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正岡子規という人

私は長く禅思想や哲学を諸先輩方や学者の書いたものを中心にして勉強をしてきました。禅の思想は端的に言えば「ありのまま」という言葉に尽きるのでしょう。これ以上何も削れない”という極限まで無駄を削って緊張感を生み出すのが禅である。

明治時代、西洋と東洋の対話が急がれた結果各方面の改革が進行した。文学としての俳句の改革も他ならず俎上に載った。
私が正岡子規に関心を寄せてたのは、彼があるがままのものをあるがままに写せという俳句写生論を展開したからである。

その様な変化をもたらす時代の中で、江戸俳諧の芭蕉を高く評価した一方で蕪村に焦点を当て彼をより高く再評価したことが知られる。
蕪村が印象鮮明な絵画的句風を重んじたのが子規の心にとまったのだろう。

 子規が主宰した「ホトトギス」は、俳句雑誌では俳壇の主流にあり、今なお発行されているという。当時は高浜虚子や河東碧梧桐、夏目激石、鈴木三重吉など、子規の門に集まってきた。

 雅号になっている子規はホトトギスの異称であり、結核を患い、略血した自分自身、血を吐くまで鳴くといわれるホトトギスをたとえたものです。

短歌でも中学教科書にも載ったいいものを詠んでいます。その中で今も私の印象に残る短歌は、
くれなゐの二尺伸びたる醤磁の芽の針やわらかに春雨の降る」であろう。

-紅色をして二尺ほど伸びた蓄積の新芽にあるとげが、まだやわらかく、降るとも見えない春雨が静かにふりそそいで、いかにもやわらかな感じがする-なんとも素直な情景詩だろうと子供心に深く印象が残っている。

正岡子規は、短歌や俳句など短詩型文学の革新運動に精力的に取り組みました。また俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など幅広く創作活動をするなど明治時代を代表する文学者なのです。。

その日本語改革の影響は子規の同郷の幼馴染であり日本海海戦で敵前回頭を考案指揮しロシア艦隊を日本海に葬った海軍参謀秋山真之が会戦前に全艦隊に発した檄文に見て取れます。

今までの檄文や軍事用語は漢文調の文体で不明朗なものだった。秋山参謀の発した「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動シ之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は当日の海上の波の高さまで的確に捉えたものでロシア艦隊を迎え撃つ連合艦隊が昼夜をかけ訓練した射撃精度がロシアのそれを凌駕する自信を全軍に知らしめるものだった。

日頃正岡子規に接し国語改革を吹聴されていただろう秋山参謀でなければのものだった。アメリカのルーズベルト大統領もいたくこの檄文に感心したという逸話もつたわる。

当時の作曲家滝廉太郎もそうであるよう有為な若者を襲った業病、肺結核に正岡子規も襲われました。21歳のときでした。

以後、病に苦しみますが、寝たきりになってもなお、俳句、短歌、随筆を書き続け、後進の指導を続けました。36歳で亡くなっています。

 子規は1867年、山応3年、愛媛県松山市に生まれています。本名を川市常規といい、幼名を升といいます。
父親、隼太は松山藩の下級武士でした。最初、政治家を志し、松山中学を中退して、17歳のとき上京します。東京大学に進みましたが、中退、「日本」新聞社に勤めます。

日清戦争にも従軍しましたが、発病。以後病床にあって俳句、短歌の革新運動に精力的な仕事をしていきます。

 短歌の革新に先駆け「日本」に「歌よみに与ふる書」を連載し始めます。古今集を手本としていた旧の詠み手を排して、新鮮な写生歌を提唱、万葉集を尊重しました。

また「根岸短歌会」をつくり、歌人を集めました。子規を継承していく一人がアララギによる伊朕左千夫でした。

 子規の着眼点は俳句においても、いわゆる月並俳諧の陳腐さを否定し、俳句を一つの文学としてとらえ、短詩型としての俳句を文学として育て上げようとした試みでした。

 本来、毎月、月ごとを意味する「月並み」という言葉に、人並み、へいぽんという意味を含んでいったのは、子規がありふれた俳句や短歌をさして使ったことが始まりといわれています。

江戸時代中期、江戸俳諧中興の祖といわれた与謝蕪村が活躍します。
1783年12月25日、68歳でこの世を去りました。
死後100年以上忘れられた存在だった蕪村でしたが、明治時代子規の再評価を機に名声がとどろき、現代まで語り継がることになったのです。

子規は、短歌や俳句の「写生論」を唱えていた。従来の俳句のように変に穿った言葉遊びをするのではなく対象をありのままに写し取った短歌や俳句こそが自然の本来である情緒性や本質を切り取り取ることができるとした。

それは日本の文芸の根底にある禅の奥義に通じるもので、よく写生された一服の名画の中にこそ写実の客観的情景描写があるように蕪村の句にはそれがあると子規は高い評価をしたのだ。

ー春の海終日(ひねもす)のたりのたりかなー(春の海には波がゆるやかに揺れ、1日中のたりのたりと寄せては返す)

ー菜の花や月は東に日は西にー(夕暮れ時、見渡す限り一面の菜の花畑。ふと顔を上げると東の方から月が昇ってきたと思う間に西の海には陽が沈もうとしている)
何と平易で分かりやすい写実的な句であろうか。

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