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昔話でもしましょうか

僕がバイクに乗るようになった昭和55年くらいを境にして、世の中のバイクを取り巻く環境が少しずつ変わっていきました。
当然ですが、バイクの何もかもが昔から今と同じだったわけじゃぁありません。
大袈裟な言い方をすれば、歴史を知ることで現在の状況になった背景がわかって面白いかもしれません。

少し昔話に付き合ってもらえたら嬉しいです。

ガソリン

昔は『有鉛ハイオク(ゆうえんはいおく)』というガソリンがハイオクガソリンでした。
ガソリンスタンドに行くと「有鉛」という表示が目に入ったものです。
ガソリンのオクタン価を上げるために四エチル鉛(しえちるなまり)が添加されていたみたいですけど、これ、鉛が人体に良くないってことでどんどんなくなってしまって、今では無鉛ハイオク(むえんはいおく)しか手に入りません。
当然ですが、鉛が含まれていないことが当たり前になったので、わざわざ『無鉛』という呼称を使わず、単に『ハイオク』と呼ばれています。

実はこの四エチル鉛、潤滑性能があったようで、吸気バルブのシートと当たる面の耐摩耗を助けてくれていました。
ところが有鉛ハイオクが手に入らなくなったので、外車や旧車のオーナー達はわざわざ耐摩耗性を確保するための添加剤を買って無鉛ハイオクガソリンに混ぜて給油するようになりました。
当時のバルブは四エチル鉛の耐摩耗性をアテにして柔らかめの素材を使ってたんですね。
だから無鉛になったおかげで摩耗性の心配をしなくちゃいけなくなったという背景があります。

ちなみにですが、「ハイオク」とは 高いオクタン価 (High Octan Rate) の頭をとって ハイオク となった言葉です。
誤解されている人が多いようですが、ハイオクはガソリンの燃焼タイミングが早くなってしまわないように、オクタン価を上げることで燃えにくくして燃焼室内で得た爆発による力が均等にピストンにかかるようにしてノッキングを抑えるためのものです。
ですから、厳密に言うとハイオクは「燃えやすい燃料」ではなく「燃えにくい燃料」なんです。

2サイクル用エンジンオイルの給油

今では2サイクルエンジンのバイクは時々しか目にしなくなりました。
ですけど昔はマフラーから白い煙を吐いて走るバイクは全然珍しくなかったんです。
殆どの2サイクルのバイクはオイルタンクが装備されているので、ここに買ってきたオイルをドボドボと入れてやればそれでオッケーだったんですけど、一部の外国製のバイクや競技用のバイクだとちょっと厄介なものがありました。
ガソリンスタンドでは給油しないで、一度2リットルとか4リットルくらいのジョッキにガソリンを入れて、決まった割合になるようにオイルの量を測ってガソリンと混ぜるわけです。
オイルが均一に混ざるとガソリンは濃いピンクというか赤っぽい色になって燃料補給準備完了となるわけです。
で、ジョッキのノズルをガソリンタンクの給油口に挿して給油するという、なんとも面倒な方法です。
僕が一番最後にこの光景をみたのはベスパだったと思いますが、僕はトライアルという競技に参加していたので、それ用のバイクでは常にガソリンとオイルを混ぜてから燃料タンクに入れてました。

高速道路の料金所

これはそんなに大昔の光景ではないかもしれませんね。
ETCが広く普及するまではどこでも見られた光景だと思います。

10台以上の台数でツーリングに行くことがよくありました。
僕は千葉に住んでいるので、箱根や伊豆、長野方面、静岡方面へのツーリングだと必ずと言って良いくらい東名や中央高速を使ってました。

首都高3号線から東名へ入る料金所や首都高4号線から中央高速の時もそうですけど、料金所でチケット(クレジットカードより少し長い感じの紙)を手渡されるわけです。
それを手に持ったまま走るわけにもいかないので、受け取ると道路の左脇へバイクを停めてタンクバックにチケットをしまったり、ジャケットのポケットにしまったりします。
これは全員がもれなくやるわけで、だから料金所の横にはズラっとバイクが20台、30台と並ぶんですよね。
高速道路の出口はもっとです。
全部のバイクが一台一台料金所を通過するごとに財布や小銭入れ、タンクバッグのポケットからお金とチケットを料金所のおじさんに手渡して高速料金を支払います。
支払うと道路の脇にバイクを停めて財布をしまったりお釣りをしまったりするためにズラっとバイクが並ぶんです。
なんだか圧巻の光景だなと思うこともありました。
今はそんな光景見ることもないのかなぁ。ETCで減速はするけど止まる必要ないですもんね。

2サイクルに集合管

最近バイクに乗り始めた人の殆どは知らないと思います。
40年以上もの昔、いえ、今から50年くらい遡るのかな、当時は
スズキ GT380 (じーてぃーさんぱち)
カワサキ KH250、KH400、マッハ
こんな2サイクルのバイクが人気で、トッポいお兄さん達が白い煙をまき散らしながら駆け抜けていました。

今だから笑える話ですけど、3 in 1 の集合マフラー付けて走ってる人とかいたんです。
中には、「集合の意味あんのか?」 なんてケチをつける人もいましたけど、
みんながみんな性能重視で集合マフラーにするわけではないので、お構いなしに真っ黒な集合管から煙を吐いて、これ見よがしに走るわけです。(笑)
もちろん、今ではそんな人を見かけることはありませんが。

大型二輪免許

僕は20才の時に『限定解除』という試験に合格してめでたく排気量の制限なく好きなバイクに乗れるようになりました。
記憶が正しければ昭和57年のことだったと思います。
今でこそ二輪免許は「普通自動二輪」と「大型自動二輪」に分かれていますが、当時は二輪免許を取得するともれなく「中型限定」という条件付きだったわけです。
この「限定」を解除して条件をなくすための試験が「限定解除試験」というやつで、所轄の免許試験場で試験を受けるしかなく、教習所では受け付ける制度がありませんでした。

実はこの限定解除試験、当時は地方によって難易度が随分違っていたみたいです。
千葉だと大体の人は5~8回くらい受験すると合格してたみたいです。
多い人だと10回くらいは受験してましたかね。
ところが東京の人に聞くと、10回ならかなり早い方だと・・・。
普通に20回くらい通うのだと・・・。
僕が試験場で合った人が言ってましたけど、その人は東京が難しいからわざわざ住民票を千葉に移して千葉で受験してるんだと。
僕は千葉だったので5回で合格しましたが、東京の人にとっては
「5回なんて絶対にあり得ん」 というレベルだったようです。
それくらい難しかったんですね。

実技試験は倒れたCB750を起こしたり、センタースタンドをかけたり、8の字に押して歩くなどの試験にパスすると初めてコースへ出る事ができます。
この時点で試験終了となる人も珍しくありませんでした。
あくまでも噂ですから真偽のほどはわかりませんが、
・倒れたCB750のガソリンタンクには、砂や鉄くずが沢山入れられて
   重くされている
・センタースタンドは長さや角度を変えて上げにくい造りに改造されている
・8の字で少しでもフラつくと落とされる
などということがまことしやかにささやかれていたものです。

何回も試験場に通うので、試験場には顔なじみの人がいたり、顔を合わすうちに仲良くなったりもします。
そんな人達からの情報には聞き漏らすことがないように、皆さん一言一句まで耳を傾けるわけです。
それだけ難しい試験だったということなのでしょう。



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