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時間の矢

時間の矢とは"物事"が過去から未来へと展開することを指す。エントロピーは 低いほうから高いほうへ増大するだけで、逆に減少することはありえない のです。 「時間の矢」のように、一方向にしか変化しないのです。 物理学で時間の不可逆性が論じられるのは、このエントロピー増大の法則があるから なのです。温度が「高」から「低」へ、すなわちエントロピーが「小」から「大」へと移る現象に逆はありえないため、過去と未来が決定的に区別されてしまうのです。

物事が未来から過去へ展開した事は今まで一度も"目撃"されていない。私たちは、物ごとは未来へ必ず向かうという具合に説明され、変化をそのように説明されてきましたが、エントロピーと時間の矢の概念を単純に結びつける事はできないのではないのかといわれ始めてもいます。

時間の矢とは"物事"が過去から未来へとの運動のようなものを表す概念です。だがその反対、未来から過去への変化は今まで誰一人認知したことはないのです。

その理由もまた熱力学のエントロピーの概念で説明するのが昨今の物理学や哲学です。

熱力学第二法則の基本である宇宙が低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)に向かうという部分が正確ではないというのです。

とはいえ、あり得るかもしれないのに未来が過去に向かって展開したという「目撃例」は一切存在しない。どう見ても時間は過去から未来へと一方方向にしか進んでいないように思える。

宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)に向かうというのは正しいのだろうか。

人が死ねば、あらゆる構成要素に分かれ宇宙に四散するが、その構成要素が偶然集まり命が蘇ったとしても可能性の確率はゼロではない。

もちろんこの場合物事は秩序から無秩序へ向かうというエントロピーの増大という第二法則に反してしまう。反するのならその法則は間違っている事になる。ただそれは目撃出来ないということだけである。それは物理法則で禁止されているという意味ではなく、単純に確率的に起きにくいからというかとだけなのだ。

物事が確率的なものであるのなら時間の矢は存在しているように見えるだけで実際は存在していないと言える・・・というのだ。

存在していないのであれば熱力学第二法則の基本である宇宙は低エントロピー状態(過去)から高エントロピー状態(未来)に向かうという部分は正確には正しくないことになる。(絶対的なものではないから)

こんなことを何故言うのかである。換言すれば時間の矢の正体は人の意識の基本的な作用の一つであろうと思うからである。これが熱力学第二法則の哲学的な本当の意味なのだろうと言えなくもない。

現実の人の認識とは知識の増加を意味するから、未来から過去へ時間が進むと"知識"が一方的に失われていくだけなので現実を"認識"することが出来なくなります。

この宇宙に"時間の矢という概念"が存在する理由は、物ではなく意識こそが宇宙において本質的なものと言っているのと等しく、宇宙を"物"として考えればやはり時間はないと言える。

しかし時間という"感覚"がここにある以上、それを正しいと思うのなら宇宙の本質は物ではなく意識であることが真実なのだろう。

心という生命現象の意識が宇宙を認識したから宇宙は存在したのであり、存在とはそれを意識する対象がいて初めて意味をなすのです。

宇宙も時間もこの世の全ては自分が意識してこそ、その意味が生まれるのです。

物ごとの真実はその正逆があることを本質としたら、過去から未来に進む時間があればその逆が存在しなければならないがそれが無いとするならばやはり時間というものは人の意識が作り出したものなのだろう。それはすべての存在につながることでもある。
参考資料:宇宙の謎を哲学的に深く考察するサイト



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