スポーツメディアによるスケートボードのたくさんの誤解

記事を書いた沼澤典史様@numazawa_n、「迷惑系スケーター」という勝手な造語、カテゴリ分類は非常に迷惑であり、且つ間違いが多すぎです。
スケートボード研究者として以下の記事を批判します。

「近隣住民からのクレームで」完成したのにスケボーパークが一度も使えず…《日本ではスケボーをやる場所がない》問題https://number.bunshun.jp/articles/-/849978

以下、迷惑系スケーターとは
 ・ストリートで滑るスケーター
を指していると理解し意見を述べます。

今は時代に合わせスケーターとそうでない人とが都市で共生を図る動きがあり、例えばフランスではプロスケーター(もちろんストリートで滑ります)が市と掛け合い、一方的に滑ることを辞め互いに納得のいく答えを模索しています。まだ過渡期ですがこれを踏まえても、迷惑系スケーターというカテゴリを勝手につくり一括りにすることは、そのような動きに目を向けさせ難くするものです。またそもそもスケートボードは常識を破って誕生し発展してきたものであることを知らないため、このような勝手なカテゴリをしたのではないでしょうか。


競技としてのスケートボードを知らない人からすれば、夜遅くまで騒いで公園や道路など禁止されている場所で滑っている迷惑系スケーターの姿は、当然理解できないでしょう。

ここで迷惑系スケーターとして括っているのはストリートスケーターだと思いますが、彼らの動機がわからないのは「競技としてのスケートボードを知らない人」ではなく正しくは『スケートボードを発展させ文化を生んだストリートスケートを知らない人』です。競技(=パークで滑ることを指していると思います)としてのスケートボードを知っていても、スケーターはストリートで滑って当然ということを知らなければ「パークで滑れ」と思い否定するのではないでしょうか。


迷惑系スケーターの姿は、当然理解できないでしょう。ただ、そのようなスケーターが生まれる原因は慢性的な場所不足と指導者不足によって、最低限のルールやマナーが浸透してこなかったことにあります。

パークがどれだけあっても指導者がいても、スケーターはストリートで滑ります。そのため「最低限のルールやマナーが浸透してこなかった」原因は絶対に「慢性的な場所不足と指導者不足」ではなく、完全に間違っています。スケートボードはスポーツマンシップに則ったスポーツだと枠に押さえ込んで見ているようですが、それは相当偏った視点であり文化的側面を完全に見落としています。

日本ではまだ発展途上のスケートボードを、スポーツの側面しか持たないものとして語る狭い意見は辞めて頂きたい。

またパーク不足によってストリートスケーターが生まれそれを「迷惑系スケーター」だとカテゴリ分類していますが、これはスケートボードをよく知らない人にとっての意見の代弁だと思います。しかし「迷惑系スケーター」というネガティブな造語をつくり、さらにストリート/パークをマナーが守れない/守れるという二分した構図をつくることには間違いがあり、随分とストリートスケーターを悪者扱いしているなと感じました。


スケートパーク内で練習している人たちやプロスケーターはみなマジメで礼儀正しいですからね。

という点も間違いです。スケートパークでゴミのポイ捨てが問題になり閉鎖になった場所がたくさんありますが、そういったことを防ぐため30代、40代(だけではありませんが)のストリートで育ったスケーターが他人の捨てたゴミを拾っているという現実もあります。つまりスケートパークで滑るスケーターはみなマジメで礼儀正しいと断言することはできず、ストリートで滑るスケーターはマナーを守らないと断言することもできない、ということです。

記事の流れから、パークスケーターはマジメで礼儀正しい、ストリートで滑るスケーターはマジメではなく礼儀正しくないという二分した書き方をしていますね。このような書き方はパークスケーターはストリートでは滑らないというような誤解を生じさせ、パークとストリートの両方で滑るスケーターの存在を隠しています。


こうした問題(迷惑系スケーター)の解消は、各地域にスケートパークを作ることが第一歩。

この解決策は、パークとストリートの両方で滑るスケーターがいるため解決策になりません。

そして何よりも、ストリートスケーターを迷惑系スケーターと批判し減らそうとすることは音楽やファッション、グラフィティ等と接続し世界中に影響を与えているスケートボードの文化を否定するものです。パークのみで滑っていては現在のスケートボードの文化は存在しなかったし、今後パークのみで滑っていたら文化は死にます。

例えばニューヨークにはZoo Yorkというスケートボードブランドがありましたが、ブランド名の由来は1970年代に活動していたThe Soul Artist of Zoo Yorkというグラフィティ・ライターとスケーターで構成されたクルーがつくったジン「Zoo York」です。このジンは現在スミソニアン博物館に収蔵されていますが、それはグラフィティとスケートボードの(多少の違法行為も含んだ)ストリートカルチャーの文化的側面が評価されたからです。

また学術分野ではストリートスケートを研究対象とし、ロンドン大学のイアン・ボーデン教授を筆頭に建築、都市開発等の研究者が注目している都市の再利用や不良の更生等に役立つという側面がありますが、それらを潰しかねない名付け方です。

安易な否定的造語をつくり間違った解釈し、それを大きなメディアで拡散し、ポジティブな面を潰すようなことは辞めていただきたい。またよく知らないのなら書かないで頂きたい。


最後に

東京五輪に出場した白井空良選手は相模原市立の小山公園で技を磨いたが、このような行政による環境づくりが若者の未来を拓く。行政と周辺住民の無理解が、世界を目指す子どもたちの可能性を潰すのは、哀しいことだ

とありますが、スケートボードをスポーツ化し文化を完全に無視している視点は、私を含め多くのスケーターが非常に呆れています。そしてスケートボードの文化を潰すことは哀しくないのでしょうか。

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