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商業小説家を続けながら放送大学大学院を修了できた理由7か条 その6


 ハモとかパフェっぽい生菓子とかが食べたくなる気候です。今回は「書く」行為に重点を置いています。

その6 しんどい時はカフェで書く

 どこで書くかは大切です。修論も、『京都西陣なごみ植物店』4巻も後半の追い込みは自宅で書きましたが、カフェで書いたおかげで捗った経験は数限りなくあります。
 前回、研究テーマを変えねば修論を書けないことが分かった話を書きました。気づけた遠因は新たな原稿依頼を受けなかったことですが、無理かも、と気づいた場所は四条烏丸のカフェでした。
 指導教授に「まずは先行研究を押さえながら書きはじめて」とゼミで言われ、ノートパソコンや小笠原小枝先生の『金襴』(至文堂)などを持ちこんだのです。2022年の5月、ゴールデンウィークでした。グループで来たお客さんがちらほらいたのを覚えています。
 しかし話し声は気になりませんでした。自分の道がどうやら間違っている、という大切な認識を史料や思考や雑念の中から発掘する途上だったからです。私はこの時、金襴という金糸を織りこんだ絹織物が15世紀前半頃の日本にどう受容されたのかを研究テーマにしていました。金襴の国内生産が始まったのは桃山時代頃なので、『看聞日記』や『薩戒記』などの古記録にあらわれる金襴は全て唐物(異国からの舶載品)と考えられます。唐物研究に適した品目と考えていたのですが、織物は陶磁器のように出土しやすい素材ではありません。中間消費財として衣服、表装、袋物などに使われるので、製作年代が記録されにくいという問題もあります。ゼミの1年先輩で考古学がご専門の先輩が海外の事例をひとつ教えてくださいましたが、日本史の研究にするには難しそうです。
 先行研究を書いても書いても海外の話になり、とうとう私は研究テーマを変えようと決心しました。「唐物 看聞日記」でGoogle検索してみて、『看聞日記』の中の金襴ではなく唐物全体なら日本史の先行研究があると分かり、そちらに舵を切りました。
 たぶん、これだけの知的作業を全て自室でこなすのは不可能でした。会話やBGMなど外部からの刺激を受けつつ、整然とした快適な空間にいたことが効いたのだと思います。
 この記事も実はお気に入りのカフェで書いています。
 今思えば、しんどくなる前にカフェで書いた方がうまく進んだかもしれません。昨日も、プリントアウトした小説の原稿をカフェで紅茶を飲みながらチェックしたらうまくいったからです。文章のリズムが整うだけでなく、キャラクターの動きまで生き生きしてきました。
 場所を選んで書くこと、修論にも小説にもおすすめです。

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