マガジンのカバー画像

ふうら逍遥

27
ふうらかんの野外写真集です。
運営しているクリエイター

#羅漢

日食

372年振りの夏至日食だとか。 当地播磨地方は薄曇り。ぼやけた太陽を日食グラスで観ると、オレンジ色の少し欠けた円で、輪郭がはっきりしない。穴を空けた紙などを用意したけれど、シャープな像を結ばない。それでも触にある太陽には何かがある。魔力か、魅力か。 日食と言えば、2012年5月21日に忘れ難い経験をした。列島のどこかでは金環日食になったはずである。写真もずいぶん撮ったのでそれを探し出した。 朝の7時30分に最大食分 0.932。 これはピークを過ぎてから、三日月が食の始め

ふうら合掌

長い夢籠りにあった三番目の〈ふうら〉と野に出た。 南無野。 ふうらは野を愛し、野に帰依する。 宇宙にこころを広げ、宇宙の摂理に寄りそう。 小さな空地に、星粒のような花。 タンポポの絮はぼうっと浮かぶ彗星か、球状星団の如し。 仰げばこの惑星が巡る太陽という恒星の光。 こちらも小さな草地に散開星団のように咲くイモカタバミ。 小さな植物にはステラリア属(ハコベ属)などもあり、小草と微星はよく親和する。 〈ふうら〉の合掌は、花たちへ。 花は草は、なにを願っているだろう。 夢籠り

ぶらぶら春を

風が吹いて、雨が降って、嵐が過ぎた。 散歩もしばらくぶり。それで長らく夢籠りだった〈ふうら〉のもう一人を春の野辺へ。 雲がぷかぷか、日傘をさす人がいるぐらいの陽気。ちょっと近くの草地に寄ってタンポポの綿坊主と旅談義。 ここは馴染みのレンゲ田。白い花のを二三輪摘んだことがあるが、それきり見ないのが淋しい。 杖を手にするものは、旅の草杖も楽しみ。手にする草によって旅の心持ちも違ってくるだろう。レンゲソウなら精神の奥処に蜜も溜まるかもしれない。 タンポポの一家と。 ゲンゲ杖

寂しい春に

新型コロナウイルスの脅威は春になっても衰えない。むしろこれからがこの列島では正念場。緊急事態が宣言され、家に籠もるのが最善の春となった。人類の半分が罹患するだろうとの悲観的な予測などを耳にすれば、肺に疾患をもつ身は覚悟の一つも二つもしなければならない。 おかしなもので、ここ数年はずいぶんな越冬態勢で風邪やインフルエンザを警戒し、ある意味覚悟などもしてきたつもりだけれど、今度のウイルスに関してはまた違うらしい。なんとしても生き延びようと思う。 春になればあしうらの歩き神もむ

新雲 アタラシウム

今日はサイト「ふうらかん」の開設記念日(1996.11.2)。 ホームページ「ふうら美術館」と呼んでいた当時の方が賑わっていた。懐かしんでも仕方がないが。 コウヤボウキを気に入っているのは、ふうら陶像の第一号。珠洲焼です。 サイトを訪れて〈ふうら元素〉を引いてみた。 「新雲 アタラシウム」と出た。 過去より現在。新しく未来へゆけ──ということか。 「ふうらかん」 http://rokkaku.que.jp/fura/ 「ふうら元素」 http://rokkaku.q

芒風羅

ススキは風の達者。風流、風狂の植物。 それ故、ふうらの旅のシンボルであり、無くてはならないアイテムである。 奥能登よろみ村での野焼きから生まれでたばかりのふうら。 1995年、乗鞍岳の秋。ススキの白さが眩しい。 2019年10月31日。 行く秋をふうらと惜しみつつ、散歩。 背景は、播磨北条盆地の里山。標高100メートルあるかないか。 ススキは赤く美しいものを手にして。 古典で言う〈まそほの芒〉はどんなススキなのか。 徒然草によると、  ○ 穂が一尺(30cm)あるスス

きのこ

久し振りにふうらと散歩。 いつからか、カメラも双眼鏡も持たず、iPhoneだけをポケットに出かけるようになった。昔は、フィールド・ワークのような装備でいたこともあった。旅行はもちろん遠足や散歩にも、誰かふうらが一緒だった。 旅の達人のかれらが同行してくれると、何かよりよい按配で歩けそうな、見聞ができそうな気がするのだった。風景も広く深く遥かなものになる……。 ふうらの陶像は大きい方で300〜400g。この日は小さい方を二人。 道々あまり撮影スポットは無いように思ったが、森

たんぽぽと、

三月。ふうら散歩。 綿毛の一部が飛んでくり抜かれたようになっている(正面)。 旅心がふつふつと。 ふうらに連れられて遠出、フキノトウを発見。 あちこちに鄙びた梅が咲いていて、ことしも春に漂着。