今後の娘との面会の話

別に公開する話ではないんだけど、
いつか娘が見たときのために、
あと「離婚して子供に会えない片親」や
「小さい子供がいるけど離婚を考えている・離婚しそうな親」に、
こういうケースもあると伝えるために、
つづっておこうと思う。

離婚して、1年半くらいが経つ。
離婚の原因はおれで、
元奥さんと娘に大きな心の傷をつけたのは間違いない。
離婚当時、娘は3歳になったばかりのぱぱっこ。
月に1度の面会を決めて、今までそうしてきた。

面会は娘にとって、
短期的には不安定を生んだけど、
長期的にみたときに
のびのび育つ要素の1つになった。
「会えないけど私はパパからも愛されている」
そう受け取っていてくれていたら
嬉しいと思うし、
実際、無意識的にそう受け取ってくれているから
みんなから愛される娘になっていると思う。

面会は娘が素敵に育っていることの
あくまで要素の1つで、
その大部分は
毎日娘を大事に育ててくれる
元奥さんと
娘を大事に思ってくれる
多くの方々のおかげでしかない、
と思っている。

2023年4月から、
元奥さんと娘と
再婚候補の男性と
他県に引っ越し、同棲が始まる。

それを機に、面会は一時的に様子見になった。

昨日の話だが、
パパとしては面会は月1回を維持すべき、
ママとしては面会はなくしたい、
から話し合いが始まった。

結論、2人でこう決めた。
①月1回の面会は一時的に様子見
②娘からパパと会いたいなどの
 アクションがあったときは
 それを叶える
 ※娘に不安定な変化があったとき、
  また、半年など一定期間たったときは
  ママからそのパスを出してもらう
③娘がスマホを持ったり、
 自分で連絡をとれるようになったら
 連絡自由

①月1回の面会は一時的に様子見

住む場所が変わり、一緒に生活する人が変わり、
保育園が変わり、親も仕事が変わり、、、。
そんな変わることがたくさんの4月になるらしい。
そんな中に娘にとって
変わらない「面会」の維持は必要と思って話したが、
新しいママのお相手(今後は彼と書く)と娘との
関係も良好らしい。

また彼も、
無理に「新しいパパ」になろうとは
思っておらず、
そう思ってくれるならそれでも良いし、
と娘にゆだねてくれているらしい。

懸念は再婚後、
その2人の子供ができたときだなと
思っていた。
ドラマの見過ぎかもしれないが、
本当の子供とそうでない子供への
愛情のバランスが大きく
崩れるかもしれないことだ。

それについても
・無理に2人目が欲しいとは思わない
・もし2人目を考えるときは
 娘もいれて3人で話し合って決める
と考えていると話していた。

シンプルにうれしかった。
これは娘にとって
とてもありがたいことだろう。

②娘からパパと会いたいなどのアクションがあったとき

面会ってなんのためにあるのか。
もちろん、子どものためだ。
子どもにとっての親は唯一無二の存在であることに
間違いはない。
子どもが親に会いたいのは当たり前だ。
特に幼い子どもにとっては。

だから会えない片親のための権利ではないのだ。
「パパが子どもに会いたいから会わせてほしい」
ではない。
「子どもがパパに会いたいのなら会わせよう」
という話なんだ。

新生活での元奥さんや娘の幸せは、
おれも願っている。
それを壊したいなんて思わないし、
それで娘が満たされるのなら、
しあわせなら、
おれは嬉しい。

でも「娘には娘を大事にしてくれる人がいる」から
「パパに会わなくてもよい」とはならない。
埋められるものが違うかもしれないし、
それは娘がどう思うか、が1番だ。

本音を言えば、面会はそのままのほうが
長期的にみたら安定だと思う。
でも、それなしで娘たちは幸せになるかもしれない。
なにより、ママは娘を大事にしてくれると
とても信頼している。
だから、娘からパパへのアクションがほしそうだったとき、
それを叶える余白を設けておこう、となった。

パパがママの心を傷つけて、泣いてるママの姿が
娘には残っているのだろう。
覚えているというより、
娘は「いいこ」になった。
保育園でも、本当にいいこで、、、
と言われているらしい。
本人は「がんばりすぎていない」と言うらしいが、
無意識的に、ママを悲しませないって
思っているはず。

そんな子だから
気を使って「パパにあいたい」と
言わない可能性だってある。
そこはママに察知してもらう。
娘を大事に育ててくれているママを
おれは信じている。

③娘がスマホを持ったり、自分で連絡をとれるようになったら連絡自由

小学生が学校でタブレットを使うような時代。
スマホを持つのは早いかもしれない。
5月で娘は5歳だから、
あと5年くらいしたら
自分で連絡をとれるようになるかもしれない。

だからこそ、この5~6年の間、
娘を起点とした余白を作ることにした。

そしてスマホをもったときに
「連絡をとりたい存在」であるならば、
娘にパパの連絡先を伝える、
娘に選択肢が与えられる状態を約束してくれた。

娘が
なぜパパとママは一緒にいないか、
パパがなにをしたのか、
など聞いて、
もう連絡したくない、
ならそれはそれ。
娘が選択できることが重要だと思った。

「あとはなにかあったときに
パパもいるからね」
そう思ってくれれば、それでよいと思った。

もう会えないかもしれない。
それでも、おれは
娘のためのお金を毎月振り込むと決めている。
そういう人でありたいから。
いつか娘が会いたいと言ってくれたときに
それに恥じぬ人間でありたいから
誠実に生きるし、
後悔しない生き方を続ける。
あと、元気でいる。

子どもはいつだって
親の問題に巻き込まれてしまう。
親ガチャという言葉も生まれたけど
子どもに選択肢がないのは間違いない。

親が決めたことに子どもは従うしかない。
親が感情のみで決めてしまうことが多いのだろう。

親も人間だから仕方ないのかもしれない。
でも親には子どもについての責任がある。
感情を0にはできなくても
子どもの軸で考えてあげることが
親である責任だと思う。

法の仕組みを恨む人もいるだろう。
相場やまわりの人たちの意見に左右されることもあるだろう。

でもそれらよりも、
目の前の、
自分の子供に対して
何がいちばんいいか、
話し合えるパパとママなら
子どもは幸せなんだと思う。
そう信じていて、
それができたと
勝手に思っている。

これはひとりじゃできない。
片方だけでは叶えられないこと。

元奥さんにはとても感謝している。

あとはおれは
真っ当に生きるだけだ。

今日もがんばる!
みんなも生きてください!

2023.1.13 田中浩規(ロッキー)

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