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人間は考える葦である。

昔、付き合っていた女の子に、

結局答えは「2」になる「1+1」を、
すごく難しい数式で考えてて、
何をやってるかはわかんないけど、
難しく考えてるのはわかる。

って言われたことを思い出しました。

どうも、「考えすぎる」僕です。
表題はパスカルです。

不意に襲ってきた大雪処理と子どもの学級閉鎖がようやく明け、やっと落ち着いてnoteにも向かえている感じです。

考えざるを得ないこの頃の世界情勢を眺めながら、頭の中で色々なことを考える。1日に6万回思考すると言われている人間の脳内、回数は同じなのかもしれないけど、事が事だけに、その思考の振り幅が飛躍して脳内を飛び回っているような感じです。
しかも除雪と子守に体を取られ、それをアウトプットできない鬱屈した期間を過ごしていたので、思考だけが密室脳内でスプリングホッパーの如く加速して、「こりゃあどこかでガス抜いとかないと」と思い、今日の記事を書いている次第です。

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なので、特に「結論めいたところに行き着いたからそれを伝えたい」みたいなものではなく、自分的に脳内思考のガス抜きで健康的なバランスを取るのが、今回記事書く目的なのかもしれません。

そう、「精神上、健康であること」って、とても大事だと思う。
その上に「幸せ」とか「平和」があるのだと思います。
なので、穏やかで変哲なくても、それを保ってられるように生きることを、この頃は心がけている感じです。
それが、「考えすぎる」僕が至った、今思う「答え」というか。
「幸せって、まずは心が健康であってこそ」だなんて、「1+1=2」なくらいに当たり前すぎるかもだけど、自分なり生きてきた上での経験則というか帰納法的な教訓で、歳を重ねるってそういうことなんだなと。
若い頃は机上シミュレーションとして、きっと僕は常に「1+1=2じゃない」って可能性をつぶす作業もやらないと気が済まなくて、その作業が傍から見たら「難しい数式」に見えたんだろうなぁ。みつを。

…ってほら、思考の赴くままに記事にしてくと収拾つかない方向に行きそうになっちゃう。ちゃんと目的を明確に「これについて書く」ってやんなきゃダメですね。


…そういえば流れで一緒に思い出したんだけど(結局思いつくまま書いてますが、本日ガス抜きなのでご容赦ください-人-)、冒頭の言葉を言われた女の子とお別れした後の僕は酷く落ち込んで塞ぎ込んで、一日中動かずに抜け殻になってたような時期があって。
どこまでも深く懐疑するような思考に至って、それが所謂「哲学」みたいなものだと知ったのはそこからなんだけど、例えば「自分って何なんだろう」から始まって、「どこからどこまでが自分なんだろうか」って、考え始めた。

例えば車を運転している時は「車両感覚=自分」みたいな感覚を当然にしてるのに、一方で、切り落とした爪はもう「自分」の一部ではなくなったり。メガネは自分から生じたものではないけど自分の一部?…だとしたら髪の毛は?腕は?内臓は?肉体は?とか、痛覚の問題?所有の意識?…色んなパターンの「難しい数式」で相対的に比較して「自分」を証明していった結果、今これを考えている「精神」しか残らなくなってしまった。

その時ふと頭をよぎったのが「我思うゆえに我あり」という言葉。デカルトでした。「そういう意味だったのか」と、新しい扉を見つけた感覚になったのを覚えています。

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…って、何の話してるのかワケわかんないですね。。。
「思考する」って上で、哲学的な部分って大事だなと思っていて、無意識にそんなところにまで話がぶっ飛んでしまった。。
これが「思考の脳内飛躍」というやつですw


日々を暮らす中で、この小難しい哲学というものを「常に意識しなきゃならん!」とは、僕自身も思ってはいません。
そんなことしてたら、疲れるでしょ^^
それこそ「精神的に健康」な状態でいられない。と僕は思う。

けど、しっかり向き合って「なぜ?」って考える思考ルートは、脳内に持っているべきだと思うんですよね。始終使うわけではなくても。
哲学的な思考って、大事だと思うんですよ。

それこそちょうど、このステイホームで子どもの国語の宿題を見ているとき、問題の中に「このときの気持ちを答えなさい」という選択肢があって、子どもが「この中に当てはまる答えがない」と言ったので見てみると、ふむ、見る限り確かにそうだった。
抜粋されている問題の文章からは、「正解の解答」が示しているものは読み取れない。

「何で、この答えなの?」

僕も納得できなかったので、担任の先生に聞いてみることにした。…うむ、いちいちめんどくさい親だ。自分が担任の立場だったらそう思うだろう、きっとマークされたに違いないw

ま、結局、問題ミスだということがわかって決着したんだけど、僕としては「正解の解答がこうだからってことで圧力ままに受容せず、ちゃんと考えて納得に至ること」っていうのを体験できたのが大事だと思ったのでした。
こういうところから、「哲学的思考」っていうのが生まれていく。
「流行ってるから」「みんながそうしてるから」を理由にしないで、「なぜ流行ってるのか」「みんなはそうしてるけど、自分はどう思うか」ってことを考えるような子になってほしいな、とあらためて思うことができたわけでした。
ま、僕みたいなめんどくさい人間になっちゃわない程度に、ほどほどな感じで育ってくれよと。。f^^;


…って、何の話をしてたんだっけ?
やっぱ、目的なしにただ書くってのはよろしくないですね。。。
哲学じみたところまで及んでしまいましたが、とりあえず書いて放出できたことでちょっとは脳内ガス抜けたかなと思うので、僕的にはよかったです。

最後に、哲学つながりで最近読んだ本。漫画だけど。

「哲学って、なんぞや?」と思われた方は是非このあたりから。
って、僕も哲学なんて専門的に学んだことはないんですけどねw


駄文にお付き合いいただきました心優しい方、ありがとうございました^^


世界が、穏やかな日常を取り戻しますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!頑張って書き重ねていきますので、是非またお越しください。