「英語を学ぶ」「英語で学ぶ」
僕は日頃から、日本人というのは僕自身もそうなのですが、宗教に関する意識があまり高くないなとなんとなく思っていました。
確かに知識としては、
キリスト教徒は日曜日に礼拝をするとか、
イスラム教徒は豚肉を食べないんだとか、
ユダヤ教徒は金曜日が休息日なんだとか、
そういうようなことを「知識」としては知っていますが、敬虔な信者の人々がどのような「温度感」で戒律や教えを守っているかということには、
あまり意識が高くないのではないかと思います。
僕の知り合いに敬虔なイスラム教徒の人がいます。
彼はコーランを生きる上での厳格な指針としているので、イスラムの教えに
背くようなことは決してしようとはしません。
決められた日の決められた時間には断食をしたり、食事をしに行っても
決して豚肉を口にしようとはしません。
しかも、豚肉に関して言えば、単に豚肉を食べないというだけでなく、
豚肉を調理したその鍋で調理したものも決して食べようとはしません。
その辺のところは徹底しています。
どうも彼のような敬虔な信者を見ていると、決まり事だから守るとか
そういう教えだからそれに従うという感覚ではなく、生きる上での絶対条件として捉えているような温度を感じます。
実際、彼と話をしていると、コーランの教えは単なる教えや決まり事ではなく、生きる上では命を賭けてでも守るものという強い意志のようなものを感じますし、そこには日本人が学ぶことのできないものを感じます。
このように、温度を肌で感じるというのは、単に知識として知っているというのとは明らかに違っていて、話を聞く側の(僕の)の認識を変えてくれたことは確かです。
英語を使って交流や意見の交換をするようになると、このような生の声を本人から聞くことができるので、知識以上のものを得ることもできます。
僕ら日本人がすべきことというのは、
「英語を学ぶ」 ことはもちろんですが、それ以上に
「英語で学ぶ」 ことが大切なのではないかと思うのです。