見出し画像

山本周五郎 糸車


今回は義理なさけに次ぐ山本周五郎の朗読を聞く第二弾、糸車である。主人公は19歳になる落ちぶれ士族の娘「お高」である。お高には実の親があった。信濃の国、松本藩に仕えている西村金太夫という。

お高の生家、西村家は身分も軽く当時たいへん困窮していた。妻のお梶とのあいだにつぎつぎと子が生れ、養育することにもこと欠くありさまだったので、しるべのせわで松代藩の依田啓七郎にお高を養女にやったのである。

それからのち、金太夫はふしぎなほどの幸運に恵まれ、藩からもしだいに重くもちいられて、数年まえには勘定方頭取で五百五十石の大身の身分にまで出世をした。

このように立身して一家が幸福になると、親の情としてよそへ遣った者がふびんになるのは当然のことである、それもその子が仕合せであればべつだが、人をやって尋ねさせてみると依田啓七郎は妻にさきだたれ、お高を貰ったあとで生れた幼弱な子をかかえて、かなり貧しい暮しをしているとのことだった。

夫妻は幾たびも相談をしたうえ、それまでの養育料を払ってひきとることにきめ、しかるべき人を間に立てて依田と交渉した。……そのとき初めてお高は自分の身の上を知ったのである。

啓七郎はありのままになにもかも語った。そして「松本の家へ戻るほうがおまえのゆくすえのためだから」そう云って帰ることをすすめた。

お高は考えてみようともせずに厭いやだと云いとおし、ついには部屋の隅に隠れて泣きだしたままで、なにを云っても返辞をしなかった。肝心のお高がそんなありさまだったので、間に立った人もどうしようもなく、そのときの話は結局まとまらずじまいだったのである。

お梶どののご病気は、かなり重いようすなのだ」
 と、父は暫くして言葉を継いだ、
「ひとめ会いたいという気持もおいたわしいし、おまえも実の子としていちどぐらいはご看病がしたいだろうと思う、意地を張らずにいって来るがよい、ほんの僅かな日数のことだから」


お高は殆んど聞きとれぬほどのこえで「はい」と答えた。そこまでことをわけて云われるのをむげにもできなかったし、重い病に臥している生みの母の、ひとめ会いたいという言葉にもつよく心をうたれた。

乳ばなれをするとすぐ松代へ貰われて来たそうで、西村の父母の顔はまったく記憶にはない。もしものことがあれば、生みの母の顔も知らずに終らなければならない。一度だけお顔を見せて頂こう、そう考えて承知したのであった。

同じ組長屋でもごく近しくしている石原という家の妻女にあとの事をこまごまと頼んで、その明くる朝はやく、松本から迎えに来たという下婢と老僕にみちびかれながら、あとにもゆくさきにもおちつかぬ気持でお高は松代を立った。

季節はすっかり春めいていた。遠いかなたの山なみにはまだ雪がみえるけれど、うちひらけた丘や野づらはやわらかな土の膚をぬくぬくと日に暖められ、雪解の水のとくとくと溢あふれている小川や田の畔ほとりには、もうかすかに草の芽ぶきが感じられた。

二十里そこそこの道だったが、ひどくぬかるので馬や駕籠かごに乗りながら三日もかかり、また冬がもどったかと思えるほどひどく冷える日の午後、ようやく松本の城下へ着いた。

西村の家では五十あまりとみえる婦人があらわれ、泣くような笑顔で出迎えた。実母のお梶であった。

「まあまあ遠いところをようおいでになった、お疲れだったろうね、今すぐすすぎをとりますよ」
 心もここにないというようすで、お高にはものを云う隙も与えず、手をとらぬばかりにして奥へ導いていった。

お高は初め茫然としたが、これが実母のお梶という人だと思い、ご病気だというのが拵えごとだということをすぐに悟った。

お梶という方、……彼女の頭にうかんだのはそういう呼びかたで、母という表現はどうしても出てこなかった。そして、この拵えごとのなかには単純でないものが隠されていること、然もそれがかなり決定的であるということは直感しつつ、その婦人のするままになっていた。


どんな大切な客ででもあるかのように、梶女は召使をせきたててお高に風呂をすすめた、風呂にはいっていると二度も湯かげんをききに来たし、あがると仕立ておろしの高価な衣装が揃そろえてあった。

 
先ずは主人公19歳のお高の生活状況の説明である。物語りは信濃の国、松代に、微かに春の気配が漂う季節から始まる。

お高の家族は父と十歳になる弟との三人である。父が二年前に卒中を患って以来、半減された扶持での苦しい家計のやりくりが、十九歳のお高の肩に掛かっていた。
 
 暮らしの足しにと初めた糸繰りの内職は、藩の特産品である。そして初めて仕事を誉められた帰りに、父の好物である鰍を買った。浮き立つような嬉しさを覚えながら、お高は家の戸を開けた。しかしそんなお高に父と弟の態度は、なぜかよそよそしかった。
 
 理由が分かったのは夜内職に取りかってからだった。父はお高に背中を摩らせながら、松本のお梶殿が病気なので見舞いに行くようにと命じた。お梶とはお高の本当の母親である。お高は今の父と亡くなった母の養女であった。

 当時本当の両親は貧しく、まだ乳飲み子のお高を養女に出すより手立てがなかったのだ。その後実父の出世めでたく、今は松本で勘定方頭取の要職についており、お高の家の事情を知り呼び戻そうとしていた。しかし当のお高がそれを頑なに拒んでいた。

 松本では実母や家族の温かい迎えを受けた。しかし自分のために用意された豪華な調度品や数々の料理を前にしても、松代の家を思うお高であった。そして三日後に松代の帰りたいと告げた。

 そんなお高に実母は松代の父の手紙を見せ、ここに残るように懇願した。しかし父の手紙が本心で書かれたのではないことは分かり切ったことである。あの日松本に行くように、背中越しに命じた父の気持を悟った。ともすれば実母の愛情に押し流されようとする気持ちを必死に抑えて、お高は松本を後にした。

 「お前の仕合せを願ってのこと」という父に「自分の仕合せは貧しくとも本当の家族とくらすこと。そして本当の家族とは松代の家族」というお高であった。

松代の家に戻った翌日、何の迷いもなく糸車を回すお高。その音を聞きながら、姉を仕合せにすると父に誓う弟がいた。

ここに書かれているのは自己犠牲ではない。自分だけの幸せを願うのではなく、縁あって家族となった者や自分につながる者の幸せを第一に考える古き良き日本の伝統、「和」とか「結い」というものを描こうとしたのだろう。その様な精神文化は欧米人やほかのアジア人にはないといわれる。

この日本人に特有の美しい精神性は今は具体的に語られることは少ないだろう。この精神を体現するような19歳の娘を通して山本周五郎は語っていきます。

「和」という言葉はよく日本や日本人を言い表すのに使われますが、「結い」はあまりなじみがないかもしれませんが、古くは聖徳太子が17条の憲法を策定するに第一に掲げた精神でもあります。

「和をもって貴しとなす」、太子は何を言わんとしたのでしょう。

お高はいった。「父上の言い分もよくわかります・・・この病気の父に長く仕えてくれたこと。糸車を紡ぎ着物を仕立て、弟の世話までしながら一家の生活を見る大変な生活だったと言いたいのでしょう。

しかも松本の家族は、今は生活が楽になり、困窮を極めた際、口減らしのため私を養女に出したことを本当に悔いていると父上は申しました。

今までのお前の苦労に報いるため再度実家に戻して両親兄弟ともに本当の幸せになってもらいたいと言ってきていることもお聞きになりました」

お高に対し、父親はさらに言葉を続けます。「この父と弟のために生涯困らないよう西村の家では金子も用意してくれるという。この機会にどうか実家に戻り実の父母に孝養を尽くしてもらいたい」

しかしお高は、育ての親にも生んでくれた親にも自分の言い分に聞く耳を立ててもらいたいと思うのでした。

お互いに認め合う気持ちを持ち、正しいところは正しい、間違いは間違いだと素直に認めあうように話をすることが本当に人は幸せなっていくというのが日本人の心の伝統であった。決して情緒的になってはいけないのだ。

この心持を大事にしたのが聖徳太子の「和を以て貴しとなす」なのである。

「和」とは、自分さえよければいいというのではなく、まず全体のことを考える心を指します。全体あっての個という考えです。

対して「結い」は、もともとは田植えや屋根葺きなどの際の協同労働を指す言葉でした。これらの作業はたいへんな労力を必要としますから、近所の人が総出で力を合わせて行っていた。つまり、「結い」とは言葉を換えた「和の精神」の表れなのです。

実母のお梶は、「高さん、こちらへ帰ってお呉れ、この西村のむすめになってお呉れ、ねえ」と懇願する。

ひざの上にそろえた両の手をかたく握りしめながら、お高は硬ばった顔をじっと俯向うつむけていたが、梶女の言葉が終るとしずかに眼をあげて、
「おぼしめしはよくわかりました、ほんとうに有難う存じますけれど、わたくしやはり松代へ帰らせて頂きます」
 抑揚のない声でそう云った。梶女の頬のあたりが微かすかにひきつった、

「あなたはいま人の親として子をよそへ遣ることがどんなに辛いものかということを仰しゃいました、乳ばなれをするまでの親子でもそれほどなのに、十八年もいっしょに暮してきた親子はそうではないとおぼしめしですか」

お高はそう云いながら、松本へゆけと云われた夜のことを思いうかべた。あのとき依田の父はこちらへ背を向けて、お高に肩を揉もませながらあの話をきりだした。父はお高の顔を見ることができなかった、自分の辛い、涙顔をみせたくなかったのだ。

それがいまお高には痛いほどじかに思い当る。ああ、どんなにお辛い気持で松本へゆけと仰しゃったろう、お高は胸を刺されるように感じながらしずかに続けた。

「依田の家は貧しゅうございます、わたくしが糸繰りをしてかつかつの暮しをたてているのも本当です。けれどもそれはあなたがお考えなさるほどの苦労ではございません、

こう申上げては言葉がすぎるかもしれませんけれど、こんどのことさえなければ、わたくし仕合せ者だとさえ思っておりました。依田の父はもったいないくらいよい父でございます。弟も親身によくなついていて母のように頼っていて呉れます。

わたくしにはあの家を忘れることはできません、いまになって父や弟と別れることはわたくしにはできません」

「それだけの深いおもいやりを、わたしたちにしてお呉れでないの」
 梶女はすがりつくような口ぶりでこう云った

「ここをおまえのお部屋にと思って、襖を張りかえたり、調度を飾ったり、新らしく窓を切ったりした、着物や帯を織らせたり染めさせたりして、こんどこそ親子きょうだい揃って暮せるとたのしみにしていた、これでこそ父上もご出世の甲斐かいがあるとよろこんでいたのですよ、それを考えてお呉れではないのかえ」

それは哀願ともいうべき響きをもっていた。心をひき裂かれるようなおもいで、これが親の愛情だと思いつつお高は聞いた。子のためには、子を愛する情のためには、なにものも押し切ろうとする。それが親というものの心であろう。

哀しいほどまっすぐな愛、お高はよろよろとなり、母の温かい愛のなかへ崩れかかりそうになった。自分のために模様がえをしたというその部屋、新らしい調度や衣装、どの一つにもまことの親の温かい愛情がこもっている。その一つ一つが手をひろげて迎えているのだ。

けれども、お高はけんめいに崩れかかる心を支えた。自分はその愛を受けてはならない。依田の家を出てその愛を受けることは人の道にはずれるのだ。こう自分を叱りつけながら、お高はやはり松代へ帰ると繰返した。

「皆さまのお仕合せなご様子も拝見しました、もう一生お目にかかれなくともこころ残りはございません。どうぞお高はこの世にない者だと思召して、これかぎり忘れて頂きとうございます」

松代に戻ったお高を前にして、啓七郎は煎じていた薬湯を湯のみにつぎながらこう云った、
「持たせてやった手紙は読まなかったのか」
「拝見いたしました」
「それなら事情はわかっているはずだ、おれも安穏な余生がおくれるし、おまえの一生も仕合せになる、そう考えてしたことなのに、眼先の情に溺おぼれてなにもかも打ち毀こわしてしまうつもりか」

「おゆるし下さいまし、父上さま」
 お高はひしと父を見あげ、そこへ手をついた。

「わたくしもっと働きます、お薬にもご不自由はかけません、お好きなものはどんなにしても調えます、もっとお身まわりもきれいにして、お住みごこちのよいように致します、ですからどうぞお高をこの家に置いて下さいまし」

「おまえにはおれの気持がわからないのか、おれがそんなことを不足に思っているようにみえるか、おれがおまえを西村へ返す決心をしたのは・・・」

「わかっております、わたくしにはわかっておりますの、父上さま」
 お高は父にそのあとを続けさせまいとして遮った。
「分かってわかっておりますけれど、お高はいちどよそへ遣られた子でございます、乳ばなれをしたばかりで、母のふところからよそへ遣られたお高を、父上さまは可哀かわいそうだと思っては下さいませんか。もし可哀そうだとお思い下さいましたら、ここでまた、よそへ遣るようなことはなさらないで下さいまし」

「だが西村はおまえにとって実の親だ、西村へもどればおまえは仕合せになれるのだ」
「いいえ仕合せとは親と子がそろって、たとえ貧しくて一椀の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮してゆく、それがなによりの仕合せだと思います。お高にはあなたが真実のたったひとりの父上です。亡くなった母上がお高にとってほんとうの母上です。

この家のほかにわたくしには家はございません。どうぞお高をおそばに置いて下さいまし。他所へはお遣りにならないで下さいまし、父上さま。このとおりお願い申します」

「父上」と、事の成り行きを聞いていた弟の松之助が叫びながら飛び込んできた。剣術の稽古から帰って、表で二人の話すのを聞いていたのだろう。眼にいっぱい涙を溜ためながら姉とならんで父の前に坐り、
「どうぞ姉上を家に置いてあげて下さい、父上、こんなに仰しゃっているのですもの、どうかよそへは遣らないで下さい、おねがいです」

啓七郎は眼をつむり、蒼あおざめた面を伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは大きなするどい苦痛に耐える人のような姿勢だった。

そしてながいこと黙っていた父親は、お高と松之助に、貧しい部屋の壁や襖へ染みいるような呻きにも似た小さな声で、「……では家にいるがよい」
といって物語は終わる。

その後は聞くものをして穏やかな静寂と安ど感が包む。この物語のこの余韻こそが山本周五郎の語り部としての実力なのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?