トーキョーまで0.8光年 【にょろにょろ島根編】序の3
[2017/01/22以降無料公開予定 400字原稿換算約12枚]
*
環(たまき)の舞は簡素なモノだった。単純であるがゆえに人の目を引き込む。
ただ単に回っているだけのコマを、ついつい見入ってしまうのと同じだ。
稲を収穫した後の切り株がまだ、田んぼには残っている。
とても安定した足場とは言えなかったが、整えられた舞台で行われる踊りと替わらぬ、滑らかさがあった。
いつしか環の指の間には数枚の紙片が挟まれていた。
舞の所作に溶け込む動きで、上着の内側の隠しポケットから取り出されたモノである。
紙片の長さは縦が75ミリで揃っていたが横の長さは微妙に違い、150ミリ前後だった。
舞と共に取り出され、環の手の中で紙片の枚数は増えていく。
どれほど経ったか。
環は一際大きく回り、両手の紙片をばらまいた。
強風が枯れ葉を撒き散らしても、ほとんどの葉はすぐに地面に落ちる。
だが、風に乗った葉はそのまま宙を舞い続ける。
環の手から放たれた紙片は、そんな枯れ葉のごとく宙を舞った。
紙片を導くのは風ではなく、歌だ。
渦を巻き、環の周囲を紙片が舞った。
環が旋風の中心に居るかのように見えるが、やはり渦巻くのは歌である。
環の手の中ではよく見えなかったが、舞う紙片には青黒いインキで印刷が施されていた。
歌に巻き上げられる激しい動きの中で、一枚の紙片に印刷された文字が見える。
そこには『千圓(えん)』と記されている。
別の紙片の文字も見えた。
それには五百圓とあり、他の紙片には『百圓』『五百圓』『千圓』『百圓』『千圓』『千圓』『五百圓』……
紙片は紙幣であった。
額面は百、五百、千と三種類あったが紙幣の表側に印刷される肖像画は、どれも同じである。
並んだ米俵に座る、年齢不詳の一人の男の肖像画、老人に見えるがさだかではない。
片手には小槌、片手には大きな袋を持ち、それを背負っている。
頭にかぶるのは焙烙(ほうろく)頭巾、いやその男の名をとった大黒頭巾の名の方が有名であろう。
紙幣の表に印刷されているのは大黒天の肖像画である。
細い目で満面の笑みを浮かべているように見えるが、見ればみるほどその表情が笑みではない別の物に感じられた。
細い目がわずかに開かれている。
青黒い大黒札の渦の中に環は居た。
*
縁側に座り、足をブラブラさせて妻は言った。
「なんだ。もったいぶるから何が主かと思えば大黒札か」
明らかに期待外れの声だった。
帽子の下のカドモンが答える。
「あら、驚きませんね」
「そりゃ踏歌(ふみうた)って、巫女さんが鈴鐘鳴らして踊って、最後には組んだ祭壇の中で大黒札燃やして終わりじゃない。結局同じだ」
そもそもあの大黒札は環に仕事を依頼した時に自分たちが渡した物だ。ありがたみは余計にない。
「奥方様! 確かにそうでしょうがそれは略式でして、たまき様の正統踏歌なら効果は五年続きますよ! 略式なら一年ってとこですから、非常にお得です!」
夫と違い、妻は環の舞いを見るのにも飽きてきているようだ。
帽子から覗くカドモンの鼻をつつきながら妻は言う。
「だいたいね、カドモンちゃん。悪気はないんだろうけど、さっきからお得お得と言われるとかえって怪しいよ。どうしてそんなに安売りしてるのさ?」
「心外ですよ奥方様。たまき様と私は旅の途中でありまして、ゆっくりと仕事を吟味している余裕がないのであります。
旅程の邪魔にならない場所にある仕事しか受けられないのです。
いくら良さそうな仕事がありましても、旅路を引き返したり、拘束時間の長い仕事は受けられません。条件に合う仕事は少なくて、その少ない仕事を割り引いてでも勝ち取らないといけないのです!」
「旅? たまちゃんって倉狩(くらがり)とかいう名家のお姫様なんでしょ?」
おい。と夫が妻をたしなめる。いくら子供でも事情はあるのだろう。あまり詮索するのを止めさせようとしたが、妻は相手にしない。
「たまちゃんって、出身はどこなの?」
「倉狩本家は太宰府にありまして、たまき様と私はそこからやって参りました」
「へぇ、たまちゃんって九州育ちの薩摩おごじょなんだ。言われればそんな感じも」
カドモンが答える。
「育ちといいますかなんといいますか。生まれたのは京都ですよ。生まれてすぐに太宰府の方に」
「じゃあ京女? でも育ったのが九州なら薩摩おごじょだ」
いつものハキハキと早口で喋るカドモンの口調が変わった。モゴモゴと歯切れが悪い。何か隠し事をしようというのではなく、純粋に説明に困っているようだった。
「育った……育ったのは九州の太宰府で間違いないですが、この場合はどうなるんでしょうかね」
「でも九州なんて、遠いところから来たんだね。そんなに急ぎの旅なんだ」
「はい、そうです奥方様。本家から追っ手がかかる前に少しでも距離を稼いでおきたいのであります」
追っ手という言葉をきき、確かに込み入った事情がありそうだと妻は思う。旅をする姫様、追い掛ける本家の人たち。
「ん? 追っ手がかかる前って、その本家ってのはまだ、たまちゃんが家を出ていることを知らないの? 九州からここに来るまでだいぶ日にちが掛かったでしょ」
カドモンが帽子ごとピョンと跳ねる。
「そりゃ、とっくにバレてますよ。ただし、家を出る時に簡単に追っ手を出させないように、たまき様は仕掛けをして参りました」
「どんな仕掛け?」
「本家を地獄に叩き落としてきたのです」
えらく物騒な話である。噂話の常として、物騒な話ほど興味をそそられる。
「地獄に落とすって、いったいどんなことをやらかしたの? 家に火でも着けた?」
カドモンの言葉が止まった。冗談で言ったつもりだが図星だったのかと妻は考えた。
しばらくしてカドモンが答える。
「言いましたでしょ? ですから地獄に落としてきたのですよ」
「だから、私はどんなことをやらかしたかを」
「?」
「?」
二人が、なぜ話がかみ合わないのかと首を傾げていると、夫が声を上げた。
「おぉ」
釣られて二人の視線は環に戻る。
環を中心に渦巻く、青黒い大黒札が溶けるように煙へと姿を変えていった。
途端、焼かれた藁の匂いが周囲に広がる。それは煙の匂いだった。
全ての大黒札が煙へと姿を変えたのではない。
幾つかの大黒札は、ビリビリと細かく裂けながらさらに天へと昇っていく。
どこまでも裂け続け、天へと向かった紙幣はしっとりとした霧になる。
煙のままでは空に散っていく。
煙を霧に混ぜれば、それはゆっくりと地面に落ち、大黒札は地面に還る。
環からは何の説明もなかったが、夫婦は踏歌のなんたるかを知った。
大黒札を依頼主の土地に還す儀式、それが踏歌の本来の意味だ。
それは五穀豊穣の祈りであり生命への祝福である。そしてここに居るべきではない『あらずの川の向こう側』の命への境界線となる。
霧はその濃さを増す。
民家と環の距離ぐらいでは、環の姿は充分見て取れたが、それより遠くなると視界は白く遮られる。
環の技に驚いた妻であったが、それにもやがて慣れ、環を見続ける夫の横っ腹を突いた。
「そりゃまあ、見事な舞いだとは思うけど、よくも飽きずに見てられるね」
夫の返事は意外なものだった。
「いや、あの踊りはとっくに見飽きた。別に環を見ているんじゃない」
カドモンが言う。
「身も蓋もありませんねぇ。そりゃ踏歌の舞いなんて単純なもんですが」
妻は納得しない。
「じゃあ、さっきから真顔で何を見てるの?」
「さっきまでは光の加減でよく見えなかったが、今ならお前でも見えるだろ」
「こんな霧の中じゃ見える物も余計に見えなくなって……」
妻の言葉が途中で止まる。
全てを覆い隠そうとする白い霧、その中でこそ異質の黒いモノが浮かび上がろうとしていた。
環からさらに向こう側、今は霧でよく見えないが田んぼの端辺りになにかが居た。
壁に張り付く巨大なトカゲに見える。
田んぼのそんな場所に壁などあるはずがない。
カドモンは言う。
「踏歌はこれでお終いでございます。後はあの妖怪変化があらずの川の向こう側に大人しく帰れば、一件落着なんでございますが」
妻が言葉を引き継ぐ。
「そうはいかないよね」
カドモンが同意した。
「いかないでしょうねぇ」
巨大なトカゲの影は、存在しない壁から地面に降りた。
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