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神さまなんて大嫌い!⑩

 【汪楓白おうふうはく忌地いみちで人外の者を見るの巻】



 神隠しの森――それは、天凱府てんがいふで最も広大かつ強大な、鬼業禍力きごうかりきで汚染された上忌地じょういみちだ。

 今までの清浄な黒い土壌が、森の入口を境目に、くっきりと切り分けたが如く、深紅に染まっている。これを赤腐土あかふどと云う。鬼の血と呪いが染みこみ、赤く穢された土壌である。

 忌地の中は、常に危険で一杯だ。上忌地となれば、なおさらだ。

 僕はまだ、一度も入ったことはないけれど、噂でよく耳にする。尤も、ひとたび足を踏み入れれば、常人なら無傷ですまない。無事に生還できる確率は、かなり低い。
 なんとか出られても、正気でいられることは滅多にない。
 忌地とは、そんな恐ろしい禁域なのだ。

 そして僕らは今、赤い忌月いみづきに照らされ、神隠しの森の前に、横一列で佇んでいた。

 僕は空からの突撃を提案したが、あまりに危険すぎると却下された。
 ゆえに神々廻道士ししばどうしの命令で、呀鳥あとりは忌地を目前に着陸し、人の姿に戻った。

 それにしても……さすがの神々廻道士も、三妖怪ですら、ためらっているのだろうか。急に口数は少なくなり、みんな黙りこんでいる。森の中は物凄い瘴気しょうきで、なにも見えない。時折、不気味な奇声も聞こえて来る。

 すると、神々廻道士が突然、僕に問いかけた。

「……ところで、シロ。腕の傷は、もう治ったのか」

「腕の傷……ああ! そうだった! 非道ひどいじゃないですか、いきなりあんな……アレ?」

 プリプリと怒りながら、袖口をまくった僕は、そこに一刻ほど前、神々廻道士につけられた例の斬り傷を見つけられず、唖然となった。両腕とも、ない! なんで? なんで?

「どうしてだ……いつの間に、消えたんだ?」

「俺さまが聞いてんだ! どうしてそう、完治が早いんだ! てめぇ……やっぱり!」

「な、な、なんです? やっぱりって、どういう……」

 拳を振り上げ、威喝する神々廻道士だったが、いきなり怒気を抜いて、長嘆息ちょうたんそくした。

「……まぁ、いい。傷口があると、鬼業の毒素が祟りやすいからな。ないなら、往くぞ」

「あ、はい!」

 てっきり殴られると思ったのに、拍子抜けだ。だけど、今はそんなことに気を取られている場合じゃないよな。ここからは、本当に気を引き締めて往かなきゃ、命の保証はないんだ。僕はついに、赤黒二分された土壌の境界を超え、上忌地の中へと足を踏み入れた。

 先頭は無論、神々廻道士、次いで蛇那じゃな、呀鳥と続き、僕をはさんで、しんがりが蒐影しゅうえいだ。

 性格はどうあれ、道教の修行を積んで来た神々廻道士は、さすがにシャンとしている。

 三妖怪も、まったく問題ないと云った感じだ。妖怪だけにね……問題なのは、僕だけだ。

 忌地内をドス黒く満たす瘴気は、否応なく悪心をもよおさせる。その上、不自然にゆがんだ古木の枝ぶりや根、赤錆色で刃のような葉は、まるで意志を持っているかのようにうごめき、侵入者の進行を邪魔する。斬りつけたり、からみついたり……すべて、神々廻道士と三妖怪が、追い払ってくれたけど、それにしても執拗しつこい。
 しかも、忌地に生息する不気味な禽獣きんじゅうや虫のたぐいまでもが、容赦なく襲いかかって来る。何度も何度も、危険な目に遭う内、一度は凛樺りんかのためと、振りしぼった僕の勇気も、だんだんと萎え始めていた。

 だが、そんな時である。あの声が、聞こえて来たのは!

「あぁん……あん、あん、もう、ダメぇえ……焦らさないでぇ!」

「いいのぉ……気持ちいぃい、あぁあ、あっ、あっ……ひうっ!」

「はぁ、はぁ……もっとぉ、もっとぉ……ふあ、善いぃんむっ!」

 な、なな、なんだ、この声は!? これって、僕の幻聴!?

 だって、この声……まるで、例の……ほら、あの時の……だよねぇ!?

「この声は……まさか!」

 神々廻道士も当然気づき、顔色を変えた。僕は呆れて周囲を見回し、声の主を探した。

「まさか、こんな忌地の森の中で、アレ……ですか? 一体、なに考えて」

莫迦ばか! そうじゃねぇ! 鬼業の核心は近いぞ! 気を抜くなよ、シロ!」

「えぇえ? は、はい!」

 神々廻道士に叱咤され、僕はあらためて気合を入れた。

 こりゃあ、いよいよ体調不良を訴えてる場合じゃないな。

 そうして、足早に進む神々廻道士の背中を追い、広場に出た途端!

「なっ……なな、なんだ! アレは!?」

 僕は、かつてない衝撃を受け、その場に棒立ちとなった。

 樹海の切れ目なのか、突然、開けた広場の中心に、異様な巨木がそびえ立っていたのだ。

 一体、なにが異様なのかと云うと……とにかく、全部だよ、全部!

 約一町ある広場の土壌は、同等に広がった樹冠じゅかんの分だけ、いよいよ禍々しい深紅に染まっているし、刃と棘でできた巨木の枝葉は、うねうねと妖しくうごめいているし、なによりも複雑にからみ合った太い幹には、幾人もの女性たちが捕りこまれ、半身を喰われ、絶えず激しいあえぎ声を発しているし……そう、この巨木は確実に生きていた!

 樹木としてではなく、雄の動物として……いや、おぞましい鬼畜として、女性たちを虜にしていたのだ! しかも、その中には、琉樺耶るかや茉李まつり、そして凛樺の姿まであった!

 みんな衣服を剥がれ、紅潮した素肌には玉のような汗を浮かべ、荒い息づかいで、裸体をのけぞらせ、襲い来る絶頂の波にもまれ……悦楽の極致を味わっているようだった!

 思わず、耳をふさぎたくなるほどのがり声が、森中に木霊こだましている!

「……あぁ、あっ……凛樺! 琉樺耶さんも、茉李ちゃんも……なんて、こと」

 僕は頭が混乱し、フラフラと、赤腐土と、さらなる深紅腐土の、境界線へ歩み寄った。

 途端に、神々廻道士の怒声が飛ぶ。

「シロ! この赤腐土の境界から向こうにゃあ、迂闊に踏みこむなよ!」

 三妖怪も、ゴクリと生唾を呑みこみながら、凄絶すぎる光景に見入っていた。

「嫌だぁ……私まで、体が熱くなって来ちゃったわ」

「うむ……見ているだけで、腰が抜けそうになるな」

すげぇ……こんな光景、二度とお目にかかれないぜ」

 蛇那はゾクリと身震いし、蒐影は黒目をしばたかせ、呀鳥はソワソワ落ち着かぬ様子。

 だが神々廻道士は、見るのも厭わしいといった感じで、忌々しげに吐き捨てた。

「母上の陥落以来か。こんなモン、二度と見たくなかったがなぁ……チッ、面倒臭めんどくせぇ」

「で、でも……早く助けてあげないと、苦しそう……ってか、気持ちよさそうで……え?」

 今、なんて? 母上の陥落以来? どういう意味ですか? それ?

「あの、今のって……」

「そりゃあ、アレだ。この呪木の主が、雄だからだろ。好きモンなんだな、うん」

 神々廻道士は、僕の疑問を勘ちがいし、適当に返答した。僕は驚いて、語気を荒げた。

「鬼に、好きモンもなにも、あるんですか!?」

「莫ぁ迦。鬼ってなぁ、女好きと昔から決まってらぁ。だからてめぇの分身を、雄は人間の女の子宮で育てたがる。雌だって、人間の女の胎内に、吾子あこを産みつけたがるんだろ? それに、こいつの苗床なえどこは【鵺醜女ぬえここめ】って鬼神級のヤツでな……厳密に云うと、雌雄同体なんだ。けど、雌の方は、かなり醜いご面相でなぁ。つがいの雄が美女を抱こうとするたび、激しく嫉妬して、捕りこんだ女を突き殺しちまうんだとさ……丁度、吐精の瞬間によぅ」

 吐精の瞬間、突き殺す……って、まさか、アソコを!? ざ、残酷すぎる!

「そ、それじゃあ! いよいよまずいじゃないですか! 早く、助けなきゃ!」

 愛する凛樺が、それに琉樺耶や茉李が、鬼子を産む破目になるなんて、そんなの嫌だ!

 醜い雌鬼に、醜い嫉妬の挙句、突き殺されるなんて、そんなの、もっと、もっと嫌だ!

 絶対に阻止しなきゃ! 神々廻道士が、二の足踏んでるなら、僕が……僕が彼女たちを助けるんだ! そう決意した僕は、居ても立ってもいられず、境界線を踏み越えて、巨木の幹に突進しようとした。神々廻道士と三妖怪は、そんな僕を、呆れ気味に見守っている。

「だから、待てって……啊、ほら」

 云わんこっちゃない……と、彼らは後句を続けたかったんだろうな。何故なら――、

「ぐはぁっ……くっ、いっぅ!」

 突如、赤と深紅の境目から、物凄い勢いで木の根が隆起。天高く伸び壁となり、僕を手痛くはじき出したからだ。木の根に腹部をしこたま殴られ、猛烈な吐き気に襲われた僕は、その場にかがみこみ、うんうんとうめいた。そんな僕の背中を、神々廻道士が軽く叩いた。

「男は結界内に入れねぇ。無理に侵せば、棘を刺されてあの世逝きだぜ」

「じゃあ、どうすりゃいいんですか! このままじゃあ、凛樺も、琉樺耶も、茉李も、その他の女性たちも、皆、鬼に犯され……あわわ」と、僕はおぞましさで、総毛立った。

「心配すんな、シロ。さっきも云った通り、その瞬間が来たら、女は絶頂の中、一突きで死ぬ。それでもなおかつ、女の胎内に宿った鬼子は、女の屍骸から生まれて来るのさ。今はまだ、そう……云うなれば、前戯の真っ最中ってトコだなぁ。なにせ【鬼宿木おにのやどりぎ】の樹液には、強烈な催淫効果も、含まれてるし……もう、狂いそうなほど、善いんだろうぜ。哈哈哈ハハハ

 前戯? 前戯って……うわぁ、妙に生々しい! 

 巨木に喰われ、隠れて見えない部分では、どんなコトが行われているんだろう……想像すると、興奮……いやいや! 想像しない! だが、その時、女性の一人が突如、からみ合う巨木の中から、はじき出され、丁度、僕たちの目前で、とんでもない行為をし始めた。

「はぁあん! 善いよぉ、気持ちいいよぉ! 死ぬぅ、死ぬっ……あぁぁあぁぁああっ!」

 手足を枝にからめ捕られ、まるで操り人形のように、自慰行為を始めたのだ!

 しかも、背後から巨木が伸ばした太い枝先を、自ら秘所にあてがおうとしている!

 僕らの目前でだ! 信じられない……こんな可愛い娘が、こんな卑猥ひわいな真似を……ヤバい! パックリ開いたアソコを、直視しちゃった! ってか、彼女が指で開いたんだよ!

「なな、なっ、なんちゅう……ひえ――っ! あんた、やめなさい!」

「莫迦ね、シロちゃん。この女の意思じゃないわよ。私たちを誘いこむため、鬼宿木が挑発してるのよ。うっかり、助けようなんて……あまつさえ、触りたいからなんて、手を出さないでね」と、蛇那に忠告されたものの、だって、すぐ手が届きそうな位置で……啊!

「哈哈哈! こいつぁ、ますます絶景だな!」

 神々廻道士は、女の痴態を、じっくりと観察しては、愉しそうに笑っている。

「ちょ、ちょっと! いくらなんでも、これは笑いごっちゃないでしょう! こ、こんな淫らで、はしたない真似……凛樺や琉樺耶、茉李にさせようモンなら、僕は絶対、許しませんよ! 啊……ますます、心配になって来た……早く、なんとかしないと……大体、どうしてこんなことに、なってしまったんですか! あの巨木は、一体なんなんですか!」

 神々廻道士に代わり、説明したのは蛇那だった。

「云ったでしょう? アレは鬼宿木……鬼の屍骸から生えた、とっても危険で邪悪な人喰い呪木じゅぼくなの。苗床は雌雄同体の【鵺醜女】って『淫鬼いんき』で、核になってるのは楊榮寧ようえいねい

「えぇえ!? 楊榮寧も、あの中に!?」

 驚倒する僕へ、さらに呀鳥と蒐影が補足する。

「話はちゃんと聞いとけよ、シロ。凛樺の話によると、榮寧は別の女から『姉を助けてください』と、依願されて、『武術家の務めだ』とか、なんとか格好つけて、この忌地へ足を踏み入れちまったんだとさ。てめぇの分もわきまえず、莫迦な野郎だよな、まったく」

「そして案の定、鬼宿木に吸収され、新たな憑坐よりましとして、女どもを次々と喰らい始めたらしいな。最初に助けをもとめて来た女も多分、鬼宿木の手先だったんだろうよ」

「つまり、鬼宿木に操られるまま、女たちを鳴かしてるのは、楊榮寧なのよ。ほらね、よぉく見てご覧なさい。あの巨木のうろ……中に人の顔があるでしょう? 見覚えない?」

 蛇那が指差す先、巨木の中央に空いた洞へ、目を凝らした僕は、いよいよ震撼した。

「あぁっ……確かに、あの顔は……楊榮寧だ! なんてこった、クソッ!」

 楊榮寧! 凛樺を奪った挙句、負け犬と嘲笑い、この上、まだ僕を苦しめる気かぁ!

「あぁんっ……旦那さまぁ! 気持ちよすぎて、もう死んじゃう! ひぁ、あぅうっ……」

「り、凛樺……あんなになっても、まだ奴のこと……ち、畜生っ! どうしてだぁっ!」

 僕はそれ以上、愛する妻の媚態びたいを直視できず、目をそむけた。いや、凛樺だけじゃない。

 琉樺耶も、茉李も、他の女性たちも、見るに堪えないほど、淫猥な乱れっぷりだった。

「嫌ぁあ! ダメッ、ダメぇえ! そんなに……しないでぇ! おかしくなっちゃう!」

「あんっ、あんっ……ちょこは、それ以上、いじっちゃらめぇ! 〇〇〇〇も、〇〇〇も、せちゅないのぉ! もう、我慢できないよぉ! あぁ――おねぇたま! 〇×△※+□!」

 筆舌に尽くしがたいとは、まさにこのことだ。僕は必死で、耳もふさいだ。

 逆に、惨状をよくよく観察し、安穏とした声音こわねで軽口を利くのは、神々廻道士だ。

「いやぁ、それにしても、凄まじいながめだな……親父の死、あれ以来か……ふぅん」

 また出たよ、「以来」……今度は、親父の死? 本当に、どういうことなんだ?

 すると神々廻道士は突然、酒瓢箪さけびょうたんを投げ捨てた。

 あれだけ執着し続けた鬼去酒きこしゅを、自ら手放したのだ。

 しかも彼の目つきは、鋭利に研ぎ澄まされ、凄まじい殺意さえ孕んでいた。

「蛇那、蒐影、呀鳥……これが、最後の命令だ。俺の酒気が抜け切るまで、時間稼ぎしろ」

 かつてない闘志で、身をつつんだ神々廻道士の命令に、三妖怪はハッと息を呑んだ。

「え? ご主人さま……それって、まさか」と、怪訝そうに眉をひそめる蛇那。

「我々を、自由にしてくれるってことか?」と、不可解そうに問いかける蒐影。

「本当に本当だな? 嘘じゃねぇんだな?」と、疑わしそうに念押しする呀鳥。

「あの状況を見ろ! シラフになんなきゃ、やってられねぇだろ!」

 そこは普通、酒呑まなきゃ、やってられない……のような気が、いや!

 そんなこと、どうでもいい! 神々廻道士が、ようやく本気になってくれたんだ!

 よぉし! 僕も気合い入れるぞ!

師父しふ! なんでも云ってください! 僕にできることは、どんなことだってします!」

「じゃあ、その場を動くな!」

「はい! りょうか……え、ちょっと? やっぱり、足手まといだってぇの!?」

 畜生っ……どうすりゃいいんだ! 目の前で、琉樺耶が、茉李が、数多の女性が……そして愛する凛樺が、苦しみにあえいで……いや、気持ちよくてあえいでいるのに、僕はただ、指をくわえて見てるだけだなんて! とても堪えられない! 早くなんとかしないと、今にも爆発(怒りがだよ、怒りが!)しそうだ! 僕にできること……僕にできることは、

「……だぁあぁぁあっ! なにも思いつかないよぉおっ!」

 やっぱり、僕はダメ男なんだぁ――――っ! と、あきらめかけた、その時だ!

「心配無用です、先生!」

「こ、この声は……えん隊長! と、【百鬼討伐隊ひゃっきとうばつたい】のみなさん!」

 背後の森陰から、一斉に登場したメンツに、僕は魂消たまげて腰を抜かしそうになった。

 燕隊長は、指揮鞭しきべんを手に、腕組みし、渋面でつぶやいた。

「本当は、もう少し様子を見るつもりだったのだが、そうもいかない状況になって来たな」

「なにを悠長な! 来てたんなら、早く神々廻道士たちに、加勢してあげてくださいよ!」

「鬼神級の鬼業を感じる……ゆえに、生餌の数が、まだ足りないのだ。だからこそ、少ないにえから必死で体液を、かき集めているのだ。女たちの嬌声きょうせいが凄絶なのは、そのためだ」

「だから! 説明はもういいです! なんとかしてってば!」

 焦ってイラ立つ僕の方へ向きなおり、燕隊長は唐突に、こんな質問をぶつけて来た。

「先生なら、どうする?」

「はぁ!?」

「愛する妻女も、あの中に捕りこまれているのでしょう? なのに先生は、ここでただ黙って傍観しているだけですか? 自らの知恵をしぼって、自らの力で助けようとは、まったく考えないのですか? 神々廻道士にすべて丸投げし、自ら動く気はないと……ハッ! これは、私の見こみちがい……とんだ腰抜けですな! 妻女に愛想を尽かされるワケだ!」

 神々廻道士のみならず、一度は味方だと信じた燕隊長にまで、容赦なく辛辣しんらつな語調で罵られ、僕は怒りで熱くなった。見境がつかなくなった。体中の血が、煮えたぎるようだった。ゆえに、いつもの僕からは考えられないような、ぞんざいなセリフを吐いてしまった。

「黙れ! あんたに、なにが判る! えらそうな口を利くな!」

 すると燕隊長、我が意を得たりといった表情で、口端をゆがめ、僕にささやきかけた。

「判りますよ、一から十まで、すべて調べましたからね」

 えぇっ? 調べたって……この上、なにをですか? 個人の権利を侵害してません?

「あなたが、今までつき続けて来た嘘も」

 ギクッ! いや、嘘なんか一個もついてないぞ! 別に、うろたえることはないな!

「実は、【劫族こうぞく】出身ではないことも」

 ドキッ! 確かに、実は僕、捨て子で……本当の血統を、よく知らないんだけど……。

「本当は、あなたも人外の物であることも」

 ………………(絶句)

「な、に、を、云って……啊っ!?」

 僕が憮然として、燕隊長に云い返そうとした刹那、鬼宿木の結界線上では、とんでもない事態が発生していた。神々廻道士の命令で、鬼宿木へ突貫とっかん攻撃を仕掛けた三妖怪の、俊敏な動きが突如、急停止し……棘だらけの魔手に、からめ捕られてしまったのだ。

 枝ぶりを伝う白蛇も、地表を這う影鬼も、天から滑空する怪鳥けちょうも、鬼宿木が新たに伸ばした触手の如き赤枝に、自由を拘束されてしまった。いや、体の自由だけではない。

 樹幹の洞の奥にひそむ、楊榮寧の顔が、鬼の形相と化し、おぞましい獣声で叫んだのだ。

 あの、忌まわしい呪禁じゅごん本星名ほんしょうみょう】とやらを! しかも、三匹分すべて!

唵嚩嚕拏野娑嚩訶おんばろだやそわか!』

「まずい! 蛇那!」

「きゃあぁあぁぁあっ!」

 蛇那は白蛇から、赤黒い下半身が大蛇の怪物へ!

唵畢哩体微曳娑嚩訶おんびりちびえいそわか!』

「いかん! 蒐影!」

「ぬおぉおぉぉぉおっ!」

 蒐影は影鬼から、黒光る実体を持った鬼武者へ!

唵阿哦那曳娑嚩訶おんあぎゃのうえいそわか!』

「ダメだ! 呀鳥!」

「ぐひぃいぃぃぃいっ!」

 呀鳥は怪鳥から、血色の千刃を手にした巨神へ!

『『『シャァアァァァアァァァァァアッ!!!』』』

 壮絶な変身をとげた三妖怪は、声をそろえて、耳をつんざくような雄叫びを上げた。

 直後、三妖怪を縛めていた首輪は、勢いよくはじけ飛び、宝玉は木端微塵に砕け散った。

「クソッ! 三莫迦の【本星名】を読み解かれた! まさか、そんな禍力まで持ってるとは……こいつ、ただの鬼宿木じゃねぇぞ! 生餌も女ばかりだし、かといって殺しもせず、体液をすすってやがる! ハッ……もしかすっと、苗床は【鵺醜女】でなく、【食女鬼うかめおに】の屍骸なのか!? だとしたら……俺さまとしたことが、とんでもねぇ大誤算だ!」

 神々廻道士は心底、悔しそうに、己の采配失敗を嘆き、そして……あることに気づいた。

【食女鬼】……って、なんだ!? 物凄く不穏な感じの名前だぞ!? それに、先刻から、ヤケに体調不良が……とくに腹痛が酷くなって来たし、まずい……こんな時に、クソッ!

「仕方ねぇな……喂、彪麼ひょうま! 俺の始末は、てめぇにまかせたぞ!」

 神々廻道士は、百鬼討伐隊と、燕隊長の方を一瞥いちべつし、そう伝えるや、偃月刀えんげつとうを抜いた。

「無論、心得ている。そのために、我々は来たのだ」

 こっくりとうなずく燕隊長。神々廻道士は、かすかに笑った。

 そして、次の瞬間!

『ぐおぉおぉぉおぉぉぉぉぉぉおっ!』

「し、神々廻道士!?」

 凄まじいまでの気焔を吐いて、上忌地と最上忌地の境界線めがけ、走り出した神々廻道士に、僕は驚倒し、目を見開いた。人喰い呪木相手に、いくらなんでも、無謀すぎるよ!

 けれど人間離れした跳躍力で、天高く伸び上がる鬼業の根の壁を、ヒラリと飛び越えた神々廻道士は、なおも執拗に迫り来る枝葉の魔手を、偃月刀で斬り払い、さらに突進する。

 そうする内に、神々廻道士の姿が、徐々に変形し始めた。

 ザワザワと乱れた髪は黄金に変じ、大きくみはられた目は柘榴ざくろ状の複眼に変じ、精悍せいかんだがしなやかな体躯は骨格が異形の物に変じ、道服は裂け、頭頂部から鋭い一角まで突出する。

 そう、そこにいるのは最早、人間ではなかった。

「おっ……鬼!?」――である。

 呆然自失でつぶやいた僕……燕隊長はため息まじりにうなずいた。厳しい眼差しを神々廻道士に向けたまま、背後に居並ぶ隊員たちが、どよめくのを手で制し、燕隊長は云った。

「あれこそ、奴の本性……神々廻道士こと、趙劉晏ちょうりゅうあんの真の姿だ!」

 燕隊長のセリフで、僕を始め、討伐隊の一同にも激震が走った。

「神々廻道士は……お、鬼だったんですか!?」

「厳密に云えば〝半鬼人はんきじん〟です。奴は自ら望んで、邪鬼の憑坐となったのです」

 自ら望んで、憑坐に、だって!? 僕の頭は、いよいよ混乱し、真っ白になりかけた。

 しかし、辛うじて意識をつなぎ止め、言葉をしぼり出す。

「な、何故です! なんのために、そんな……」

 僕の疑念を払拭するため、燕隊長は穏やかな口調で告げた。

「先程、本陣の執務室で、ご説明したでしょう」


――劉晏の父は、六官巡察使ろくかんじゅんさつし(朝廷密使)という役職を利用して、紗耶さやの父を讒訴ざんそしました。それは神祇府じんぎふからの命令で、政敵・宮内大臣くないだいじんを潰すためだったのですが、結局……宮内大臣へ捜査の手が届く前に、紗耶の父はすべての汚職贈賄罪を着せられ、処罰される破目に……私の父・左右衛大臣そうえだいじんが、最終的にその役目を担い、宮内大臣附き少傳しょうふに……妹のような存在だった幼馴染みの父に、死罪を与えたのです。父は旧友の死に自責の念を感じ、翌年には職を辞しました。今は隠居生活です。そして、劉晏の父も……彼の場合、苦しみは私の父より、もっともっと深かったのでしょう。紗耶の父の、七七日しちしちにちの忌明けを待たず、自害して果てました。それからですよ、劉晏が変わってしまったのは……自らを苦しめるように、酒に溺れ、暴力的になり、他者から恨みを買うような真似を平気でし、劫初内ごうしょだいを飛び出して……一度は道士の道を志したものの長続きせず、ついには鬼神に魂を売り渡し、半鬼人となってしまったのはね。今にして思えば多分、紗耶とその両親に対する罪滅ぼしのつもりで、あんな莫迦な真似をしたのでしょうな。鬼神にそそのかされるまま、酒蟲しゅこを身に入れ、絶えず鬼去酒を呑み続けるなんて、自殺行為もいいところです。でも、そうまでして自己破壊に向かうなんて、実にあいつらしい莫迦さ加減だと、私は思います――


「まったく……莫迦な奴でしょう。本当に、救いようのない莫迦だ」

 そうつぶやく燕隊長は、確かに先刻、執務室で僕の疑問に、すでに答えていてくれた。

 それをあらためて思い返し、僕は愕然となったのだ。

「僕……半信半疑でした。だって、彼は……いつも一杯加減で、本心を語らないから……」

 すると燕隊長は、語気を荒げ、苦しげに顔をゆがめ、つらい心情を吐き出した。

「私だって、本当は判っていたのだ。奴が金に執着し、図太く三妖怪を利用し、ああまでしてムチャを繰り返す理由は、すべて紗耶のためだと……しかし、私にも立場がある!」

 そんな燕隊長の思いを、助長するかの如く、僕の真後ろから、こんな声が聞こえて来た。

「そう……やっこさんの真の目的は、雁萩太夫かりはぎだゆう……いや、紗耶の身請け金集めだよ。実はもう、全額そろってるんだ。それで毎度毎度、わし大尽客だいじんきゃくになりすまし、神々廻道士の代わりに、身請けに往くんだがな……どういうワケか、あの女子、首を縦に振らん。儂は変化に長けとるゆえ、さまざまな顔形で試してみたが、どれもお気に召さんらしい。無駄骨だったよ」

 聞き覚えのある声……いきなり治った腹痛……スッキリ感……まさか、まさか!?

 振り向いた僕は、そこに予想通りの人物……いや、妖怪を見つけ、腰砕けになった。

「げげっ! 不潔で好色な……じゃない、醸玩じょうがんさん! どうして、ここに!? ……ってか、今また僕の中から、現れませんでした!? なんか、酷い体調不良が治っちゃったんですけど……まさか、あんたが、僕の中にいたせい!? それで、気分が悪かったの!?」

「ご名答。実に住み心地のよい尻だな。永住させてもらおうか」

 ぐひひ、と……垢染みた貧相な顔に、不気味な笑みをたたえる醸玩だ。

 き、気色悪ぅ……僕は悪寒に震えた。

「冗談じゃない! ちょっと、燕隊長! なにを笑ってるんですか! ハッ……まさか!」

「こいつはね、私があえて奴に近づけ、素行を探らせていた【百鬼討伐隊】の密偵なのですよ、先生。奴はすっかり、信用しきっているみたいですが、本当の雇い主は私なのです」

 燕隊長が明かした真実は、僕を完膚なきまでに叩きのめした。

「それじゃあ、全部、承知済みで……哈哈、哈……なんて、こったよ」

 気が抜けて、地べたに座りこむ僕。燕隊長は、そんな僕の肩をつかみ、ささやいた。

「先生まで騙して、申しわけない。しかし、先生だって、我々を騙しておられる」

「だから、さっきから一体、なんのことですか! 人外の物とか、騙すとか!」

 奥歯にもののはさまったような云い方に、僕は憤慨し、燕隊長へ喰ってかかった。

「ヤレヤレ、まだとぼける気ですか」

「あのね! 勿体ぶるのは、好い加減……」

「それにしても……劉晏め、だいぶ苦戦しているな」

「ええ……三妖怪まで、敵に回してしまいましたからね」

 燕隊長は、僕の怒りなど、どこ吹く風で、完全無視。かたわらの副長と、会話し始める。

「ちょっと! 話を逸らさないで……うわっ!」

 またぞろ、燕隊長に詰め寄ろうとした僕の足元へ、鬼宿木の千切れた枝先が刺さったのは、その時だ。結界内に目を転じれば、いよいよ戦況は凄まじいことになっていた。

『往生際が悪い野郎だ! 好い加減、女どもを放しやがれ!』

 鬼と化した神々廻道士が、偃月刀片手に、ドスの効いた胴間声どうまごえで叫ぶ。

『こやつらは大事な生餌だ。死ぬまで精を吸い尽くしてやるわ……だが、どうしても欲しいと云うのなら、愛液の質が悪いスベタを、二三匹、くれてやる。ありがたく受け取れ』

 呪木と化した楊榮寧が、耳障りな獣声じゅうせいで鬼宿木の思惑を代弁する。

 すると、先刻、僕らの目前で痴態をさらした女性も含め、いずれも美貌だが愛液の質が悪い(って、なに!?)三人が、枝ぶりで洞からつかみ出され、四肢を卑猥に緊縛されたまま、神々廻道士の鬼体へ叩きつけられそうになった。まさしく鬼宿木の操り人形と化した女性たちは、完全に常軌を逸し、嬌声を上げて、神々廻道士へ取りすがろうとする。

「精をぉ、精をぉ……早く、くださりませぇ!」

「お願い! もっと、もっと、気持ちよくしてぇ!」

「あなたのモノで、深く私をつらぬいてぇ!」

『くぅっ……やめろ、邪魔するな! どけぇ!』

 神々廻道士は、執拗にまとわりつく裸の女性たちを、突き放そうと必死だ。

 しかし女性たちも必死で、男の精をもとめ交合をねだり、裸体を妖しくうごめかし、豊満な胸や腰を、神々廻道士の鬼体にすりつけ、彼の敏感な部分をなめ回し、甘噛みする。

 彼女たちが、神々廻道士の下半身に手を伸ばすと、彼は一瞬、くっと顔をしかめた。

 凄い光景……腰が抜けそう! あんな美女三人に、あんな激しく責められたら、普通の男なら、とっくに陥落してるはずだ! それを抑えこむ、神々廻道士の精神力も凄い!

 そうこうする内にも、鬼宿木と三妖怪の攻撃は、一向に止まらない。最早、死んでもかまわぬと、女性たちを人身御供にして、ひるんだ神々廻道士へ、一斉に襲いかかる。

『あぁあっ……畜生! 世話かけさせやがって!』

 神々廻道士は、女性たちを傷つけまいと、まず彼女らの体を縛める鬼業の根を、断ち斬ろうとした。刹那、女性たちは本性を現した。とがった角と、鋭い牙を出し、神々廻道士の体へ噛みついたのだ。無惨にも彼の体の肉を喰いちぎる。
 どうやら女性たちは、鬼宿木が作り出した、本当の『木偶でく人形』だったらしい。
 神々廻道士は、苦痛にうめいた。

『畜生っ……よくも、卑怯な手で騙してくれたな!』

『哈哈哈哈哈……命終までの寸刻、私の木偶に精々可愛がってもらえ。私も、可愛い妻たちを、思う存分可愛がってやろう。もう、人間の男など、相手にできなくなるほどにな』

 その途端、洞の中の女性たちのあえぎ声も、一段と強まった。

「「「はぁあっ……××××……んぐっ……××××!!!」」」

 もう、口に出すのもはばかられるような、とんでもないセリフを云い放っている。

「限界だな。手を貸してやれ。地獄枘じごくほぞ、発射準備。狙いは木偶だ」

 ここに来てようやく、燕隊長も重い腰を上げてくれた。すかさず、【百鬼討伐隊】の隊員が、命令に従い『地獄枘』をかまえる。あれ? もしかして、あの鬼憑き騒ぎの時の地獄枘って、討伐隊から(というより燕隊長から)盗んだ物なんじゃ……などと、僕が疑念をいだいている隙に、鬼の捕縛用巨大銛『地獄枘』が、物凄い砲声を立てて発射された。

 狙い目は完璧で、神々廻道士にからみついていた木偶女たちを、一瞬で貫通。粉々に破壊した。ところが、助けられた当の神々廻道士は、怒り心頭で燕隊長に怒声を飛ばした。

『チッ! 誰がてめぇに手助けなんか、頼んだよ! 黙って見物してやがれ!』

 いや、神々廻道士ってば! それはないでしょう! 助けてくれた恩人に対して、そんな不遜な云い方……でも、燕隊長はフッと鼻で笑い、小声で「承知した」とつぶやいた。

「え、燕隊長!? 今の、冗談でしょ!? だって、鬼退治は護国団の務め……」

 まさか、本当に本気で、神々廻道士を見捨てるの!? そんなに、恨んでるの!?

「いいえ、先生。これに関しては奴の務めなのです。余計な手出しをした私が愚かだった。あとは静かに見守りましょう。もっとも、あなたには、それ以外できないでしょうがね」

 嫌味たっぷりに云われ、僕は、はらわたが煮えくり返るようだったが、確かにその通りだ。今の非力な僕に、一体なにができるって云うんだよ!

『啊、面倒臭ぇ! 好い加減、くたばりやがれ!』

 その時、神々廻道士の叫び声が響き、僕はハタと我に返った。

 神々廻道士は、偃月刀で、執拗に攻め来る棘だらけの枝ぶりを、紙一重でかわし、幾度も斬り裂き、叩き落とし、なんとか鬼宿木の核心へ近づこうと、躍起になっている。

 それを邪魔するのが、よりによって三妖怪である。今まで神々廻道士に隷属して来た蛇那・蒐影・呀鳥は、今まで以上に強まったそれぞれの特性を活かし、〝ご主人さま〟へ容赦なく猛攻を仕掛けている。蛇那が、神々廻道士の体に巻きつき、猛毒の牙で咬みつけば、蒐影は、変幻自在の巨体でもって、神々廻道士の顔面を殴打する。呀鳥は、千の刃翼はよくで斬りかかり、神々廻道士の体を傷だらけにし……とにかく、この三妖怪の相手をするだけでも、神々廻道士は精一杯で、とても鬼宿木の中枢などへ、近づくことができないのだ。

『クソッ……目を覚ませ、蛇那! 蒐影! 呀鳥! それともこれは、俺さまが今まで酷使して来たことへの、意趣返しなのかよ! チッ……毒が、もう、効いてきやがった!』

 苦痛に顔をゆがめ、逼迫ひっぱくする神々廻道士だ。一方の三妖怪は――、

『『『殺ァアァァァァァアッ!!!』』』

 自我だけでなく言葉さえ失ってしまったのか、三妖怪は同じような絶叫を放つばかりで、神々廻道士の問いかけにも、決して応じようとしない。最早、単なる殺意のかたまりだ。

 その上、攻撃をためらい、三妖怪に隙を見せた神々廻道士へ、鬼宿木の魔手が迫る。

『格下の邪鬼めが、この私に……【食女鬼】の血肉と禍力を得た私に、敵うと思ったか! つけ上がるなよ! 真の地獄へ叩き堕とす前に、たっぷりと生き地獄も味わわせてやる!』

『ぐあぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあっ!』

 四方八方から襲来した枝触手に囚われ、鋭利な棘を体中に刺され、神々廻道士は凄絶な悲鳴を上げた。今でこそ姿形は、恐ろしい鬼畜その物だが、元は確かに神々廻道士なのだ。

 僕も思わず驚倒し、悲鳴を上げていた。

「啊っ!?」

 だが、地面へ叩きつけられ、おびただしく吐血してなお、神々廻道士は闘志を抜かない。

 すぐさま立ち上がり、偃月刀で満身創痍の体を支え、鬼宿木の核を睨む。

 楊榮寧は、不敵な笑みを浮かべ、樹幹を躍動させる。

 途端に、凛樺は身もだえ、琉樺耶は小刻みに震え、茉李はむせび泣いた。

「女たちに働きかけ、体液の精製を促しているな……劉晏がどんなに、枝葉を傷つけたところで、鬼宿木に弱る気配がないのは、そのためだ。常に女たちから、生命力の源である体液を、充填じゅうてんしているのだ。これでは到底、奴に勝ち目はないぞ。惨めな負け戦だ」

「そ、そんな……あんたたち、鬼退治専門護国団でしょう! さっきのセリフだって、きっと神々廻道士の強がりです! この際、私怨はのけといて、なんとかしてくださいよ!」

 ヤレヤレと肩をすくめる燕隊長や、ただ黙って見守るだけの隊員たちに、僕は激怒した。

『俺さまは、もうじき死ぬ……だが食女鬼! てめぇも、地獄へ道連れにしてやらぁ!』

 そうこうする間にも、神々廻道士は激語し、弱り切った体に鞭打って、再度、呪木の核心へ突貫攻撃を仕掛けた。神々廻道士の、こんなにも真剣で必死な姿を、僕は初めて見た。

 最早、捨て身……落命も覚悟の内なのだろう。

 啊、それにしても、なんて……なんて、壮絶きわまりない死闘だろうか!

 身の内に女性を蓄えた鬼宿木と、鬼畜に変態した神々廻道士の、まさに命を削り合うような激戦……そこへ大蛇に巨神に怪鳥の、三位一体攻撃が加わり、上忌地の結界内は、文字通り修羅場と化したワケだ! あるいは、見るに堪えない地獄絵図とも、云えようか!

 呪木がのたうつたび、神隠しの森全体が激しい地鳴りに揺らぎ、空間がゆがむような波動に襲われ、禽獣や植物に影響を与え、結界の外で見守る僕らの足元まで、不安定にする。

 さらに、赤い地面を隆起させる。

 しかも、メリメリと亀裂を走らせる。

 そして、女性たちは絶頂を迎える。

 その都度、鬼宿木は禍力を強める。

 ここに来て、ついに燕隊長も覚悟を決めた。

「これ以上は待てん。我々の出番だな。このままでは女たちの身がもたん。鬼宿木に、いつ犯されてもおかしくない状態だ。それに、劉晏の身とて危うい。ただではすまんぞ」

「はい、燕隊長。鬼宿木の……しかも【食女鬼】の鬼業を持す化け物では、神々廻道士とて、いつ落命してもおかしくありません。逆に、ここまで、よく持ちこたえましたよ。もっとも、鬼業にって死ぬことこそが、奴の本当の願いであるなら、話は別ですがね」

「奴の願い……かつて自分の父が、そうしたように……奴も鬼業を受けて死ぬという、最悪の自滅方法を取るわけか……だが、そうはさせん! 奴に罪業を与えられるのは、人間として罪を償わせることができるのは、この俺だけだ! 勝手には死なせんぞ、劉晏!」

 燕隊長は、うなるように云い、すぐさま背後にひかえる隊員たちへ、厳命をくだした。

「みなの衆! 再度、攻撃だ! まずは砲撃組! すみやかに『地獄枘』の準備! 狙うは鬼宿木の核……《楊榮寧》だ! 但し、囚われの女たちには、傷をつけるなよ!」

「「「「承知!!!」」」」

 ただちに呼応し、迅速に動き出す隊員たち……僕は、僕は、本当に、なにもできないのか? 神々廻道士が、燕隊長が、みなが一生懸命になっているのに、ただ見ているだけ?

 凛樺が、琉樺耶が、茉李が、死と隣合わせの危険にさらされているのに、三妖怪が自由を奪われ、鬼神の云いなりに虐使されているのに、楊榮寧とて、己の本意で呪木に捕りこまれたわけではないのに……誰一人、助けることもできず、指をくわえて見ているだけ?

 そうなのか、楓白?

 そんなのは、嫌だ!

 絶対に、絶対に……嫌だ!

 僕は、僕は……僕は!

 みんなを……ただ、みんなを、助けたい!

 たとえ、この身がどうなろうとも……命を落とすことになろうとも……。

 刹那、僕の頭の中で、なにかが真っ白に弾けた。

 そして、そこから先は、もう……記憶が、自我が、意識が……完全に、消滅した。



ー続ー

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