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降車ボタン戦争

「次は、本町。本町です」
 混んだバスの中で立っている私は、そのアナウンスに「降りなきゃ」と降車ボタンを押そうとするのだけど、背が低いのでなかなか届かない。身をよじるようにして腕を伸ばし、ようやく押すことができた。そしてホッとしながら停留所に着くと。

 私の目の前の座席にどっかり座ってスマホをいじっていた会社員風の男がやおら立ち上がり、私を押しのけるようにして降りていったのだ。そしてヤツだけでなく、他に七人ほどがぞろぞろと降りていった。
「お前らぁっ!手の届く目の前にボタンあるんだから、押せよぉ~ッ!」
と心の中で叫ぶけれども口に出せるわけもなく、ボタンを押した私が一番最後に降りた。

 まぁ、これは毎日のことだし乗客もほぼ決まってるんだから、私も押さないでいれば誰かが押すのだろう。しかし私は、そんなヤツらと同じになるというのがイヤなのだ。だから意地でも自分で押すことにしている。
「降車ボタン押した人は何か優遇してくれればいいのになぁ」なんてことを考えていたら、なんとそれが実現することになった。そう思う人も多かったのか。バス会社としても、何かメリットがあったのか。

 内容としては、最初に降車ボタンを押して降りた人は料金の半分が免除されるというもの。正確には、ルートカードというプリペイドカードを持っていれば半額分のポイントが還元されるということなのだけど。
 それ以降、降車ボタンは早めに押されるようになった。私も苦労して押すことはなくなった。例のスマホ野郎も押している。なぜか少しさみしい気もしたし、私が恩恵を受けることもないのだけど。まぁ、ささくれた心にならないので、めでたしめでたし…かな。

 と、思っていたら、バス会社が調子に乗り出した。消費税云々でポイント還元がどうのこうのというのに便乗したのかもしれない。カードを使ったキャッシュレスであればいろいろやれると思ったのかもしれない。
 どう調子に乗ったのかというと、まず半額還元どころか全額還元にした。そしてポイントはバス料金だけでなく、買い物に使えるようにした。つまりは降車ボタンさえ押せれば、お小遣いがもらえるのだ。みんな、より一層すすんでボタンを押すようになった。
 しかしそれはまだ始まりにすぎなかった。今度は全額還元どころではなく、降車ボタンを一番で押したら一定の確率で料金の五倍をポイントバックするとした。そして、降車ボタンを押したけれどもアナウンス前だった場合などは「お手つき」としてポイントを差っ引くとしたのだ。もはやギャンブルである。ボタン早押しゲームだ。

 それから、バスはギャンブル好きの戦場となった。マジックハンドや自撮り棒のようなものを持ち込んでボタンを押そうとするのはまだかわいい。エアガンでボタンを撃とうとする、極小のドローンを車内で飛ばす、など迷惑極まりないものも現れた。
 わざわざ始発バス停まで車で出かけて押しやすい席を確保するという戦略は当たり前で、どのバス停で降車ボタンを押せばライバルが少ないか統計をとる者、各運転手のアナウンスタイミングを研究する者もいた。もはやバスは移動手段ではなくなっていた。

 しばらくして、案の定バス会社は行政の指導を受けて「降車ボタン戦争」は終結した。「射幸心をあおる」ということで。地方のバス路線が知恵を絞るのはいいことだが、方向が違うと。しかしその後これをヒントに政府主導で「カジノバス」なんてものが日本中を走り回るようになるのはまだ先の話である。

 そして私は。また今日も身をよじり手をボタンに伸ばしながら「誰か押せよぉ~ッ!」と心の中で叫んでいるのだ。


*****

 新潟日報(2020.04.06)の読者文芸欄のコントに、三駒丈路名で掲載された作品。
 三駒丈路というペンネームは最近使ってなくて、その名前で書いている「降車ボタン戦争」も半年くらい前に投稿していたもの。
「けっこう時間が経ってから掲載される場合もある」とは聞いていたけれども、なるほど、そうなのかと実感。
 当時実際にバス通勤していて降車ボタンについては「お前ら押せよ」と思っていたので、それを膨らませてキャッシュレスやIRなど当時(でもないか)話題になっていたものも入れ込んで。
 ホントは色んなアイテムや作戦を主体にドタバタしたかったけれども、やはり四枚では多くは書けず。消化不良だったけど載ってくれれば御の字かなと。

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