ポケットの中の

「ミツグせんせー。今日は何の勉強するのー?」
「うん。今日は地図の見方を勉強しようか」
 家庭教師のバイト先。キョーコちゃんは小学四年生。そのくらいの子相手だとまだ受験とかシビアな勉強ではないので気楽といえば気楽だ。
 むしろ「学校の勉強だけでなくいろんな知識を楽しく教えてほしい」という方針らしいから、教える側としても楽しくやれる。話が脱線して、マニアックな知識を植えつけてしまっているんではないかと思ってしまうこともあったりする。
 でもまぁ、今日は地図の見方だからそんなに脱線することもないかな。と思いながら、僕は持ってきた折りたたみの地図をポケットからガサゴソと出して広げた。広げたら一メートル四方くらいになった。

「わ。おっきな地図」
「ふふん。びっくりした?最近は地図見るのもスマホとかタブレットだからねえ。でもやっぱり地図は紙に限るんだよ」
「出た。マニアック。ゲンちゃん、まだ若いのにちょっとジジくさい」
「こら。下の名前呼ぶな。ちゃん付けするな。生意気な。ミツグ先生だろ」
「トシ、十個も離れてないのに。そのくらいの年の差夫婦いっぱいいるよ?」
「な、な…。バカ。僕を犯罪者にするな」
「あ。意識してる。十年後でいいんだけどなー」
「マセガキめ。はいはい、勉強始めるよ」
「ちぇー」

 もう…。最近の子は。いや僕だってまだギリギリ十代だけど。
 そのとき、どこか上の方から、いや上かどうかわからないけど、声が聞こえたような気がした。
『ヨツグせんせー。今日は何の勉強するのー?』
 …そら耳かな。僕はミツグだしな。まぁ、いいか。

「はい。この地図に何本も描かれている曲がった線はなんでしょう」
「冬型の気圧配置?」
「いやそれは天気図に出てくるやつだから。…まあ、意味的には似てるしテレビではそちらの方がおなじみか…。天気図のは等圧線。地図だと等高線だよ」
「トーコーセン」
「そう。地図だと平面で高さが表現できないから、この線で高さを表すんだよ」
「二次元とか三次元とかいうやつ?」
「お。そんな言葉知ってるの?」
「ゲンちゃん、自己紹介で言ってたじゃん。ボクの名前はミツグゲンです。三次元です。立体です。とか。そのあと、二次元が平面で四次元は時間軸がどうとか話し始めて。わけわかんなかったけど」
「…ああ。そういえば。そりゃわからんよね。ゴメン。ちょっと自分の名前にコンプレックスがあってね。いやゲンちゃん言うな。勉強すすめるよ」
「ちぇー」『ちぇー』

 ん?キョーコちゃんの声が二重に聞こえた?…気のせいか。まぁいいや。
 そして地図記号やら一通り地図に関しての勉強をしていたのだけど、キョーコちゃんは等高線に興味を持ったようだった。

「トーコーセン面白いね。高さがないから線であらわすなんて。想像力いりそうだけど地形が見えてきそう」
「お。わかる?キョーコちゃんのくせに、やるな」
「ほめてる?けなしてる?」
「面白さをわかってくれてうれしいんだよ。例えばだけど、この地図にこうやって同心円を書いてやると…。この場合線一本で五メートルの高さになるから、地図上ではここに十メートルの高さの山が出来ることになるわけだよね。もしこの地図の上に二次元人がいたら、いきなり目の前に山が出現するわけだ。どう思うだろうね」
「ごめん。わけわかんない」
「僕もわかってるわけじゃないけどね。二次元人が高さをどう認識するんだろうか…とか」
「もっとわけわかんない」
「僕が勝手に言ってるだけだから、わかんなくていいよ。そのうちわかるかもだし」
「ふーん」
「じゃ、地図の勉強は終わろうか」

 僕は書いた等高線を消しゴムでゴシゴシ消して、地図をしまおうとした。そのとき、またどこかから声が聞こえた。
『トージセン』
『そう。地図だと時間が表現できないから…』
『三次元とか四次元とか…』
『お。そんな言葉知って…』

 え。何この会話。どこから聞こえてるんだ? と周囲を見回すと、また声がする。
『例えばだけど、この地図にこうやって線を引いてやると、時間軸と空間軸が…』
『この場合線一本が五年だから…』
 すると目の前に、黒い線が現れた。壁とかに書かれているわけではなくて、何もない空間上にそのまま書かれているように線が存在していた。
 キョーコちゃんは隣で「わけわかんない」という顔でキョトンとしている。
 僕にもわけわかんないけど、この線は一体どうなっているのかという興味が先行して、とりあえず触れようとしてみる。

 触れてみたら。手応えはないけど、なんとなく視界が変化した気がした。なんだろうかと思ったら、なぜか僕はスーツを着ていた。そしてキョーコちゃんの方を見てみると。
 地元の中学の制服を着た女の子が勉強机に座ってこちらを見ていた。「また何わけわかんないこと言ってんの?」と言いたげな顔で。
(きょ、キョーコちゃん…?受験勉強中…?面影はある…けど…こんなに成長して…。これは…未来の…?)
 思わず後ずさると、また別の黒線に触れてしまった。そして視界が変化する。

 今度は場所も違う。教会の中…?僕は白いタキシードのようなものを着ていた。そして隣には…ウェディングドレス姿の綺麗な大人の…たぶん…キョーコちゃんが…。
 神父さんが言う。「では誓いのくちづけを」
 えええええ。そんな、まだ心の準備が。と思ったところでまた声がした。
『じゃ、地図の勉強は終わろうか』
 そしてなんだかゴシゴシと音がしたような気がした。

 目の前にはいつもの、小学生のキョーコちゃんがいた。黒線はもう無い。
「ゲンちゃん、クチビル突き出して何してんの。わけわかんない」
「え。いや、これは…」
「なんかやらしー」
「キョーコちゃんはなんともなかった?僕はあの黒い線に触ったら…」
「黒い線?なんのこと?」

 僕にしか見えてなかったのか…?
 黒線があったところに手をかざしてみるけれども、やはり何もないし何も起こらない。
 あれは何だったんだろう。四次元世界にいるヨツグゲンさんと三次元世界の僕、ミツグゲンの行動がたまたま地図でリンクしてとか…。名前も影響したりとか…。考えてもわかりゃしないか。

 そんなことを考えていると、キョーコちゃんが言う。
「黒い線とかわけわかんないこと言うけど、ゲンちゃんが教えてくれると面白いな。これからもずっと教えてくれる?」
「ゲンちゃん言うな。いや、でもそれも意外といいかな。いやいや。…そうだね。僕が社会人になっても、少なくとも高校受験くらいまでは教えてる…かな」
「そっか。へへ。やったー」
「そしてたぶん、その先もずっと…」
「大学受験…かな?」
「いや大学じゃなくて」
「ん?何言ってんの?わけわかんない」
「わかんなくていいよ。そのうちわかるかもだし」
「ふーん」

 僕はたたんだ地図をポケットに突っ込んだ。等高線を書いたとき、二次元世界のニツグゲンさんはビックリしなかったかなぁ、と思いながら。


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「地図」をテーマにしたもの。ということで。
ジュブナイルっぽくしようかなと思ったのだけども…。ハンパだったかな。

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