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久松真一その思想と生き様3

久松のいう東洋無は、徹底して西洋の虚無の限界に挑んだものと言われる。彼の場合、西田哲学が先にあった。これは「絶対無」の哲学である。

西田は絶対無を場所の論理や述語の論理に適用していった。
「場所」とは西田哲学の用語である。述語の論理ともいわれる。西田の初期の哲学における純粋経験や絶対意志という直感的概念を論理化するために見出された考えです。

彼は自覚を根本的な「働き」と考えて,その底に「見るものなくして見るもの」を想定し,それを概念化して「場所」と呼んだ。

「場所」とは「自己自身を無にして無限の有を含む」もので,有のカテゴリー (主語) と無のカテゴリー (述語) の関係で論理化される。
これは自覚において直観(論理的でないもの)と反省(論理的なもの)とを統一する論理となり,以後の彼の思想の体系化における基本的概念となった。

久松はこれを場所や論理ではなく、自己にあてはめようとした。そういうことを考えた近代哲学者はいなかったとは松岡正剛氏の指摘である。

久松は、西洋における自律性は神にすがった自律か自己の根拠に依拠した自律であると論じた。これを久松はできるだけ排そうとした。
一切なにものにも依らない自己であろうとすることを目標としたのだ。

なにものにも依らないのなら「無」に依るわけだから、ここに「主体的無」のようなものを仮定した。主体的無とはかなり抽象的でわかりずらいが、私という主体が無を根拠にしたっていいと考えたのだ。後にこれを「能動的無」と言い換えている。
哲学から出発しながら、このあたりから久松は近代哲学者ではなく、しだいに禅者になり、思想家、宗教家になっていく。

そもそも人は、物事を知るということから感情が生まれ、意志の要求によって生きているのだから、その要求に価値があるかどうかは、いったん無を経験する必要がある。無を経験し、無を通過してみれば、本来の価値がどういうものかが見えてくる。

無に徹したものが例え失望や絶望であっても、その経験こそがが本当の価値を気づかせるのだ。
「絶望した私が私自身を救う」ということである。そこに「無相の自己」(formless self)というものがあらわれる。

 無そのものがあらわれて、それを自己とみなせる気分に包まれる。これは主体的無ではなくて、無的主体なのである。自身が無の底を割って出湧した自己なのである。
それゆえそこには、深さの次元と広さの次元と長さの次元が同時にあらわれてくる。

 深さの次元は「無相の自己」が自由自在を感じるときである。広さの次元は自分が生きている立場を他者に広げていくときをいう。長さの次元とは、歴史や時間に自身を投入できているときにあたる。

 昭和34年、海外遊学や海外講演からかえってきた久松は、それまでの思索と行動をまとめて「FAS禅」と呼ぶようになった。FASは次の頭文字からとっている。

   To awake to Fomress self

   To stand on the sandpoint of All mankind

   To create Superhistoribal history

 無相の自己に目覚め、全人類の立場に立ち、歴史をこえて歴史を創るという意味である。

また久松真一の代名詞のように思われている「東洋的無」であるが、「学門的な知識には二通りある」ということを、彼は常々言う。一つは、客体知・・客観的に求める知識。もう一つは、主体知で、自分の生き方に関わる智ということです。『東洋的無』は、そういう客体知と主体智が一つに結実した日本の思想史の中でも大変ユニークな位置を占めるものです。

 ここで大事なことは、「東洋」ということで、「東洋とは一体何なのか」ということです。

東洋には仏教があり、そして禅の精神性というものがあります。そこに重きをおくとそれはやはり純粋な自己ということになり、形なき自己に目覚めるということになります。
そこにこの「東洋的無」の中心的なものがあるということです。

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