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日本人は曖昧

僕は今までに何度も経験しています。
僕がお客さんで相手が業者さんやどこかの会社の営業さん、メーカーのサポートの人、、、
そういう人達と会話をする中で、
『〇〇をしてもらいたいんですが・・・』
と言うと、
『それは難しいです。』
と答えが返ってきます。

話しの流れから〇〇をするのはできないとこちらもわかっていて、でもどうしてもやってもらう必要があるので改めてお願いすると、
『できません』
ではなく
『難しいです』
と言われます。

なので僕は、
『あなたが言う難しいとは、難しいけれども何か努力をしたり工夫をすればできる可能性があるという意味ですか?』
と聞くと、そうではないと言います。やっぱりできないという意味です。

何故『できない』と言わないのか僕は不思議でなりません。
営業的には、『致しかねます』とか 『出来かねます』というのが正しいのでしょうが、どっちにしても 『難しい』 では答えとして正確ではありません。
どうしてこんな曖昧な答え方をするのでしょう?

政治家や企業の経営陣が会見などをすると、
『しっかりと対策を講じたいと思います。
『皆様にご迷惑をおかけしたこと、大変申し訳なく思っています。
こんな感じのコメントをしますが、
僕はこれを聞く度に、思っていますというのはどういう意味なのか不思議に思うんです。

これらの表現、僕が知る限り英語にはありません。
確かに表現しようと思えば表現できなくはありませんが、
そういう表現を聞いたことがないのです。
そもそもの話、英語圏で生きている人達にはこういう曖昧な発想がないからだと思います。(断言できなくてすいません)

その時点で明確に言えないのであれば仕方のないことだろうとは思います。
しかし、この例文では何か失態やスキャンダルのようなことがあってそれに関するコメントなので対策を講じなければいけないことも、
色々な人に迷惑をかけてお詫びしなければいけない、
或いはお詫びをしたということも、
すべては予想でも想像でもなく明確な事実として確定していることなので、
「思います」という情緒的な表現は意思表示を曖昧にするだけです。

「思います」は英語でいうなら I think とか I want to do などが思い浮かびますが、僕や同僚、お客さんが毎日の仕事の中で英語を使う時には、
I think → 例えば、確証はないけれども〇〇ではないかと考えている、予想し
               ている時
I want to do → 例えば、”A” を選択するのも良いけれども”B” という選択肢が
                        あるような時、自分は A にしたいと考えている
自分の判断が正しいかどうかは別にして、ある根拠に基づいて考えた時に、
こちらの方が良いだろうとか、可能性が高いだろうというときにこれらの表現を用います。

少なくとも確定した事実についてこのような表現を使うことは皆無と言っていいくらい使いません。

先述の「難しい」 も、後段の 「思います」 も、恐らくは断定的に言ってしまうと「どんな風に自分が責められるかわからない」 という漠然とした不安から曖昧にしてしまうのではないかと想像しています。
もし日本が国際的に対等に付き合える国になろうとするのなら、
こういう曖昧好きな国民性を忘れる必要があるのではないかと
僕は思います



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