コーペティション経営が業界を活性化
[要旨]
かつて、アサヒビールは、シェアが10%を割り込にそうになるほど業績が落ち込んでいましたが、新商品のスーパードライを開発し販売することでシェアを高め、業界トップのキリンを追い抜くまで成長しました。そして、アサヒのような健全な二番手は、市場を活性化させ、同社だけでなく、業界全体も発展させることにつながります。
[本文]
今回も、前回に引き続き、経営コンサルタントの遠藤功さんのご著書、「経営戦略の教科書」を読んで、私が気づいたことについて述べます。前回は、リーダーがその業界における『定番』をつくり上げた企業だとすると、チャレンジャーは『新たな定番』を生み出そうとする気概を持った会社であり、『新たな定番』が登場することによって、市場は活性化し、市場自体が伸びることにつながるということについて説明しました。これに続いて、遠藤さんは、ビール業界でチャレンジャーだったアサヒビールが、新しい定番商品を開発し、業界トップに立った経緯について述べておられます。
「アサヒビールは、かつて、『死の谷』に陥っていました。ビールのシェアが10%を切るまでに落ち込み、倒産寸前の状況にまで追い込まれていました。その窮地を救ったのが、1987年3月に投入した、『スーパードライ』でした。『スーパードライ』は、『コクがあって、キレがある』という、従来のビールでは相反する要素として共存しえなかった『新しい味』を生み出し、一点突破を図ることによって、たちまち、シェアを挽回していきました。キリンビールの『ラガー』が、長年にわたって『定番』として君臨する中で、新しい価値を生み出し、そこに経営資源を集中することによって、アサヒビールは再浮上のきっかけをつかんだのです。
『スーパードライ』の売上は急伸し、ほぼ5年でシェアは30%に迫る勢い。こうなると、通常は、商品を拡充するという戦略を打ち出したくなるものです。しかし、アサヒビールは、そうしませんでした。同社を成長軌道に乗せた樋口廣太郎氏から、1992年に経営をバトンタッチされ、社長に就任した瀬戸雄三氏は、『まだまだスーパードライで行ける!』と判断。『スーパードライ』に焦点を絞る一点突破を継続し、再び2桁成長を目指しました。その際、商品力だけでなく、『+α』の新しい価値が必要だと考え、1993年に、『フレッシュマネジメント』という新しいコンセプトを打ち出しました。それまでは、ビールの鮮度など、誰も意識したことはありません。
酒屋に古いビールが置かれていたところで、不満を持つ人はほとんどいませんでした。そうした“常識”を覆し、アサヒは『製造して10日以内の製品しか並べません、それより古いビールは売りません』という、新たな仕組みを導入し、さらにジリジリと『スーパードライ』の売上を伸ばしていったのです。その結果、アサヒビールは2001年に、悲願のトップシェアを獲得しました。『スーパードライ』1本で、ついに半世紀近くも首位を守ってきたキリンビールの牙城を切り崩すことに成功したのです。
その後、アサヒビールは2000年ころから、『総合種類メーカー』への道を模索し始めました。その過程で、取扱商品は、ウィスキーやワイン、スピリッツなどへ広がり、フルラインを指向しています。チャレンジャーとして躍進してきたアサヒビールは、今は、キリンビールと同じ『土俵』で真っ向勝負に挑んでいます。しかし、『スーパードライ』1本で急成長したときの勢いは回復できないでいます」(107ページ)
遠藤さんがご著書に書いていることの本旨とずれてしまいますが、私は、このキリンとアサヒの競合について考えるとき、コーペティション経営について思い出します。コーペティション経営とは、米国の経営学者のネイルバフとブランデンバーガーが、著書「コーペティション経営」の中で提唱した考え方です。コーペティション(co-petition)とは、協力(co-operation)と競争(competition)を合わせた造語です。
すなわち、従来は競争相手と考えていた会社は、協力者にもなり得る側面があり、そのような関係をコーペティションと指すようです。そして、コーペティション経営とは、その関係を活用する経営を指します。キリンとアサヒの競合に関しては、当時は「ビール戦争」と呼ばれ、飲酒をしない人も含め、社会的に大きな注目を浴びました。また、ビールを好きな人は、キリン、または、アサヒのいずれかの好みのビールを飲み、自分の贔屓するビールを応援していました。
ビールの味についても、メーカーが消費者に押し付けるのではなく、消費者がよく食べる食べものに合わせ、おいしく飲める味にしようという工夫も行われたようです。販売方法についても、遠藤さんが言及していますが、アサヒは製造後10日以内のものだけを販売しようとしたり、広告費も従来の2倍にしたりするなど、強化されたようです。このようにして、両者は競い合った結果、アサヒがキリンに追いついたわけですが、キリンにとってシェアは下がったものの、結果的に、ビールファンを増やしたり、お互いにビール製造技術を磨いたり、マーケティング手法についても向上したなどの成果が得られたのではないかと、私は考えています。
キリンは、かつてよりシェアを下げたとはいえ、もし、アサヒビールがスーパードライを開発せず、シェアを10%程度で停滞させていたとしたら、キリンもシェアを下げずに済んだかもしれませんが、キリンのビール事業も活性化しなかったかもしれません。話しを本題に戻すと、遠藤さんは「健全な二番手」の重要性を説いておられますが、それは、二番手自身だけでなく、リーダーにとっても重要な存在であり、また、業界全体にとっても重要な存在であると考えることができます。そして、「競争」は避けたいと思う会社経営者は少なくないと思いますが、「競争」があるからこそ、自社の体質が強くなったり、自社の属する業界が発展すると捉えることが妥当なのではないかと、私は考えています。
2024/3/26 No.2659