【鬼凪座暗躍記】-最期の宴-『其の弐』
揺れる蝋燭、釣灯篭、紫烟くゆらす沈水香、八面玲瓏玉簾、須弥壇覆う緋毛氈、白磁の瓶子と八つの酒盃、閼伽が写すは弓形弦月、円座を廻る運命盤、基軸きしませ八字を描く。
――では、お集まりの皆さまがたには、どうあっても承知して頂けぬのですな……致し方ない。かくなる上は、私も捨て身で、職責を全うさせて頂きますぞ! お歴々の栄誉と尊名に傷がつくのも、当然と覚悟なされ! よろしいか!
――待たれよ、左大臣! それではあまりにも理不尽すぎる! 貴殿の方こそ今一度よく考えなされよ! これが事実なら、国家の屋台骨をも揺るがしかねん一大事なのですぞ!
――私は刑部省右判官として詮議し、役職上の視野から鑑みて……これらの証拠品は、確かに信憑性が高いと感じます。先刻、皆さまがたにもご紹介した生き証人……彼を取り調べた結果も然り。いや、むしろいよいよ鮮明に、恐ろしい真実が露呈されてしまったわけです。ただ、現時点での公表は、ことがことですから、はばかられ……かといってこのまま、例の宅守に気狂いのフリをさせ続けるのも不可能……無論、口封じなど絶対に許されぬ行為です。私だって人の親だ。信じたくはなかった……しかし、ここまで証拠を提示されては、最早、信じざるを得ません。是非を問われ、決断を迫られれば……私には、それをこばむことなどできません……まさしく、断腸の思いです!
――相判った……嘘偽りではないと、その点は認めよう。しかしだな、どんなに不出来な愚息でも、儂には見捨てることなどとてもできん! ましてや、そなたのように自ら斬り殺すなど……はっきり云って、正気の沙汰とは思えん! 儂はそこまで非情になれんな!
――まったくだ……私も王君に同感です! 貴殿には、まだ二人もご子息がおられるが、私にとっては、かけがえのない一人息子なのです!
――啊、こんなことになるなら、奴を婿になど迎えるのではなかった! 少傳殿の前だがこの際だ……非礼を承知で云わせてもらうぞ。あの浮気者の奸物が犯した所業の数々で、我が家の体面は丸潰れだ! これまでに、娘が受けた屈辱とて計り知れん! 貴殿の莫迦息子は、どこまで我々を苦しめれば気がすむのだね!
――おやめなさい、司令官殿! あなたにしてみれば確かに、とんだ災難だっただろうが、実父である右判官殿の方が、あなたより何倍もつらいのだ! 少しは口を慎みなされよ!
――太鑑殿、どうなされた? 貴殿からもなんとか云ってくださいよ! よりにもよって、愛しい吾子の処分法を云々だなぞと……こんな莫迦げた会合、来るんじゃなかったわい! 非道い話だ! 理由はどうあれ、承諾できるものか!
――私はただ、殺された数多の人命を思えば苦しい……胸が爛れるようです。貧富や階級、出身で人の命に差をつけるなど……天帝の教えを民草に伝える神祇官としては、まったくもってあるまじき行為! だからこそ、つらい!
――高庇の死、恥辱の断罪……親愛を取るか、名誉を取るか。究極の二者択一ですな。他に、もっといい方法はないのですか? 平和的かつ穏便に解決する手段は! そうだ……まずは本人たちを呼び、事情を問いただしましょう!
――聞いたところで如何なさるつもりかね? 云いわけ次第では悪行に目をつむるとでも、仰られるか? それでは到底、殺された民草が浮かばれませんぞ、侍従長殿! 己の血縁者だけ特別あつかいで罪をかばえば、天凱府十万余人の信頼を一気に失うこととなるでしょう! 一部の狂人がため、劫初内全体がこうむる被害は甚大です! 激しい内乱にもつながる危険を孕んだ種子ならば、せめてまいた我らの手で、刈り取るより仕方ありません!
――六官殿の仰る通りだ……彼らの罪は、我らの罪! 私は決めましたぞ! ことここに到っては最早、心を鬼にするしかないのです!
――娘が哀しむ姿を見るのは忍びないが、奴らの行った罪状は……断じて許しがたい!
――返す言葉もありません……今となっては、子の出来なかったことが幾許かの幸いでした。矢面に立つのは私一人で充分! この苦悶も断罪も、甘んじて受け容れる所存です!
――愛する息子の生死を、たった一晩で分けるなど……酷く、つらく、哀しく、非道な決断ですな! だが私は決して、あきらめませんよ! 皆さまがたに白眼視されようと、蔑まれようと、私は絶対に、署名血判など捺しません!
――結局、議論は平行線ですな……御一同、どうか私に強硬手段を取らせてくださるな!
宴席に残った六人は、その後もくだらない与太話を続け、時間を潰した。
よほど、あの娘が気に入ったのか、圭琳はいつになく遅い。
しびれをきらした好色の彩杏が、次の間へにじり寄る。厚い板戸に顔を近づけ、耳をそばだてるが、なにも聞こえてこない。仲間たちは呆れている。
「もう半時経つが、上手く姦ってっかな?」
「のぞいて見ろよ」と、隆朋がけしかける。
「莫迦! お前ら、圭琳に殺されるぞ!」
出歯亀志願者を、厳しく牽制する翔雲だ。
「それにしても、だいぶ、冷えてきたな」
神無月の宵である。寒がり朱茗は身震いした。
「そろそろ広縁に出した榮旬を、迎えに往ってあげましょう。彼は頑健なようですが、意外と風邪を引きやすい」と、乳兄弟の陬慎が心配そうに、障子戸の向こうを気づかった。
「喂、早く誰か往け」
副首領の翔雲に命じられ、またも無言で立ち上がる佑寂。
彩杏は、退屈そうに大あくびだ。
「折角の濡場は見そこなうし、つまらねぇな!」
しかし、佑寂が障子戸を開けた途端、酔い覚めの榮旬が、自力で広間に戻って来た。
「畜生、誰だよ! 俺を外に放り出しやがったのは! ハ、ハッ、ハァックショ――イ!」
顔をしかめ、榮旬は派手なクシャミを三連発。その勢いで、夜風に舞い散る紅葉が数枚、彼の僧衣からすべり落ちた。榮旬は、大笑いする仲間たちを睨みつつ、しきりに首筋をかきむしった。季節外れな虫に刺されたらしい。そこだけ、ポツリと赤く腫れ上がっている。
「哈哈ァ! 莫迦は風邪ひかないってのは、やっぱ迷信だったんだなぁ! 榮旬僧正殿!」
太鼓腹を揺すり、朱茗が甲高い声で笑った。
「ほざくな! 赤ら顔の豚野郎!」と、榮旬が拳をかざし、呑み助を威嚇した時、奥の間の板戸が開いて、ようやく圭琳と麻那が現れた。
仲間たちを見渡し、ニヤリと嗤う圭琳の白面美貌は、桜色に上気し、汗も浮かべている。
詰衿長袍は着崩れ、元結髷も乱れている。
「喂、圭琳。此度は随分と、時間をかけたじゃねぇか。首尾の方は、どうだったんだ?」
あけすけな彩杏の質問に、仲間たちの興味も湧いた。
圭琳の姿を見ただけで、淫猥な褥の情景が想像できて、七人の気も昂ぶったのだ。
「皆、すまんがこの女……俺一人で愉しむことに決めたぞ。あんまりいい女なんでな、お前らに回してやる気が失せたのさ。悪く思うなよ」
圭琳が発した予想外のセリフに、仲間たちは仰天した。
いや、変化は麻那の方が顕著だった。
圭琳のあとから、うつむきがちに広間へ出て来た麻那は、彼の左腕にぴったりと寄りそい、満足げな微笑すら湛えているのだ。奥の間へ入る前は、屈辱と絶望に堪え、唇を噛みしめていた女の表情が、束の間の閨事で逆転したわけだ。
「圭琳! 一体、どんな秘伎を使ったんだ? 確かに君は、女に好かれる美男だが……」
「のちのちまでの参考に、是非ともくわしく、ご教示頂きたいモンだな! 圭琳先生!」
「やけに静かだったが、簡単に女をなびかすなんて、凄ぇことしてたんだろ、圭琳君!」
変われば変わるものよ、と呆気に取られながらも、圭琳が臥処で用いた妙伎に、皆の関心がつのる。だが圭琳は、彼らの愚問を一蹴した。
「勝手に想像して、愉しむんだな」
圭琳は七人を無視し、麻那の耳元へ唇を押し当てる。麻那は、うれしそうに腰をくねらせた。そんな二人を見比べ、仲間たちは不思議そうである。
すると翔雲が、皆に向けのたまった。
「莫迦! 女の芝居に決まってんだろ! 俺たち八人で輪姦されるより、色男の圭琳一人に取り入って、玩具にされる方が、なんぼかマシって計算さ! 周りを見てみろ! 俺や彩杏、陬慎はまだいいが……朱茗や佑寂、隆朋や榮旬に責められるのは、女にしてみりゃあ、キツイ話だろ!」と、痛烈に毒づく翔雲だ。
後者で名指しされた四人は、口々に不平を訴えたが、確かに美形とはほど遠いご面相だ。
「女が欲しけりゃ、母屋に注文しろ。麻那は、俺の女だ。もう、手放す気がなくなったのさ。お前も、俺が気に入ったんだろ? 麻那」
圭琳に細い頤をつかまれ、麻那は媚びるような眼差しで「はい」と、うなずいた。
先刻のよそよそしい態度とちがって、かなり大胆である。
「女か……へっ! どいつもこいつも、みんな同じさ、つまらん! なにかもっと面白い趣向はないのか? そういう思案は得意だろ、陬慎君」
彩杏にせっつかれ、総髪の柔和な聖真如族閹官は、ヤレヤレと肩をすくめて苦笑した。
「彩杏君、いつもの退屈病がブリ返したみたいですね。困りましたな。次の仕事の日時を決めて、そろそろ宴会もお開きにしますか」
陬慎の皮肉めいた返答に、またもむくれる彩杏。圭琳は、思い出した風に翔雲を顧みる。
「啊、仕事ね。そうだな、いつがいい?」
翔雲は腕組みして考えた。父王に習った現在の職席上、最も時間に余裕のない翔雲だ。
武門に優れた彼の都合次第で、他七名も仕事をやりくりし、決起するのが常である。
「むずかしいな……親父、最近は俺の素行に、やたらとうるせぇんだ。ウチの親父は知っての通り、公明正大、謹厳実直、クソがつくほどの真面目男だからな。下手に動いて万一、行状を知られたら、こうだ。かばい立てなんかしてくれねぇ。慎重にやらねぇとまずいんだぜ」と、己の首を斬る身ぶりをしつつも、翔雲は冗談っぽく笑っている。
「苦労するな、翔雲君。俺ンとこの親父殿なんぞ、ドラ息子を完璧に信用しきってるからなぁ。騙すのなんて、たやすいモンさ」と、酒盃を投げて、障子に穴を開けたのは朱茗だ。
「右に同じ。親父の目は、典薬医道一本しか見えてねぇ節穴さ。看破される危険はないね」
隆朋も真似して、酒盃を障子に投げ始めた。
「家はもっと非道いぜ、朱茗君。親父は妾狂いで、滅多に帰らん。俺のことなど眼中にないのさ。哈哈、笑えるだろう? あの六官吟味方隋申忠隊の長官が、猿面で女を抱いてる姿、一度じっくりと、拝んで見たいものだぜ」
今宵初めて口を開いた佑寂は、父親を罵る辛辣な語調に、憎しみさえ含んでいた。
黄家の親子仲の悪さは、仲間内では周知の事実だ。
「私のところは母親の方が問題でしてね。間男がいるのですよ。その濡場を私に目撃されてしまい、母親の権威は失墜。今では私の命じるまま、帳尻合わせのニセ芝居。憐れな女だ。陵守太鑑の厳格な父上に見つかれば、私もろとも、母の死罪はまぬがれないでしょうな」と、陬慎は無感動な声音でつぶやいた。
ともに暮らした榮旬は、陬慎が母親にいだくゆがんだ愛情を知っているため、そっぽを向いて、ため息をもらした。
「俺が捕縛されても、困る奴はいないだろう。親父は抹香宗大僧正……遊女に産ませた俺の存在自体、目の上のコブなんだからな。己は知らぬ存ぜぬで徹し、女犯罪の証明ともいえる邪魔者を、まんまと闇に葬れるって寸法だ。僧門くぐって、判ったのさ。坊主なんて、どいつもこいつもクソ以下だぜ」
実父に会いたい一念で抹香宗の僧籍に入った榮旬は、その悲願を果敢無く踏みにじられ、失望していた。直接対面する機会は、ついに与えられず、今や破門間近の瀬戸際にまで追いつめられている。ひねくれるのも無理はない、と云いたいところだが【刃顰党】の一員として手を染めた悪逆な犯罪を、正当化する理由にはならない。
「一番可哀そうなのは、生家の親父だろうなぁ。捕縛した凶賊一味のメンツに、放蕩息子の顔を見つけたら、親父殿……心臓麻痺を起こして、昇天しちまうかもしれねぇよ。なんたって、これ以上の不祥事はないもんなぁ。ま、なにかと口うるせぇ義父殿の体面を、泥まみれにしてやれるんだって考えりゃあ、少しは気も晴れるが……露顕する前に退け時を見きわめねぇと、ヤバイぜ」
彩杏の実父は刑部省上位右判官、婿入り先の義父は南方治安部隊・総司令官である。
まさか息子の悪行で、父の名誉がいちじるしく毀損されているとは、双方夢にも思わぬはずだ。実父の身を思うと、弱腰になる彩杏だった。
「考えてみりゃあ、こいつが一番幸せかもな。親父殿は宮内大臣【光禄王】だし、妾腹とはいえ正妻ババァに息子ができなかったから、目に入れても痛くないほどの可愛がりようだ。国政の礎【十王太傳】ともなりゃあ、法を曲げる権限だって持ってる。可愛い息子をかばうためなら、全権用いてでも事件のもみ消し、裏工作に着手するだろうぜ。あの大甘親父殿なら、やりかねん。そう思うだろ、圭琳坊ちゃま」
翔雲の鋭い舌鋒に、圭琳は眉をひそめた。
「悪酔いしてるのか、翔雲。嫌味も好い加減にしろよ。終いにゃ殴るぞ」と、執拗に脇腹を小突く悪友をいさめ、圭琳は唇をとがらせた。
「愉しそう……一体、なんのお話ですか?」
不意に麻那が口をはさみ、男たちは息を殺した。
客に関しては殊更、口の堅い高級料亭だが、宴席においた侍女の前で、平素悪事の密談を続けるとは……彼らも、いささか軽率すぎた。
「圭琳! その女、やはり輪姦すぞ!」
「口封じだ! こちらへよこせ!」
彩杏と榮旬が、勢いこんで立ち上がった。
「今更……口封じもなかろう」と、脇息にもたれ、煙管を吹かし始めたのは、翔雲である。
圭琳は、おびえる麻那をかばい、鷹揚に答えた。
「心配するな。こいつは俺が連れ帰り、面倒見ると決めたんだ。ここの主人にも、すでにそのむね、了解を取っておいた。だから俺の命令なら、なんでも従うってさ。そうだよな、麻那」と、圭琳に見すえられ、麻那は真顔でうなずいた。
「はい。私……貧乏な暮らしはもう嫌です。旦那さまにつき従えば幸せに暮らせると信じ、一緒に往くと決めたのです。ですから、旦那さまの大切なご学友である皆さまに、迷惑をかけるような愚挙は致しません。麻那は生涯、旦那さま一人の者と誓ったのです」
夢見心地で語る麻那の言葉に、嘘や芝居の影は見えなかった。
ゆえに、仲間たちは長嘆息した。圭琳の倦みやすい性質、悪辣な気質を知り尽くしているだけに、彼女の真心が無惨に蹂躙される修羅場が、早くも目に見えるようだ。
「そうかい。まぁ、精々励んで、飽きられねぇように、体伎をみがくこったな。お嬢さん」
翔雲の投げやりな忠告を無視し、麻那は圭琳の肩にむつまじく寄り添ってみせた。どうせ金目当てだろうが、それにしては慈愛に満ちた麻那の眼差しが、やけにまぶしかった。
「やはり一番の果報者は、あなたですよ」
陬慎に苦笑され、圭琳は少し照れ臭そうだ。
仲間の哄笑、悪ふざけ、目隠し鬼、帯引き合戦、酒呑み音頭、食器を鳴らし、唄い踊り、てんやわんやで更け往く深夜。退け時を知らぬまま、青年官吏八人の歓楽は延々と続いた。
そんな祝宴の佳境、予期せぬ形で水注す者が現れようとは、誰一人思わなかったはずだ。
しかし確実に、終幕は近づいていたのだ。
ー続ー
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