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変わらぬ本質

PHP出版社2014年ベストセレクションに収録されていた阿南慈子さん珠玉のエッセイの一部を紹介。

何年も前だった。妻は運転のライセンスを持たないため、買い物はほとんど私の運転でスーパー等に出かけた。

妻がレジで精算している待ち時間、する事のない私はレジの並びにある書籍コーナーで立ち読みしながら妻が出口に向かうのを待つのがほとんど習い性になっていた。

そんなある日、本棚の前に立つ私の目に留まった雑誌があった。何かに導かれるように手を伸ばしたのがPHP出版の2014年ベストセレクションとして収録されていた阿南慈子さん珠玉のエッセイであった。

以下の記事は2020年11月7日(土) 森下 辰衛
いのり-阿南慈子さんと子どもたちからの転載である。

私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。(第二コリント4章18節)

阿南慈子(あなみいつこ)さんという女性とその子どもたちのことを紹介します。

阿南慈子(旧姓奥村)さんは1954年11月7日、京都のクリスチャンの家に生まれました。

慈子さんは、1980年26歳で阿南孝也さんと結婚。二年後長男時也(ときや)君、更に二年後長女七星(ななせ)ちゃんが生まれました。

ところが1985年31歳で、慈子さんは多発性硬化症(MS)を発病します。

多発性硬化症(MS)は神経細胞の電気信号が伝わらなくなる病気で、体中の器官が動かなくなってゆきます。

33歳で両目失明、その後も病状は進んで、手足の不自由はもちろん気管切開をしなければならなくなって、話すことも難しくなりました。

そんななかで慈子さんは、童話集『もぐ子とおにいちゃん』、エッセイ集『神さまへの手紙』などを出されました。

そして慈子さんは2000年12月に天国に帰ってゆかれました。

以下は私の書いたものに戻ります

私はそのころいろいろの趣味を持ちながらもその結果に多くの不満を感じていました。

登山クラブや旅のクラブを主催していたのですが現地では様々なことが起こります。

例えば深い山に入った時思うようなペースを稼げずいたずらに時間ばかりがかかり一向に目的地の山小屋につけないことがあります。

参加者も年齢や体力も様々です。特に性格が問題となります。

参加者の中には自分の体力不足で歩けなくなってパーティに遅れ気味になる人がままゝいます。

そんな時自分に嫌気が差すのでしょう。

「もう歩けない」「リーダーである貴方が、そんな大変な山ではないといったので、参加したが来るのではなかった」「もう一歩も歩けないから先に行って」等々口からストーレートに吐き出すのです。

そんな時、参加を許した私の判断を反省して腐ったりしますが、ここは北アルプスの核心部、既に登山口から数千メートルの稜線に出て幾つかのピークを辿ってきました。

ここからザラついた急坂の高度差360mを更に下らねば山小屋には到着できないのですがザックを背負っての下りは足腰に堪えます。

(立山室堂から雄山、龍王岳、獅々岳のピークを巡りザラ峠を下り五色が原小屋へ至るルートでした。すでに可成りの体力を使っており、明日限りで今季の小屋営業は終了となります。日没後の気温低下が湯沸かしボイラーを氷結させるために冬季休業に入るんでしょう)

心なしか秋のつるべ落としの陽は既に落ちかかっています。急がねばと逸る心を抑え、その人の荷物を各人に分担してもらい空身で歩いてもらう算段をします。

体力のある人は先に行ってもらい私は歩けないと駄々をこねる子供のような人を先に歩かせ木道の後ろにつき懐中電灯を点けながら暗くなりだした湿原を(二人で)歩き始めました。

木道の所々には冬眠を前にして餌を求め動き回っているのだろう熊の糞を見ると怯えざるを得ません。

しかし空身の先行者は終始文句を言い放っているのが、たまらなく切ない。

お金をもらっているのではない。全くのボランティア、二度とこのような山の会の世話をするのはやめよう思った。

もう一つの旅行クラブは基本的には私の車で行くことが多かった。時々山中のリゾートホテルへ向かう時カーナビがうまく働かず到着するどころか何時間も山中を動き回ることがあります。

このような失敗は一度ならず数回も経験しました。GPSの感度の問題でしょう。転回もできない行き止まりの崖道での立ち往生は、同行者の命を危険にさらします。こんな時、人のためにとしたことが裏目に出て旅そのものに嫌気がさします。

こんなことが何度か続いたのでオウトドアはやめてエッセイ教室でも主催しようとしてお金をかけて始めたのですが地方都市では人口も少なくおまけに交通の便が悪いとくれば生徒の募集は困難です。

このころの自分は趣味の世界でも思うようにいかないことが重なり、ますます嫌気がさして倦怠感に襲われていました。

そんな時、阿南慈子さんのエッセイにスーパーの書籍コーナーで出会ったのです。阿南慈子さんのように重大な人生の危機を迎えながらも前向きに生ききる姿に感動し、些細なことに嫌気がさす自分を反省したのです。早速教材に利用できないかと買って帰りました。

これを動画風にまとめてみました。これはこれで好評だったのですが二度の大病の結果教室運営は成功の手前で頓挫してしまいました。

https://www.youtube.com/watch?v=d87qEp81oF0&t=3s

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