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ふうら逍遥

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ふうらかんの野外写真集です。
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#陶像

風がおいしい

ふうらと散歩は久し振り。このところ近場の路地巡りが多かったから、思いきって遠足。目当てはキンミズヒキ、ガガイモ、スズメウリなど。元気があればウマノスズクサまで足をのばして、ジャコウアゲハの成虫か蛹にでも逢いたい。 中国自動車道沿いの道を歩いたが、田圃側も植栽側も除草剤が撒かれて草が枯れ枯れ。たくさん咲いていたタカサゴユリもこの秋は一輪も見ない。赤の美しいイヌタデは盛んだったが、一箇所生育していたオオイヌタデの辺りは無残な景色。キンミズヒキを僅かに見たのみ。だんだん味気ないコ

立春散歩

暦の上の春だけれど、やっぱりうれしいものだ。立春の羅漢たちに会いたいと思っていたので、一人のふうらを散歩にお連れした。 空はよく晴れて、風が少しあり、暖かいというほどではなく、寒いというわけでもない。 酒見の森の女神だと愛でている椿は、今年は蕾が遅い。花はまだ先だろう。一羽のイソヒヨドリが人懐こく、相当近寄っても逃げない。以前にも向こうから交差するように来たから、誰か餌でもやっているのだろうか。顔見知りになるのは楽しいが、文教地区もテリトリーにする鷹がいるから気をつけても

梧桐 2020

梧桐(アオギリ)は五月に芽吹いて、いっきに葉を広げる。 昨年もこの頃に見事な樹形樹影となり、その木陰を愛でて何人かのふうらが憩った。   梧桐 2019 今年で五歳の梧桐はまた一段と伸びた。 樹高36cm。 この五月は晴れた日が少ない。かと言って雨が多いわけではない。曇りというのは植物にとってどういう日々なのか。光と水がもっとほしいか。 折りから数条の光が差して、草のひとところがふわと浮きあがった。ひとりのふうらを案内すると、もうずっここにいたいような表情になる。

寂しい春に

新型コロナウイルスの脅威は春になっても衰えない。むしろこれからがこの列島では正念場。緊急事態が宣言され、家に籠もるのが最善の春となった。人類の半分が罹患するだろうとの悲観的な予測などを耳にすれば、肺に疾患をもつ身は覚悟の一つも二つもしなければならない。 おかしなもので、ここ数年はずいぶんな越冬態勢で風邪やインフルエンザを警戒し、ある意味覚悟などもしてきたつもりだけれど、今度のウイルスに関してはまた違うらしい。なんとしても生き延びようと思う。 春になればあしうらの歩き神もむ

ふうらの春

野辺に花がちらほら、光もうららかになってくると、ああ、ふうらがここにいればなぁ、と思う。以前はいつでも一人か二人一緒だったが、重いものをなるべく持たないようにしているこの頃は手ぶらが多い。 そんな思いを二、三度して、ようやく散歩にお伴してもらった。 18日。柿本人麿、小野小町、和泉式部の命日と伝えられ、精霊の日とされている。空では、この日初めてさえずるヒバリの高らかな歌。「ゲージュツ、ゲージュツ、ゲージュツ」と聴こえてくる。ツバメは昨日渡ってきたばかり。  * 20日。

新雲 アタラシウム

今日はサイト「ふうらかん」の開設記念日(1996.11.2)。 ホームページ「ふうら美術館」と呼んでいた当時の方が賑わっていた。懐かしんでも仕方がないが。 コウヤボウキを気に入っているのは、ふうら陶像の第一号。珠洲焼です。 サイトを訪れて〈ふうら元素〉を引いてみた。 「新雲 アタラシウム」と出た。 過去より現在。新しく未来へゆけ──ということか。 「ふうらかん」 http://rokkaku.que.jp/fura/ 「ふうら元素」 http://rokkaku.q

芒風羅

ススキは風の達者。風流、風狂の植物。 それ故、ふうらの旅のシンボルであり、無くてはならないアイテムである。 奥能登よろみ村での野焼きから生まれでたばかりのふうら。 1995年、乗鞍岳の秋。ススキの白さが眩しい。 2019年10月31日。 行く秋をふうらと惜しみつつ、散歩。 背景は、播磨北条盆地の里山。標高100メートルあるかないか。 ススキは赤く美しいものを手にして。 古典で言う〈まそほの芒〉はどんなススキなのか。 徒然草によると、  ○ 穂が一尺(30cm)あるスス

きのこ

久し振りにふうらと散歩。 いつからか、カメラも双眼鏡も持たず、iPhoneだけをポケットに出かけるようになった。昔は、フィールド・ワークのような装備でいたこともあった。旅行はもちろん遠足や散歩にも、誰かふうらが一緒だった。 旅の達人のかれらが同行してくれると、何かよりよい按配で歩けそうな、見聞ができそうな気がするのだった。風景も広く深く遥かなものになる……。 ふうらの陶像は大きい方で300〜400g。この日は小さい方を二人。 道々あまり撮影スポットは無いように思ったが、森

小楢(コナラ)

コナラ(5歳)も若葉の季節。  ここならいいだろ  こならのここなら  なんならここから  こころのそこから (メモ帖に書き付けてあったフレーズ) 草木と一緒だと、ふうらは生き生きしてくる。 光が美しい。 葉が美しい。 樹下二笑羅。 ( 絵の「樹下二笑羅」もどうぞ。30年ほど前の作品です。)

梧桐(アオギリ)

アオギリ(4歳)が葉を茂らせて、ふうらが木陰に憩えるようになった。 ふうらの丈は3センチ。なかなかの人気スポットになりそう。 中国では鳳凰が栖むという樹。木陰で想像力の翼はいっきに羽ばたく。

たんぽぽと、

三月。ふうら散歩。 綿毛の一部が飛んでくり抜かれたようになっている(正面)。 旅心がふつふつと。 ふうらに連れられて遠出、フキノトウを発見。 あちこちに鄙びた梅が咲いていて、ことしも春に漂着。

11月2日(1996年)

サイト「ふうらかん」開設記念日。 当初は「ふうら美術館」という名称でした。 ふうらかんは、宇宙万象の中の個々の謂、そのシンボルとして(絵や像に)表現しています。 風に破れやすき羅(うすもの)は、 風に消えやすきピアニッシモの音。 それら微にして妙なる存在を慈しみ、自ら全うしていきたいと念願しています。 http://rokkaku.que.jp/fura/index.html 22周年記念日。小春日和に草地で佇むふうら二人。 黒いひとは珠洲の窯で焼かれた初期のふうらで、こ