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初めての上京

初めて上京した。

「ピットイン」に行きたいと思っていた。

私の田舎では、モテるための必要条件は「ジャズを聞いている」ことである。

上京する直前、ジャズ喫茶でレクチャーを受け、「ピットインに行ってこい」と言われていた。

新宿にあることだけは知っていた。

私の田舎でジャズを聞くといえば喫茶店と相場は決まっていた。

新宿に降り立った私は衝撃を受けた。

出札口を出て見えたのは、バスである。

喫茶店は見当たらない。

とりあえず、駅員さんに尋ねた。

「ピットインはどこですか?」

駅員さんは困りながら返事をされた。

「車でですか?」

標準語は難しいと思いながら答えた。

「はい、来る迄(クルマデ)です」

「あちらの方です」

とりあえず歩いた。

歩き続けた。

「ピットイン」はない。

駅員さんはタクシー乗り場を示していたことに気づいた。

標準語と思って懸命に対応した私を恥ずかしく思った。

諦めかけたとき閃いた。

「本屋に行けばいい」

改札口まで戻り駅員さんに尋ねた。

「本屋はどこですか?」

「紀伊國屋ね」

「???」

江戸時代にタイムスリップしたのかと思った。

教えられた道順に従って歩いた。

ビルの中にあった。

私の田舎では、本屋は一軒家である。

しかも、店主は立ち読みをさせないように見張っている。

「紀伊國屋」という店名からして、番頭さんが通りに打ち水をしている図を想像していたので衝撃である。

紀伊國屋に入ってまた驚いた。

立ち読みしている人がいる!

店員さんに綺麗な人もいる!

田舎の店主は普段着のオッチャンである。

綺麗な人の前でフシダラな立ち読みをしようとしたら自分が恥ずかしかった。

ドキドキしながらスイングジャーナルを探した。

ジャズ雑誌の広告に住所が載っていた。

その住所を覚え、地図売り場に移動した。

こんなに立ち読みしていいのだろうかと不安になった。

紀伊國屋を出てピットインに向かった。

表通りではなく、路地に入った。

ビル陰で薄っすらと暗い。

喫茶店なんかない。

ピットインの住所と思われる付近を歩き回った。

ココだろうと目星をつけた。

ドアを開けると広い空間があった。

ステージのような場所にお兄さんが1人いた。

「何かの組織の集会だ!」

慌てて逃げた。

表通りまで逃げた。

誰かが私をつけているかもしれないと思うと恐ろしかった。

ジャズ雑誌に悪の手が潜んでいると思った。

東京は怖いと泣きそうだった。

田舎に戻ったとき、そこが「ピットイン」であることが分かった。

生演奏を見損なった。

田舎の英雄になれなかった。

「ピットイン」を探したことは、今も秘密にしている。

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