歩踏み出そう。
普段のルーテーィーンから、少し異なることをやろう。
自分の心の中にある「すき」や「やりたい」「ワクワク」の声を聞いて、その芽を潰さずに実行しよう。
その積み重ねが、今いる場所から少しずつ歩む、きっかけとなり、勢いをつけていくことになるはずだから。
具体的な行動だけが、未来を作るから
そして、その未来はあなたがつくるものだから
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