noteに現れなかった間。
時代の変遷。
ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
一家に一台の黒電話から、ポケベルを経て、一人一台の携帯電話へ。
絶対王者だと思ってたテレビさえ、ネットの動画配信に取って代わられようとしている。
メールやSNSが現れて、手紙とか年賀状とかどうなっていくのかな。
さて先日、ウェブニュースでこんな記事を見つけました。
僕と同年代くらいの方は「MD、あったね〜」って思い出してもらえるかと^^
僕は高校からバンドを始めて以来、行なってきたライブの音源記録はほとんどこの「MD」という媒体に保存してきました。
その前時代は「カセットテープ」で、前時代の「聞くためのレコード」に対して「録音できる」って点では実に画期的ではあったんだけど、カセットには「劣化しやすい」っていう難点があった。
てゆうか当時は音質や劣化とかは意識してなくて、その次にMDが出てきたことによって、その差を知ることになったんだけど。
ちなみに「CD-R焼く」なんてのはもうちょっと後の話、記録媒体としてHDが出てきたり、クラウドなんて概念は理解もできないような、ミレニアム前の話でございます。
さて、話が脱線してしまいましたが、noteに現れなかったここしばらくは、引きこもって「MDに記録された音をPCに取り込む」という作業をしていました。
再生できるプレイヤーも、いつ無くなるか、わかんないもんね。
って、前述のニュース記事を見て思ったので、ハードオフでMDデッキ部分が壊れてないMDラジカセ(ジャンク品)を買ってきて、日々ちまちまと。
何せ、ラベリングされてない正体不明なMDディスクの数が結構あるもんで、
まず聞いて中身を確認し、
→要るもの要らないものを整理して、
→音量や音質とかを聞きやすく調整して保存
という手順をすべてに踏むと、だいぶ時間がかかった、というわけです。
しかしながら、当時の「活動の記録」って残し継いでおかないと、もう「手に入れる」ことなんてできないわけで。市販の楽曲は手に入れられるけど。
なので、ここぞと意を決して、取り掛かったわけでした。
「いつか」「そのうち」と思いつつ先延ばしにしては、いつまでもやらない。
地道にすすめて、バンドのライブ演奏音源だけでひとまず100曲ほど取り込んで、ようやくひと段落したところです。
しかし、まだ残ってる。むむむ。。
なんか、ラジオパーソナリティしてた数年間分の同録音源とかも出てきたぞ。
うーむ、やりかけたからには完遂してしまいたいが、なかなか途方もなさそう。。
引っ張り出したMDたちが未だ散らかっておるな。。。
そんな最中、MDの中に「過去につくった楽曲のデモテイク」なるものが、色々出てきまして。
かなり粗々な出来だけども、若さがスプラッシュして、エネルギッシュ。
ひと通り聞いてみて、これを「過去のもの」として葬り去るのはもったいない、と感じたのでした。
僕自身この歳になって、「自分の適した在り方」みたいのが何となくながらわかってきまして。
僕は「食材」があれば料理が色々アレンジして作るのが得意、みたいな人間で。
逆に、何もないところから何かを生み出すタイプの人間ではなく。
「アーティスト」ではなく、「デザイナー、エディター」な感じが得意技。
そんな僕に「食材」が与えられたわけです。
20年前につくった楽曲は、「こんなのつくったっけ?」と記憶にないほど客観的で思い入れのない「自分のものじゃない」、それでいて、どう料理しようと誰にも文句も言われない紛れもない「自分のもの」であって、おぉこれは「食材さえあれば料理できる」僕にとっては、うってつけのオモチャじゃないですか!
よし、いいアイディアの種を手にしたからには、音楽制作だッ☆
…ということで、いつの間にかMD取り込みから脱線し、「過去デモ曲をリメイクして形にする楽曲制作」に没頭し始めた、今日この頃です。
部屋の片付けを始めたのに、模様替えをし始めてた感じです笑
ま、でも、これはよい流れです。(自己弁護)
MD取り込みはまだ「整理」でしかなかったけど、楽曲制作という「生産活動」にシフトできたのは、自分的にかなり前向きな感じがしてます。
楽曲がまとまったら、せっかくだから今のご時世の流れを体感するためにも、「楽曲の配信」とかにトライしてみようと思っています。
20年前にはそんな機会もなかったからね。ここでも、時代の変遷を感じます。
思えば20年前、「MDが無くなる未来」とかは考えてなかったことを思うと、今HDやクラウドに保存しても、また数年後には何か新しい媒体に移し替えなきゃいけない時がくるのかもしれない。
物質的な「ガワ」は時代とともに、入れ替わっていく。
そこから飛躍して「人生」を考えたとき、自分の「肉体」というガワもいつか朽ちる。時間は否応なく進み、必ず「死」はやってくる。
肉体は、MDみたいなもんなんだ。
けど、言葉や思考、音楽とか形のないものは、媒体を替えても残り継いでいけるんだなぁと、一千年近く前に書かれた「方丈記」を読んだことも重なって、あらためて思ったのでした。
だから、僕はそういうものを「残していこう」と思った。
大袈裟にいうと、「生きた証」みたいなやつ。
それが、僕がnoteをはじめたきっかけだったし、今、楽曲制作に気持ちが向いたときに、音楽もそうだなって思った。
…ま、それが世の中に必要かどうかについては聞くなかれ、ですが笑
僕はこんなふうに生きたと、満たされて死ねるものを残す。
あわよくば、誰かの記憶にも残ってくれたら嬉しいかな、と。
…って、や、特にまだ死を迎える状況とかでは全くないですよ笑
そういう「心持ち」「心構え」ということです。
インプットを欲しての「読書」から、引きこもってやってた「MD整理」、そしてそこから「楽曲制作」というアウトプットへ。
それらはつながって、それを通して「人生」をも考えた。
…という、久しぶりのnoteにして、なかなかのディープ&散漫な内容ですねw
特に結論とかもなく、長々ごめんなさい^^;
駄文お付き合いいただきまして、ありがとうございました*
皆様の暇つぶしにでもなれば、幸いです。
では、またタイミングが来たら現れます^^
最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。