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Day1 富士とスパムと黒猫と

    僕の沖縄修学旅行初日は、激しい腹痛と共に始まった。どうして。


    羽田空港に着き、集合場所の太陽の塔なるところに近付くと、まだ集合時間より20分ほど早いにも関わらず同校の人達がかなり集まっているのが見えた。既に半分くらいの人数(100人ほど?)はいるだろうか。普段は時間にルーズだったりもするが、なんだかんだ真面目な人たちだ。

    委員の指示に従って自分の組のところに並んだ。続々と人が集まるも、通行の邪魔になっていないのはひとえに委員の手際だろう。

    数日ぶりに顔を合わせる友人と馬の話などしていると、すぐに人が集まった。委員にチケットを貰い、エスカレーターを登って待合ロビー(?)に向かっていく。にしても昨日のエリザベス女王杯はすごい結果になった。

    手荷物検査をパスすると、いよいよ飛行場が見えてくる。数年ぶりに見る飛行機にオラわくわくすっぞ。

    腹痛になんとかケリをつけて、遂に飛行機に乗り込む時が来た。

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    雲ひとつない青空に、真っ白な機体がよく映える。


    シートに付いているモニターの言語を中文简体にして、いざ大空へ。  

    席は右翼の根元あたり、窓際から2番目。首を伸ばせば外の景色がちゃんと見えるポジションだった。やったね。

    街の景色が遠のいてしばらくすると、静岡上空を通過した直後、見事な富士山が見えた。山頂は粉雪がまぶされたように真っ白になっている。めっちゃ綺麗。すげえ。

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    富士の雄大な山体を見送ると、だんだん雲が増えてきた。

    景観観察はひとまずいいかな。視線をモニターに移してみる。中国語だけどだいたい書いてあることは分かる。いつか読めるようになりたい。昔飛行機に乗った時はNHKの某コント番組なんかを見ていたのだが、ラインナップを物色しても知ってる番組は全然なかった。まじか。フライトはまだ1時間半くらいある。

    諦めて、iPodで音楽を聴きながら持ってきた本を読み出す。なんの偶然か、主人公たちも羽田から那覇行きの飛行機に乗っていた。


    フライトを終えて、機外へと降りた。

    最初に感じたのは、うおーーー沖縄や!!!ってな安直な感想。めっちゃあったかい。暖房による暖かさと違う少ししっとりした暖かさ。これなら半袖にジャケット羽織るので全然大丈夫そう。


    空港から出るとすぐにバスに乗り換えての行軍になる。空が広い。道沿いには絵に書いたような南国っぽい木々が植わっている。ココナッツとかなってそう。

    バスに揺られて着いたのは平和公園と名を打つ広い公園。鮮やかな赤のハイビスカスが太陽のもとに輝いていた。

    ところで時間はもうお昼時。そう、ランチタイムである。

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    配られたのはポークタマゴオニギリと書かれたふたつの紙袋。両方とも同じ卵とスパムの挟まったサンドが入っていた。これを語る言葉は多くは要らないだろう。

    美味い!シンプルに美味い!青空のもとで食べる肉!美味い!

    ということで、その後は公園内と平和祈念資料館を見てまわった。数多の石碑に刻まれた故人の名前の数に圧倒されながら手を合わせた。

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    その後は、再びバスに乗ってひめゆり平和記念資料館へ。ひめゆりの塔に手を合わせて、館内に入る。

    ここで軽々に語れるようなことでもない故、内容は前の資料館と合わせて割愛させていただく。

    ただ、これらは自分にとってかなり重く、有り体に言えばしんどかった。戦争のことはもちろん学んできてはいるし、真摯に見て回るつもりだったが、それの実物、特に生存者による証言文書はあまりに生々しく惨たらしく、気が滅入ってしまった。僕は順路を間違えながら足早に記念館を後にした。

    そうすると入口のあたりで先に出た人たちが集まっている。何かと思えば入る時にも目にした黒猫がまだいるではないか。

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    めちゃくちゃ人馴れしてる子で、同じクラスの人が資料館を出て戻ってくるまでめちゃくちゃ写真を撮った。超可愛かった。癒された。ありがとう。

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    残す今日の予定は戦争時に使用されたガマ(小さめの天然の洞窟)体験である。

    戦時中は陸軍病院として使われた狭く暗いガマの中は、なんとなく階段らしきものこそあったが、病院とはお世辞にも言えない場所であった。懐中電灯で照らしてみると割れた茶碗などの日用品が半分埋まっていたりしていて、そこで人が暮らしていたことを物語っていた。奥までいくと湧き水があり、同時に低い天井からぽたぽたと水が垂れており、そのおかげか地面はとてもぬかるんでいた。靴が沈んでいって泥にまみれてしまって内心発狂してた。(幼稚園の頃も泥とか土で汚れるのが嫌いで砂場に入りもしなかった男だ。予想外に靴が汚れたら発狂もする)


    靴に付いた泥に辟易しながら沈む夕陽を眺め、バスはホテルへと辿り着いた。

    事前に預けていた母のスーツケースと約1週間ぶりの再開。そして僕とスーツケースに課せられたのは、部屋(4階)まで階段であがるという修行。……おいおいまじかよ。小さいとはいえ5kgはあるぞこれ。シーサーのような顔をしながら階段を上がった。

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    夕食の後は夜のビーチへくりだしたあと、ホテルの部屋にて同室の2人と色々な話をして、消灯時間を1時間ほど過ぎた頃に眠りについた。修学旅行の消灯時間はきっといつの時代も意味を持たない。内容はもちろん3人だけの秘密であるが、僕がこの旅行で一番笑っていたのはこの時だったとだけ記しておこう。



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