コロナ感染拡大下での行政の発信

コロナ感染拡大が終息しない。検査も思うように増やせず、病院も、おそらく一部では「医療崩壊」という状態になっているんじゃないかと思っている。

そんな状況下で、行政から「医療に対するエールを」というような発信がなされている。応援は、もちろん、するけれど。なんとなく「違和感」があるのは、僕だけなんだろうか。
国民が望む方向に施策が進まないとき、行政があたかも「システム(保健所や医療の体制)の問題」とし、システムへの市民の応援を求めるというのは、筋違いというか、間違っているんじゃないのか?

仮に「システムに問題があった」としても、良い。でも、それはシステムそのものの問題ではなく、この間に医療や公衆衛生の予算を削減し続けてきた政府の問題。
単純に「政府に『先見の明』が無さすぎた」ということじゃないのか。その指摘もなく、行政が「現場は頑張っている」「市民の協力が必要だ」と言い募るのは、現場や市民に責任を転嫁しているようにしか思えない。だって、行政なら「お金を出す」「人的支援を出す」「別の機関に援助を求める」というようなことが、できるんだから。首長や首相は、全てに対して「責任は持つので思う存分にやってください」と言うのが、市民に対しても、最も効果的な協力の要請になるんだから。

そんな政府や行政を選んだのは、僕ら自身だと言う人も、いるかも知れない。

でも、かなり詳しく政策を理解していたとしても。自民も公明も維新も、間違いなく「これで上手くいく」「これしかない」「反対する人は無責任」と、言っていたはずだ。
僕は信じなかったけど、今更「信じた人を悪く」言うつもりもない。単純な結果論として、上手くいってない現状から、自民も公明も維新も「みんな嘘つきだった」あるいは「馬鹿者だった」と、言っている。

さて。
要するに、保健所も病院も、地方自治体とかも。問題に直面しているところは、みんな頑張っているのさ。しかも、不十分ではあるけれど、そのシステムに問題があるわけでも、無いのさ。だから、市民としては「頑張ってください」と言うくらいしか、できない。
ただ、現状のような問題を引き起こしたのは、そういうシステムが機能不全になる可能性を見誤った政府や行政にある。市民として「現場を応援する」のは、悪いことじゃないけれど。不十分な政府や行政に対して「責任を問う」ということが、忘れてはいけない市民の責任だと思う。

コロナ感染拡大という問題をこじらせているのは、目先の経済や景気対策優先だった政府。
マスコミも同調して、政府が言うことのみを善とし、それ以外は、あたかも悪であるように描いてきた。安倍 にしても、トランプ にしても。この「独善」と「排他」は、共通した今日の特徴じゃないかな。

多様性というか、民主主義に反していると思います。

危惧するのは、そういう「独善や排他を認める民衆」が、生まれつつあるように感じること。政治に対しては、選挙で正しいと思うことを主張して闘えるけど。相手が民意を装っていたら、正しい主張こそが、独善や排他に見えてしまうのではないか。

いまのところ、「それには同意しない」「与しない」という、消極的な方法しか思いつきません。


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