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【鬼凪座暗躍記】-最期の宴-『其の六』

「……信じたく、なかった」

 唇を震わすニセ圭琳けいりんの瞳から、大粒の泪がこぼれ落ちる。

 そんな彼を、麻那まながかたわらで支える。

 圭琳はわけが判らず、怪訝な表情で、今にも泣き崩れそうなニセ者を凝視した。

 すると男は泪をぬぐい、圭琳に驚愕の真実を明かしたのだ。

「私たちの、大事な父さんを、殺した貴様が、双子の兄だなんて……信じたくなかった!」

 圭琳は一瞬、我が耳を疑った。ニセ者が放ったセリフを、しばらく嚥下できなかった。

「……双子の、兄……だと!?」

 腑抜けたように、おうむ返しする圭琳……彼から奪った長袍ちょうほうや飾り帯で身をつつみ、元結髷もとゆいまげにたばねた青年の容姿は、見れば見るほど、自分とよく似ていた。
 しかし、ここで一部始終を見ていた圭琳は、ニセ者もまた、怪士一味の扮装だとばかり、思いこんでしまった。

「そんな……莫迦ばかな話は、絶対にあり得ん! 親父から、双子の弟がいるなどと、聞いたことがない! 嘘だ……くだらん戯言を抜かすなぁ!」

 圭琳は、内心の動揺を押し殺し、ニセ者の明言を単なる欺瞞と断じた。そう思いこもうと懸命だった。けれど、圭琳の思惑とは裏腹。胸のざわめきは、一向に鎮まる気配がない。

「妾腹に双子男児は、いささかまずい。父王の身勝手な理由で、生後すぐ引き離された双子の弟君・圭旦殿けいだんどのと、こんな形で再会するとは、予想だにしなかったでしょうな。圭琳殿」

 冷ややかに皮肉る夜叉面やしゃめんの言葉が、駄目押しとなった。

 圭琳は首を振り、六人を見回す。

「信じたくなかったのは、私も同じよ! まさか、圭旦が双子で……その兄が私の父『縹屋はなだや』を、殺害しただなんて、信じたくなかったわ! あなたのせいで、私たちは幸福を奪われ……圭旦は自分を責め、どんなに苦しんだことか! あなただけは絶対に許さない!」

 麻那は懐に隠し持っていた短刀を抜き、圭琳の首筋に突きつけた。父を亡くした娘の怨嗟が切っ先を閃かせ、圭琳の……憎い仇の咽仏をかすめる。圭琳はまたも悲鳴を上げた。

「やめてくれぇ! 俺はなにも知らなかったんだぁ! 頼むから、殺さないでくれぇえ!」

「駄目だ、姉さん! こいつの始末は私がつける! 姉さんは、こんな外道の血で、その手を汚しちゃならない! 刀をよこすんだ!」

 麻那の華奢な手から、圭旦が短刀を奪った。その切っ先を、今度は圭旦がかまえなおす。

「貴様らは……そうやって助けをもとめる罪なき人々を、どれだけ手にかけてきたのだ! 【刃顰党はじかみとう】を名乗り、犯した凶行の数々……貴様のクズ仲間が、得意げに語るのを聞く内、俺には判ったぞ! 貴様らは、救いがたい鬼畜人非人にんぴにんだということがな! 圭琳……一命をもって償うのだ! 貴様らが襲撃した『麹屋こうじや』に! 『蝶樂堂ちょうらくどう』に! 『七宝屋しっぽうや』に! そして、家族同然に暮らして来た『縹屋』の奉公人と、私たち姉弟の大切な父さんに!」

『縹屋』の圭旦は、養父のため、義姉のため、実兄・圭琳を一息に刺しつらぬこうとした。

 だが、すんでのところで短刀は弾かれ、天井に突き刺さった。

 凄まじい威力で、悪相男の継半纏つぎはんてん左袖から噴出した枯枝状の触手が、圭旦の痛ましい殺意を阻んだのだ。朴澣ほおかんは瞬時に【手根刀しゅこんとう】を袖口へ仕舞い、ため息をついた。

「俺たちの主義としてな、依頼主の手は汚させねぇことに決めてるんだよ。圭旦、麻那」

 悪相怪士あくそうあやかしが見せた鬼神の如き禍力かりきに戦慄し、圭琳は再び悪あがきを始めた。

 彼を縛めている木蔦きづたは、朴澣がからめた【手根刀】なのだ。

 それが急速に収縮を始め、激しく脈打った。

 木蔦は細かく枝分かれし、見る見る内に圭琳の皮膚へ喰いこんでいく。
 圭琳は、毛細血管状の枝先に侵される痛苦と、内臓が破裂しそうな圧迫感に責めさいなまれ、大量に吐血した。

「うぅっ……ぐはぁっ! やめろぉぉお!」

 悶絶する双子の兄を見かね、双子の弟は顔を覆った。

 うずくまり、耳をふさぎ、慟哭する圭旦を、麻那が悲痛な表情で抱きしめる。

「すまない、姉さん! 父さんが殺されたのも、元はといえば、すべて私のせいなんだ! 私を引き取り育てなければ、こんなつらい思い、させることもなかったのに! 恩を仇で返してしまった! 私はとんだ厄病神だよ! せめてもの罪滅ぼしだ! 私は、こいつを殺して一緒に死ぬ! どうか、死なせてください!」

 激しい自責の念に駆られ、煩悶する圭旦。

 己の分身ともいえる、双子の圭琳が引き起こした事件ゆえに、圭旦を襲う重苦は惨憺たるものだった。彼の心情を悟った麻那は、ポロポロと落泪し、嗚咽をこらえられなかった。

「圭旦! あなたは縹屋の息子! 私の大切な家族なのよ? あなたを恨むわけないでしょう! あなたはなにも悪くない! むしろあなたこそ、一番の被害者なのよ! お願い……死ぬなんて二度と云わないで! これ以上、私に哀しい思いをさせないで……圭旦!」

 圭旦の肩をつかみ、感きわまって声を荒げた麻那は、そのまま圭旦の胸にしがみついた。

「姉さん……姉さん!」

 圭旦も到頭、慕い続けた義姉への恋情を抑えきれず、麻那を力一杯抱きしめていた。

喂々おいおい、そういう濡場は時と場所をわきまえてくんなよ、お二人さん」と、ニヤつく朴澣。

 そうこうする内にも、圭琳の死期は迫っていた。

 朴澣の【手根刀】は左腕から分離されて尚、鬼業きごうを宿し、蠢動しゅんどうを続け、圭琳をからめ捕る。半裸男の全身を喰い尽くす勢いで、縦横無尽に根を張る脅威。すでに七割方、鬼宿木おにのやどりぎに侵蝕された圭琳は、さながら赤い繭玉のかいこだ。骨をきしませ血を噴出、酸欠状態で意識朦朧、思考力低下、体温は失せ仄霞む視界、鼓動は弱まり気息奄々。まさに絶命寸前だ。

 それでも圭琳は最期の力を振りしぼり、聞き苦しい妄言を、切れ切れにつむぎ出した。

「お、俺を、殺しても……ちゃんと、後釜がいるって、ワケか……お、親父に、一杯、喰わされたぜ……だがな、お前も結局は、捨て駒にすぎん……俺の、二の舞を、踊らされる、日も……そう、と、遠くは、ないぞ……肝に銘じて、お、おくがいい……け、圭旦……!」

 圭琳は、おびただしい血を吐き、同時に下血まで垂れ流した。

 朴澣の強靭な【手根刀】木蔦に、全身ことごとく覆われ、隙間なく張り廻らされ、蹂躙じゅうりんされた圭琳……彼に残されたのは最早、顔のわずか一部分だけだった。

 麻那を胸に抱いたまま、圭旦は今……双子の兄の壮絶な最期を、しかと見送る気概であった。血を分けた兄弟なら、罪も死も分かち合う覚悟だった。ゆえに圭旦は〝自分自身〟の死にざまを、目に焼きつけておきたかった。

 そんな圭旦の、悲壮な思惑など露知らず【鬼凪座きなぎざ】の面々は、座敷へ無造作に散らばる瓦版を拾い集め、一枚ずつ読み上げていった。

【刃顰党】首領に捧ぐ、残酷な弔辞である。

「さぁ、もう一度よく聞きなさい。あなたたちがさも愉快げに宴席で広げた瓦版です――震天動地の大事件、老舗しにせ酒問屋『麹屋』が盗賊に襲われた。現場は酸鼻な死屍累々。一族奉公人から奴婢ぬひに到るまで残らず斬殺さる。女子衆は殺害前に陵辱を受けた上、残忍な手口で尊い命を奪われた。しかし奇妙なことに、金品はまったくの手つかずで放置されており、ただ血染めの壁板には【刃顰党見参】という挑発的な怪文書だけが残されていた――」

「次はこれじゃ――謎の凶賊【刃顰党】がまたも商家襲撃。今度は人形細工『蝶樂堂』が犠牲になった。ここでも一族奉公人、果ては買い付けに訪れた東方・津陽つばるの商人一行まで、二十四名の命が無惨にも斬り捨てられた。その上、手文庫から八千万螺宜らぎもの大金が盗まれ、陵辱を受けた女の中には婚礼前夜の一人娘もいた。刑部省ぎょうぶしょうや治安部隊の懸命な捜査にもかかわらず、凶賊の正体は依然としてつかめない――」

「そして次が『縹屋』だぜ――またまた参上【刃顰党】の人非人。狙われたのは、紺屋こうや元締め『縹屋』だ。ここでも前二軒と同様の惨劇が繰り返された。だが此度は偶然、芝居見物に出かけ難を逃れた者がいた。『縹屋』の息子と娘である。実は養子だった息子と、一人娘の間を取り持ち、夫婦にさせようと考えていた『縹屋』主人。その計らいで九死に一生を得た二人だが、生家さとを襲った惨劇に驚倒。気がれんばかりの悲しみようだった。刑部省の吟味方ぎんみがたは【刃顰党】捕縛に全力を挙げると宣言したが、護国団の捜査方法には失策も見え隠れし、人民の不信は増す一方――」

「これが最後だな――金品だけに止まらず女子衆の貞操から、尊い人命まで無慈悲に奪う手口は前三軒と同様だ。此度襲撃された薬種問屋『七宝屋』でも、一族奉公人、宅守やかもりに奴婢も含め、計三十六名がことごとく斬殺されている。但し今回、枯井戸に身をひそめ、難を逃れた生存者一名を発見。ついに夜盗一味【刃顰党】の、鬼面で隠された正体が、明らかになるはずだった。ところが、生き証人の宅守は、阿鼻叫喚の地獄絵図に堪えきれず発狂。取調べ官が止める間もなく自害。刑部省の期待は裏切られ、またも捜査は往き詰まった。いまだ正体のつかめぬ【刃顰党】の鬼面集団。凶悪な犯人につながる唯一の手がかりを断たれ、治安部隊は困窮。信用は、いよいよ失墜するばかり――」

 瓦版は閻魔帳、まるで一足早い冥界裁判だ。

【刃顰党】が犯した罪の重さを聞きながら、圭琳の意識は次第に遠のき始めた。

 鬼業のひつぎに納められ、泥梨ないりへと沈み逝く憐れな大罪人。

 圭琳は、薬種問屋『七宝屋』の件を聞き終わる前に、到頭力尽きた。

 空蝉うつせみは、木蔦が編んださなぎの中で圧壊……俗名【夙圭琳しゅくけいりん】は、夜明けを待たず、命終を迎えたのだ。

ー続ー

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