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神さまなんて大嫌い!①

 【汪楓白おうふうはく、最愛の妻に逃げられるの巻】



『旦那さま、私……強い殿方とのがたが好きなの。あなた、ご存知でしょう?』

――うん、勿論だよ、凛樺りんか。だから僕も、強くなろうと努力して来たんだ。

『だけど結局、あなたには無理だった……いつまで経っても、あなたは弱くて情けない夫』

――そんな……僕は僕なりに、君にふさわしくあろうと、頑張って来たんだよ?

『私が掏摸すりの被害に遭っても、あなたは犯人を、捕まえようともせず……』

――仕方なかったんだ! 相手は匕首あいくちを持ってたし、深追いするのは危険だと……。

『私が化他繰けたぐり(ヤクザ)にからまれても、あなたはヘラヘラ笑って見てるだけ……』

――ちがうよ! 熱くなって挑発に乗るより、なんとか場を収める方が得策だと……。

『私が転んで怪我をした時でさえ、あなたは少しも労わってくれないし……』

――そうじゃない! 抱き上げて運ぼうとしたんだが、その……意外と重くて……。

『とにかく! 私、もう決めたの。あなたより、もっと強くてたくましい殿方と夫婦になり、今度こそ幸せになるって……そして、ついに見つけたのよ。私の理想通りの殿方を』

――ま、まさか……僕と別れるって云うつもりじゃ……。

『あら、察しがいいのね。そうよ。もう、あなたとは暮らせない。この人と出て往くわ』

――ちょ、ちょっと待ってくれ! 誰なんだ、そいつは!

『この人は、宮廷武官の《楊榮寧ようえいねい》さま。私の、運命の相手なのよ』

――そ、そんな! いきなり絶縁状なんて、あんまりじゃないか! 凛樺! お願いだから、もう一度、考えなおしてくれよ! 僕は君のことを……心から愛しているんだよ!?

『そのセリフ、もう聞き飽きたわ』

哈哈ハハ、悪いが凛樺さんは頂いて往くよ。君も男なら、潔く身を引くことだね』

『さぁ、榮寧さま。こんな負け犬の顔は、もう見たくないわ……往きましょう』

『そうだな。この無様な泣きっ面を見てると、イライラしてくる』

『さよなら、楓白さま』

『さよなら、負け犬君』

――嫌だ! 待ってくれ、凛樺! 後生だから、戻って来てくれぇえぇぇぇえっ!


「……楓白君! しっかりしろよ!」

 うぅん……誰だ? 僕の肩を、乱暴に揺さぶるのは……放っておいてくれよ。邪魔をしないでくれよ。もう少しで、凛樺を取り戻せそうなんだ。彼女に手が、届きそうなんだ。

「可哀そうに……こんなにうなされて……」

「楓白君! 起きろ! 目を覚ますんだ!」

 今度は、背中を叩いてる……耳まで引っ張って……痛い! 痛いってば……あれ?

「へ……ここはどこ? 今はいつ? 僕は誰?」

 頭が、ボ――ッとする。目が、チカチカする。なにがなんだか、全然わからないよ……一体、どうなってるんだ? 本当に、冗談抜きで、ここはどこ? 今はいつ? 僕は誰?

「ここは【住劫楽土じゅうこうらくど】首都『天凱府てんがいふ』の金玉飯店きんぎょくはんてん・上客間」

「今は《千歳帝せんざいてい阿沙陀あしゃだ》統治世、戊辰暦十八年の胠月廿日きょげつはつか

「君は都で近頃頭角を現して来た青年文士《汪楓白おうふうはく》だろ」

 住劫楽土……戊辰暦……汪楓白? それに、困惑したような顔が三つ、僕を見ている。

「じゃあ、君たちは?」

「「「あのね、楓白君!! 好い加減にしたまえ!!」」」

 ハッ……そうだ! ようやく思い出したぞ! 僕は、凛樺に逃げられた傷心から立ちなおれず、友人たちに慰めてもらってたんだっけ……この、往きつけの店『金玉飯店』で!

 吹き抜けの回廊で煌々と瞬く釣灯篭つりとうろう、美々しい天女の絵が描かれた天井、階下で開かれる盛大な酒宴、豪奢な店内を忙しなく往きかう給仕たち、どんちゃん騒ぎの好きな常連客。

 哈哈……道理で、明かりがまぶしいはずだよ。

 天凱府の北方・多聞区たもんく、外堀【勢至門町せいしもんちょう】でも、ワリと有名な高級店だからな。金玉飯店は……そして今、二階上客間の、朱塗り円卓を囲み、座っている面々こそ、僕の友人。

 右隣にいるのが、画人の《夙佳山しゅくけいざん》で、左隣にいるのが、治安部隊捕吏ほりの《董彩雲とうさいうん》だ。

 それから、真正面にいるのが、療養院の見習い典薬医てんやくい秦燎仙しんりょうせん》……みんな、僕と同じ【劫族こうぞく】出身、勢至門町『仁王頭宿におうずじゅく界隈かいわいで育ち、劫初内志学館ごうしょだいしがくかんで、ともに学んだ幼馴染みだモンな。いかん、いかん。こんなことまで忘れてしまうほど、悪酔いするなんて……ホント、どうかしてるよ。三人とも、忙しい中、僕のために、集まってくれたってのにな。

「ごめん……佳山君、彩雲君、燎仙君……」と、泪目で、心底すまなそうに謝る僕の肩を、今度は優しく叩き、または背中をさすり、にっこりと微笑みかけ、三人は口々に云った。

「いや、わかればいいんだよ、楓白君」

「こっちこそ、怒鳴って悪かったね」

「僕らの仲で、気を使わないでくれよ」

 うう、優しい言葉が、胸にしみる……それに比べて、凛樺は何故、あんなにも僕に冷たいんだ……夫婦生活の間も、彼女が優しくしてくれたことなんて、数えるほどしかなかったよな……贈り物をした時とか、僕が文士として名を上げ始めた時とか……挙句の果てが、余所よそに男を作って、駆け落ち同然に、家を出て往くなんて……ああ、あんまりじゃないか!

 しかも去り際、僕をしざまに罵って……あいつと二人で、笑い者にして……クソッ!

「だけど……どうしてだぁ! 凛樺ぁあぁぁぁあっ!」

 うわぁ――っ! やっぱり、あきらめきれないよぉ――っ! 思い出すたび、苦しいんだよぉ――っ! 畜生っ……あの野郎! 高名な武術家だか、なんだか知らないが、よくも僕の妻を……絶対に許せない! なのに、腕っぷしじゃあ、敵わないんだよぉ――っ!

「楓白君! 静かに……落ち着いて!」

「そんな大声出して……みんな見てるよ!」

「頼むから、もう泣かないでくれって!」

 周囲から、強烈な視線を感じる。噂話や、笑い声も聞こえる。

 だけど、どうだっていいんだ! 変人あつかいされたって、かまうモンか!

 凛樺のいない余生なんて、もう……意味がないんだ!

 とは云え、友人に迷惑をかけるのは、さすがにまずいかな……呆れて、ため息ついてるし、彼らにまで愛想尽かしされたら、人生真っ暗闇だ……少し、落ち着こう。ふぅ――。

 すると、そんな僕の変化に気づいたのか、三人はまた明るい顔で、話を逸らしてくれた。

「それよりさ……ほら、見てご覧よ! あの姑娘クーニャン、可愛いだろ?」

「最近、この店に入った給仕で、名前は《玲那れいな》って云うんだ!」

「あの姑娘目当てで店に通い出した客も、かなり多いらしいよ?」

 佳山君が指差す先を見ると、階下の宴席で、甲斐甲斐しく、客に酌をして回っている十八くらいの娘がいた。小綺麗な身なりで、桃割ももわれに結った黒髪には、珊瑚のかんざしを挿している。

 酔っぱらい客に、尻を触られても、嫌な顔ひとつせず、上手くあしらっている。

「だから?」

 それでも、この時の僕は、彼らの云わんとすることが理解できず、問い返す始末だった。

「もう、妻女殿が出てって半月だぜ? 少しはさ……目先を変えてみなよ、楓白君!」

「なにも、凛樺さんだけが、女じゃないだろ? 他に、いくらでもいるじゃないか!」

「そうそう! たとえば、あの玲那嬢なんてどうだい? 可愛い上に、性格もいい!」

「うん、可愛い……」

 友人たちの云う通りだ。

 大きな碧色みどりいろの瞳、透けるような白皙はくせき、小ぶりだが形のよい朱唇しゅしん

 可愛い。確かに可愛い。

「「「そうだろ?」」」(((よかった。これでようやく、肩の荷が下りる)))

「でも……」

 僕は、彼らの内心の安堵など、まったく知らず、またしても自分を憐れみ、泣き伏した。

「凛樺に敵う女なんて、いるワケないじゃないかぁあぁぁあっ!」

 我ながら、女々しくて、情けなくて、往生際が悪すぎるとは思うけど、どうしてもダメなんだ! 凛樺は僕の命、唯一の生き甲斐なんだ! 厳格な彼女の両親を、結局は説き伏せられず、恨まれ、親戚連中からも猛反対されて、ついには総スカンを喰らい、そんな幾多の困難を押しきってまでつらぬいた、究極の純愛なんだ! いつも内向的で気弱な僕が、全身全霊をこめて想いを告白した初めての人……つまり、僕の人生のすべてだったんだ!

「まぁ、性格はとにかく、凛樺さんは、確かに凄い美人だったよな」

「啊……楓白君には、勿体ないくらい、魅力的ではあったよ」

「そもそも、なんで彼女、楓白君と結婚する気になったんだろうねぇ」

 友人たちは顔を見合わせ、ヒソヒソ声で、こんなことをささやいている。

 そこは、余計なお世話だ! きっと、僕の情熱に心を打たれたんだ……と、思いたい。

「「「……うぅん、謎だ……」」」

 結局、三人は答えを導き出せず、腕組みし、思案顔で、首をかしげている。

 なんて失礼な話だ! それじゃあ、僕に、なんの取り柄もないみたいじゃないか!

 ……まぁ、確かに、顔立ちは十人並みと云えば、それなりな気もするが、結局のところは凡庸ぼんよう、性格は慎重と云えば、それなりな気もするが、結局のところ気弱……詩作や文筆以外で、他に、どんな取り柄があるかって聞かれたら、すぐには答えられないけど……。

 啊……余計に、落ちこんで来たぞ。こんなだから、凛樺にも逃げられたんだろうな。

 だが、その時だった。前述の通り、刑部省ぎょうぶしょう配下の【中央治安部隊】で、捕吏をしている彩雲君が、なにか不穏な気配を察知したらしく、真剣な眼差しで再び階下をのぞきこんだ。

 彼が指差す先には、玲那嬢……でなく、怪しい風体の男が一人、円卓席に座っていた。

 店の片隅の薄暗い卓上には、空のお銚子が何本も転がっていて、男が相当の大酒呑みだと物語っていた。しかも空席に、ドンと置かれた大刀……反りのきつい偃月刀えんげつとうのようだ。

「どうしたんだい、彩雲君。あの男が、気になるのかい?」

 佳山君も、男の存在に目を留め、不可解そうに眉をひそめている。

「まさか……手配書が出された、凶悪なお尋ね者だとか?」

 燎仙君も、男の異相に不安を感じ、小声で戦々恐々と問いかける。

「いや、そういうワケじゃないけど……でも、どっかで見たような顔だな。それに、あの殺気は、尋常じゃないぜ。なんだか、物凄く嫌な予感がするよ。憂患であって欲しいけど」

 僕も、三人のやり取りが気になり、あらためて階下の男へ視線をやった。

 うわぁ……ひどい格好だな。荒れ放題の乱髪に、伸び放題の髭、服装も一応は道服らしいけど、あちこち破れて穴だらけ。しかも埃っぽい。所謂いわゆる、物乞い道士なんだろうなぁ。

 ここの店主、客の身なりにはうるさいのに、よくあんなのを入れたなぁ。

 その上、あんなに呑んだくれて……酒代、払えるんだろうか。

 結構、高いんだぞ? まぁ、それ相応に酒肴は美味いけどね。

「お? 玲那嬢が、奴に呼ばれて近づいてくぞ?」と、欄干から身を乗り出す佳山君。

「ますます嫌な予感がして来たぞ? 大丈夫か?」と、不安げな表情で見守る彩雲君。

「これだけ人目があるんだし、無茶はできないさ」と、肴をつまみ呑気に笑う燎仙君。

 だが……まさに、その刹那、事件は起きたのだ!

「お客さま、ご注文ですか?」

「啊……お前の首をもらおうか」

「え? なんですって?」

 男は突然、大刀を鞘から抜き払い、目にも止まらぬ早業で、なんと……玲那の首を刎ねたのだ。おびただしい血飛沫ちしぶきをまき散らし、勢いよく吹っ飛ぶ美少女の頭部……みなの視線は男の凶行に釘づけ。そして一瞬の間を置き、店中の客が、けたたましい悲鳴を上げた。

「きゃあぁあぁぁぁぁあっ!」

「う、うぅ……嘘だろぉおっ!?」

「嫌ぁあぁぁあっ! 玲那ぁあぁぁあっ!」

「ひっ……ひぃぃいっ! 人殺しぃいぃぃぃいっ!」

「だ、誰か……早く、お役人をぉおっ!」

「なんてこった……うっぷ、おげぇえぇぇえっ!」

 誰も彼もみな、顔面蒼白、唖然悄然……店内は、震天動地の大騒ぎだ。

 かく云う僕も、気分が……おぇえっ、は、吐きそう!

 とんでもないもの、見ちゃったよぉ!

 なのに、犯人の男と来たら、平然とした態度で酒を呑み、玲那の遺骸を見下ろしている。

「大変だ……と、とにかく、奴を捕まえなくちゃ!」

 彩雲君は、持ち前の正義感と、役職上の責任感に突き動かされ、猛然と立ち上がった。

 それを、僕も含めた友人たちが、必死に押し止める。

「危ない! やめとけよ、彩雲君!」

「そうだ! あいつ、完全にイカレてるよ!」

「だけど、僕はこれでも、中央治安部隊の捕吏だからね! 見過ごすワケには……」

「だからって、一人で立ち向うのは、いくらなんでも無謀だよ!」

 すると、僕らの背後から忍び寄った人影が、いさかいを手で制した。

「お待ちください、お客さまがた!」

 小太り、福相、ちょび髭、壮年……僕らは、この男の顔を、よく見知っていた。

「あ、あんたは……店主の!」

 そう……ここ『金玉飯店』の店主に相違ない。ところが店主は、自分の店で殺人が起きたというのに、しかも殺されたのは、店の売れっ娘従業員だったというのに、ヤケに落ち着いた声音で、こんなことを頼むのだ。とくに、治安部隊の捕吏である、彩雲君に向けて。

「はい……どうか、もうしばらく、静かに様子を、見守ってくださいませ!」

「でも、玲那嬢が、殺されたんだよ!? あんた、それでも……」

 彩雲君は、声を荒げ、店主を叱責する。直後、とんでもない答えが返って来た。

「判っております。あれは……私が依頼したのです」

「「「「はぁ!? なんだってぇ!?」」」」

 あまりに信じがたい店主のセリフに、僕らは悲鳴に近い声をそろえた。

 まさか……こいつが、あの男に、人殺しを頼んだだって!?

 人は見かけによらないと云うが、本当だな……このオヤジ、いい歳こいて、きっとあの娘に邪恋をいだき、云い寄ったものの、すでに婚約者がいた彼女に冷たくあしらわれ、カッとなって殺意を……おっと、いかん! ついつい話を作りこんでしまう……僕の悪癖だ。

 そうこうする内にも、彩雲君は激昂し、店主の胸ぐらをつかんでは、威喝している。

「どういうつもりだ! 貴様……事と次第によっては、殺人の共犯で捕縛するぞ!」

 これに慌てた店主、息ができず、苦しげにうめきながらも、辛うじて言葉をつむぎ出す。

 太く短い指で、階下を指差しながら……。

「いえ、とんでもない誤解です! これは、決して〝殺人〟などではない! ほ、ほら! みなさま、どうかアレをご覧ください! あの光景をご覧になれば、一目瞭然でしょう!」

 その時、またしても……いや、先刻より、もっと凄まじい悲鳴が店中にとどろき渡った。

「「「「なっ……なんだ、アレは!?」」」」

 僕らは再び、声をそろえ、以後……衝撃のあまり絶句した。

 啊、天帝君てんていぎみ! 信じられない!

 僕らが、そこに見た光景とは、言語に絶する奇々怪々なものだった。

 首を刎ねられ、絶命したと思われた玲那嬢の遺骸が、むっくりと起き上がり……それだけでも充分、驚愕して卒倒ものなのに、なんと首の斬り口から、巨大な白蛇がヌラヌラと、這い出して来たのだ。そうして、深紅の邪眼をギラつかせ、出現した巨大白蛇が、完全に玲那の体から脱皮すると、彼女の体は、まるで砂のように崩壊したのだ。
 その上、男に大刀で斬り飛ばされ、壁際に転がる玲那の頭部が、ケタケタと不気味な笑い声を発したのだ。

「うぎゃあぁあぁぁぁあっ!」

「ひ、ひぃいっ……妖怪だぁあぁぁぁあっ!」

「玲那ちゃんが……蛇に……う、嘘だぁあぁぁぁあっ!」

 全長おおよそ二十尺、胴体部の太さは直径三尺、怪物級の長大さだ。

 いや、多分、怪物なのだろう。あるいは鬼畜か、妖怪か……いずれにせよ、尋常でない。

 当然、周囲の客は大混乱。恐怖のあまり、円卓をひっくり返し、茶碗や皿を割り、右往左往と逃げ惑い、互いにぶつかり合い、つまずいて倒れ……とにかく大変な騒ぎとなった。

 屈強な店の用心棒が、事態を鎮め、客を外へ誘導せんとするも、なかなかはかどらない。

 みんな、すっかり恐慌を来たしてしまい、用心棒や店主の声が、聞こえないのだ。

「ようやく、正体を現しやがったか……醜い蛇精じゃせいめ」

 男は舌打ちし、豪快に酒盃をあおると、それを玲那の頭部めがけ、投げつけた。

 酒盃は玲那の額で割れ、その美貌に傷をつけた。どうも、それが気に入らなかったようで、玲那……いや、白蛇は、ザックリと鋭い牙の並ぶ赤い口を開け、耳をつんざくほどの奇声を放つ。生首の目も、いつしか異様な深紅に染まり、男を憎々しげに睨みつけている。

 そんな玲那の生首を、素早く呑みこんだ白蛇は、尻尾を小刻みに振り、牙の先端から毒液をしたたらせ、男を威嚇する。だが、男は怖じけることなく、さらに戦意を高揚させた。

「美少女に化けて、店の客を誘い出し、喰らうつもりだったんだろうが、そうはさせん!」

 しこうして、男は大刀をかまえ、白蛇の太い胴体部を、斬り裂こうとした。

 けれど白蛇は、体を激しくうねらせ、主柱へぶつけ、店全体に激震を走らせた。
 しかも衝撃で、僕らの隣の円卓席で、震えていた客の男が、回廊の欄干から落下してしまった。

「うぎゃあぁあぁぁぁあっ!」

 大刀を持った男は、客の危機に素早く気づき、大理石の床を蹴った。

「うぬっ……」

 物凄い膂力りょりょくと跳躍力で、男性客を抱きかかえると、円卓の上へ器用に着地し、彼を用心棒の方へ、乱暴に投げ飛ばす。というのも、背後から白蛇が、飛びかかって来たからだ。

「クソッ! 鬱陶しい野郎だ! 好い加減、くたばれ!」

シャァアァァァアッ!』

――ドドオォォォオンッ!

 白蛇が鋭い奇声を吐き、尻尾を振り回した途端、周囲の客や円卓椅子、調度品などが一挙に薙ぎ倒され、撹拌され、支柱には、いよいよヒビが入り、店中は激しく鳴動した。

 僕らも立っていられず転倒、なにかにつかまっていないと、体が浮遊してしまうほどの、凄まじい揺れに襲われたのだ。それでも男は、闘志を燃やし、果敢に白蛇へ挑み続けた。

 毒々しい牙を紙一重でかわし、のたうつ胴体を器用に避けては、軽やかに舞う。

「……凄い……あいつ、たった一人で、あの怪物を、翻弄している!」

 白蛇は重そうな鎌首をもたげ、懸命に男のあとを追っているが、どうしても追いつかない。男は壁板や支柱を足がかりに横っ飛びし、大刀を閃かせては、白蛇の固い表皮を幾度も斬りつけている。白くぬめった蛇紋が、流れ出る血と体液で、徐々に赤く染まり始める。

 すると、なにかを思い出したらしく、彩雲君が目を見開き、唐突に叫んだ。

「啊! 思い出したぞ! あの男……そうだ、まちがいない! 《神々廻道士ししばどうし》だ!」

「「神々廻道士!? あの男が!?」」

 佳山君と燎仙君も、その名に過剰なほどの反応を示した。そうして再度、男の見事なたいさばきや、戦いぶりに視線をやる。でも、僕にはなんのことか、てんで判らず質問した。

「え? そんなに、有名な奴なのかい?」

「「「えぇ!? 楓白君、知らないの!?」」」

 これは、友人たちの反響から鑑みて、どうやら、かなり間の抜けた質問だったようだ。

 だが、そんな悠長なやり取りも、している場合ではなくなって来た。

 周回を取り囲む白蛇……男が店の中央で、ひときわ強く床を蹴り、体を回転させながら、真上へ飛翔した途端、やはり蛇腹を回転させながら、あとを追う白蛇が、なんと一瞬の隙を突き、男の体をグルグル巻きに締め上げてしまったのだ。
 男は苦痛に顔をゆがめ、一直線に石床へ落下。ドスンッと、物凄い地響きを鳴らす。
 今や、とぐろを巻く巨大白蛇の体からは、男の頭部しか見えなくなっている。
 白蛇は毒牙をむき、男の頭を喰い千切ろうとする。まさに絶体絶命……そう思われた時、またしても男は、驚くべき功力くりきを魅せたのだ。

 額に汗を浮かべつつも、ニヤリと笑って、男は云った。

「白蛇ちゃん! この瞬間を、待ってたぜ!」

 直後、男は渾身の力で、両手持ちの大刀を振り上げ、幾重にも巻きついた白蛇の胴体を、斬り裂いてしまったのだ。丁度、四分割された白蛇は、けたたましい奇声を放ち、いよいよ激しく暴れ回る。店内は、上を下への大騒動だ。
 それでも男は、白蛇の口の奥にひそむ、玲那の美貌を睨むと、躊躇なくそこへ大刀の切っ先を突きこんだ。真二つに割られる顔面。

 そして――、

『キヒイィィィギュイィィィイッ!』

 金属音に似た耳障りな雄叫びこそ、白蛇の口内の玲那が発した、断末魔の悲鳴であった。

 男が白蛇の口から大刀を引き出すと、そこには玲那の無惨な生首がつらぬかれていた。

 だが、それも束の間……玲那の生首も、体同様に砂塵と化し、消滅したのだ。

 そして、あとを追うように白蛇の体も、ドス黒い瘴気しょうきにつつまれ、融解して消えた。

 あとには、石床の血のシミと、鼻を突く異臭だけが残された。

「……白蛇が、消えた……?」

「お、おおっ……玲那、いや……妖怪が、死んだぞ!」

すげぇ……凄ぇや! なんて凄ぇ御人おひとなんだ!」

「たった一人で、あの巨大な白蛇を、倒しちまうなんて!」

 店の奥の物陰に隠れ、一部始終を目撃していた客たちは、最初の内こそ慄き、呆然自失といった感じだったが、やがては狂喜乱舞し、一人……また一人と、歓声を上げ始めた。

 それから恐る恐る広間へ出て来ては、黒ずんだ床を忌々しげにながめ、口々に男への賞賛の言葉をつむぐ。二階から見ていた店主も早速、転がるように男の元へ駆け寄り、拱手こうしゅで礼を尽くし、深々と頭を下げた。店内の様子は、あちこち散々に破壊され、再建費用も莫迦ばかにならなそうな有様だったが、妖怪を退治してもらった喜びの方が、勝るものらしい。

「神々廻道士さま! ありがとうございます! お陰で、店は多少の痛手をこうむりましたが……大切なお客さまがたには、被害を出さずすみました! これは、約束の手間賃です! 本当に、ありがとうございました! それにしても……まさか玲那が、蛇精だったなんて、驚きです……しかも、あんな妖怪に豹変するとは……啊、恐ろしや、恐ろしや!」

 悪寒に震え、念仏を唱える店主の蒼白顔を見て、男は……《神々廻道士》は、かすかに笑ったように見えた。むむ……僕の気のせいだろうか? 神々廻道士は、すぐまた神妙な顔つきになり、大刀を鞘へ納め、店主から手間賃を受け取りながら、こんなことを云った。

「ここは、南西裏鬼門……こんの方位で、場所が悪いからな。おまけに、霊道がいくつも見える。地縛霊の溜まり場だ。所以ゆえん、ああした邪鬼や妖怪を、依せ憑けやすいのだ。オヤジ、店を再建するつもりなら、この際、場所を変えることをお勧めするぞ。今回は運よく、被害者を出さずにすんだものの……二度と、こんな厄介な騒ぎを、起こしたくはないだろう?」

 店主は、ブンブンとかぶりを振り、泪目で、すがるように神々廻道士を仰ぎ見た。

「そ、そんな! いくらなんでも、余所へ店舗をうつせるほどの貯えは、当方にはございません! どうか……神々廻道士さま! 移転せずとも、ものの障りなく、ここで安寧に商売ができますよう、お祓いもお願い致します! 勿論、それ相応の祈祷料は、お支払い致しますから……なんなら、当店での飲食代は、今後、永久的に只ということで……」

 いやはや、あの居丈高な店主が、あそこまで下手になって、平身低頭するとは……でもまぁ、確かに、こんな恐ろしい妖怪騒ぎの後では、藁にもすがりたい気持ちはよくわかる。

 神々廻道士は、ニヤリと口のをゆがめ、満足げに笑った。

「よし、それで手を打とう。なに、心配無用だ。俺に、まかせておけ」

「かさねがさね、ありがとうございます! では、祈祷の依頼は後日、詳細に……」

 さっきより、さらに頭を低くして謝辞を述べる店主。

 しかも商売上手な店主は、周囲の客たちへの配慮も、決しておこたらなかった。

「みなさま! 本日は、斯様な凶事に巻きこんでしまい、まことに申しわけありませんでした! そこで、お詫びのしるしと云ってはナンですが、本日のみなさまの飲食代は只! さらに今宵限り、無料で好きなだけ、当店の酒肴を味わってください! そして、どうか此度の件に懲りず、今後とも末永く、この『金玉飯店』を、よろしくお願い致します!」

 店主の粋な計らいと、神々廻道士の活躍に、再び客たちから大きな拍手喝采が上がった。

「さすが! ここの店主は太っ腹だな!」

「ありがたく、ご馳走になるぜ!」

「これというのも、道士さまのお陰だねぇ!」

「啊! 神々廻道士さまに、乾杯だ!」

「今となっちゃあ逆に、最高の観劇をさせてもらった気分だよ!」

「えぇ! 素晴らしいわ! 神々廻道士さま、素敵!」

「ホント、本気で惚れちまいそうよ!」

「あら! あんたには、恋人がいるじゃないの!」

「道士さま! 私と一緒に呑みましょう!」

「ダメよ、私とよ! ねぇ、道士さま……いいでしょう?」

 一気に株の上がった神々廻道士は、大人気で客たちにもまれている。

 とくに女性客や、給仕にまで、熱い視線を送られ……クソッ! うらやましい!

 そうこうする間に、用心棒たちが、乱雑な店内を素早く片づけ、円卓席を定位置へ戻し、それなりに体裁を整えた。店外からは、騒ぎに乗じて、さらに客が押しかけ、神々廻道士の白蛇退治の顛末を、他の客から聞き、吃驚びっくりしている。

 彩雲君は、ヤレヤレと肩をすくめ、佳山君は画人であるがゆえか、画帳があればすぐに描き始めたいといった感じで興味津々。燎仙君は、感歎の吐息をもらし、ポツリとつぶやいた。

「やはり、噂通りだな……神々廻道士。大した腕だよ」

 彼の言葉を受け、佳山君も、感慨深げにうなずいた。

「そういやぁ、先日は『刃連宿ゆけひじゅく』の忌地いみちで、怪鳥けちょう退治もしたって話じゃないか」

「その前は、俺たち中央治安部隊ばかりか、専門職の【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】まで出し抜き、『圦宿ふせじゅく』で鬼憑きを鎮めちまったんだ。無論、取り憑いてた邪鬼も、奴が退治しちまったよ」

 彩雲君が、いささか不愉快そうに、唇をとがらせる。

 そんな友人たちの会話に、耳をかたむけつつも、僕の視線はやはり、神々廻道士一人へ向けられていた。だって……凄いじゃないか! たった一人で、恐ろしい妖怪へ勇敢に立ち向かい、一杯加減で翻弄し、完膚なきまでに倒してしまうなんて! 身なりこそ最悪だけど、強い男は見た目じゃないよな……サマになってるもの。だから、女性にもモテる。

 凛樺が今の光景を見てたら、きっと……楊榮寧なんて武術家じゃなく、彼を……。

 ハッ……そ、そうか! そうだよ! そうなんだ! その手があった!

おい、楓白君? 君……大丈夫か?」

「なんか、ヤケに目が輝いてるけど……」

「どうしたんだい? なにを考えてるのさ?」

 友人たちは、怪訝な表情で、僕の横顔を見ている。僕はこの時、一大決心をした。

 神々廻道士は日をあらためて祈祷を行うとし、店主から【鬼去酒きこしゅ/住劫楽土一強い酒】の大樽をもらうと、外に待たせていた弟子らしき男に大八車でそれを運ばせた。そうして、引き留める客を適当にあしらい、人垣を抜けると、早々に『金玉飯店』から立ち去った。

「ま、待って! 神々廻道士さま! 僕の話を……どうか話を、聞いてください!」

 僕は慌てて、友人たちを振りきり、階下へ降り、客を押しのけ、店の外へ飛び出したが、なおも詰めかける大勢の野次馬に阻まれ……到頭、神々廻道士の姿を見失ってしまった。


ー続ー

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